立冬

6時起床。よいお天気で爽快なり。大急ぎで家事を済ませてイソイソと外出。身支度の時間は内田光子さんのディスクで、モーツァルトのピアノと木管のための五重奏。

朝っぱらから胃がキリキリするので、いつもとは違うお店でホットミルクを飲んでひと休み。小山清の『二人の友』を繰る。昨日はなぜかいきなり大阪にいて、この本は新世界で串カツを食べたあと、なんばに向かって歩く途中のなんば古書センター(だったかな)にて600円で買ったのだった。串カツおいしかったなあ。通天閣を見上げてまず思い出したのは、豊田四郎の『花のれん』(というより、そのなかの山茶花究)のこと。それにしても、新世界のえもいわれぬ全体の空気がしみじみ味わい深かった。東京にたとえるとどこになるのだろう。浅草木馬亭の裏手あたりか三ノ輪か、それとも山谷かしら。と追憶しつつ、胃がキリキリするのは明らかに昨日の食べ過ぎが原因なのだった。今日はおとなしく過ごすとしようと、静かに小山清を繰る。

『二人の友』はいろいろな雑誌や新聞に書いた文章を集めて編集した小山清の遺稿集で、いつもだとお行儀悪くあちこちを拾い読みして最後に全体、という読み方をしてしまうのだけど、今回ははじめから順々にじっくりとなめるように読むこととする。もうすぐ講談社文芸文庫が刊行というタイミングで手にすることができて本当に嬉しい。浅草回顧の文章がいくつかあって、「酉の市の思い出」という一文もある。あさって水曜日は一の酉だ。

冒頭の一文は、太宰治と丸山定夫の交友を綴った「二人の友」という文章。じっくりと読んで、4つめの「井伏鱒二の生活と意見」(「文学界」昭和29年6月)で時間になった。釣りのことを書いた小説について小山清に尋ねられた井伏鱒二が、即座にモーパッサンの名前を挙げて、《「二人の友、穴、それから題名は忘れたが、ボンネットに釣針をひっかける話。青柳君が訳しているね。モオパッサンは矢張りえらいやつだね。モオパッサンが露西亜にくると、チエホフになるんだね。南の方へゆくと、ダヌンチオ」》と話している。で、日本に来ると誰になるのかというと国木田独歩なのだという。うーむ、まったくの未読なのだけれど、読みたい読みたいと思っていた独歩なのだった。でもその前に、手持ちの新潮文庫の青柳瑞穂訳の『モーパッサン短編集』を読み返したくなった。よい本を手に入れると、どんどん本を読みたくなるのが嬉しい。「二人の友」というのはモーパッサンの短篇小説のタイトルでもあるのだった。

あたたかくて散歩気分の日没後、ゆるりと神保町へ歩いて、東京堂で本をみる。群像社刊の、リジヤ・アヴィーロワの『私のなかのチェーホフ』を手にとって、アヴィーロワ宛のチェーホフ書簡も併録されているという本のつくりにジーンとなる。『ブーニン作品集』と一緒にすんでのところで買ってしまうところであったけど、無事にこらえる。いずれは絶対に買うけども、今日のところは部屋で手持ちのチェーホフ全集を繰って、『恋について』(いったい今まで何度読んだことだろう)を読むとしようと、夜道をテクテク家路をたどった。

じっくりと大切に読み進めるつもりが、小山清の『二人の友』を一気におしまいまで読んでしまって、ずいぶん宵っ張りになってしまった。読みさしだった黒川創の『明るい夜』を繰っているうちにいつのまにか眠っていた。「山紫水明」という言葉が心に残る。