島崎藤村の『眼鏡』、ベルギー象徴派展

石川達三のメモワール、『心に残る人々』を読んでいたら、最初にこれが文学というものだと思った本として、アナトオル・フランスの『S・ボナールの罪』の訳本(訳・松村みね子?)、というくだりがあった。つい最近、岩波文庫の『シルヴェストル・ボナールの罪』(ISBN:4003254341)を買ったばかりだったので、嬉しい。まだ読んでいないけど。松村みね子訳のアナトール・フランスとは、ひょっとして第一書房本かしら、とたいへん心ときめいて、ちょいと調べてみたけれども、どうもそうではないようで残念。石川達三が手にした『S・ボナールの罪』は、1923年春陽堂刊の岡野かをる訳?


さてさて、今日も無駄に早起きをしているうえに、お弁当を作らなくてよい日だったので楽チン。いよいよ梅雨入りだし、気分を変えるべく、ひさしぶりに今朝はのんびりとコーヒーを飲むとするかなと、いつもよりずいぶん早くに出かけることにして、急に思い立って、筑摩書房の「明治の文学」の『島崎藤村・北村透谷』(ISBN:448010156X)を読むことにした。目当ては、島崎藤村の『眼鏡』。戸板康二が、子供の時分に「はじめてこれは文学というものかと思った」本、として挙げていたのが島崎藤村の『眼鏡』だった。誕生日に伯父からプレゼントしてもらった実業之日本社の愛子叢書の第一篇で、装本が歌舞伎絵でおなじみだった名取春仙だったということを知ったのは、それよりだいぶあとだったとのこと。と、このくだりが何年も前から心に残っていて、「明治の文学」の『島崎藤村・北村透谷』の巻が発売になった頃、堀江敏幸さんが編者というのに惹かれてなんとはなしに本屋さんで手にとってみると、『眼鏡』が収録されているのを見つけて、嬉しくて即買ったのをよく覚えている。泰明小学校にほど近い、銀座旭屋書店でのことだった。買っただけで、2年以上本棚に眠っていた。

しかし、急に読む日がやってくるから、やっぱり本というものは買っておくものだ。朝っぱら、藤村の『眼鏡』にウルウルだった。「旦那」の旅のおともをする「眼鏡」の道中記。戸川秋骨、馬場孤蝶、平田禿木といった人々もひょいと登場、おわりの方では北村透谷らしき人が登場して物語が締めくくられる。「明治の文学」では、この藤村の『眼鏡』の次のページに、北村透谷の『富士山遊びの記臆』がある。編者の堀江敏幸は、あとがきで「私が透谷の部を立てるにあたってどうしても収めておきたかった」、「『紀行』というよりは『移動』を刻んだ一文」というふうに書いている。

亡くなった透谷(のモデル)の名前と一緒に物語を締めくくる「まだチントンチントンやって居」る来助爺さんの描写が、なんでもないようでいて胸が詰まる。

マア、来助爺さんは左様な人だと言つたら好いでせう。ホラ、皆さんが御清書をする時に、重いケサンを置きさへすれば、どんなに風が吹いて来ても、軽い紙の飛ぶやうなことは無いでせう。丁度来助爺さんはあのケサンのような安心を与へる人でした。六十いくつに成るまでチントンチントン刀を打つて来た彼の老人の顔を見たり聞いたりするばかりでも、何となく安心させるやうな人でした。身には美々しい着物も着けず、胸には勲章も飾らず、一寸見たところはお百姓か何かのやうな粗末な服装をして働いて居ましたが、しかし逢つて話をして見ると、一生忘れることの出来ないやうな力のある人でした。

日が暮れて行けば、ガヤガヤ騒いで居た小鳥の声も沈まるやうに、月日が経つにつれて、旅で見たり聞いたりしたことも段々沈まつて行きました。何時沈まるともなく沈まつて行きました――その旅で見たり聞いたりして来たことの奥の奥の方に、何が一番後まで残つたかといふに、矢張それは黙つてお百姓の鍬を打つて居たあのお爺さんのことでした。

藤村が明治20年代の旅のことを書いている『眼鏡』を出版したのは大正2年。過ぎ去った年月を、そのときはなんとも思っていなかったけど今思えば若かったんだなあと、遠くから眺めるような筆致がとても美しい。『春』の刊行は戸板康二の生まれた大正4年。あらためてじっくりと『春』を読み返したくなってきた。戸板康二を魅了した『眼鏡』の装本をしている名取春仙は、『春』の挿絵も描いているのだという。それにしても、『眼鏡』を「はじめてこれは文学というものかと思った」という戸板少年の育ちに、しみじみ感じ入ってしまうものがあった。


帰宅後もしばし、「明治の文学」の『島崎藤村・北村透谷』を繰った。藤村の短篇がどれもこれもすばらしい。



(以下はあとで追記、できるかな。先週末に出かけた展覧会。買ってそれっきりだった岩波文庫、ローデンバック『死都ブリュージュ』ISBN:4003257812 を読みたくなった展覧会)

展覧会メモ

  • ベルギー象徴派展 / Bunkamura ザ・ミュージアム *1