地下室の古書展ノート

11時より国立劇場で文楽見物。芝居見物の日は、早起きして通りがかりのコーヒーショップでのんびりする時間がいつもとてもたのしい。この時間がうれしいあまりに国立劇場へ行くと言っても過言ではないほどだ(やや過言)。「修羅の巷の攻め太鼓〜」(←ここのくだり、たまらん)と『盛綱陣屋』を観察し、お弁当のあとは『冥途の飛脚』をじっくり、と言いたいところだったが、「封印切」の前でイソイソと劇場を出て、神保町へ。

「地下室の古書展(http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/)」開催中の東京古書会館へ突進。2階で開催中の装幀展の関連イヴェント、前々からとてもたのしみだった大貫伸樹さんのトークショウを聴くことができてホクホク、古書展の地下室では本を物色してメラメラ、古書会館の建物全体で大充実で、えらくたのしかった。

夕刻、古書展会場の出口で、「新・読前読後(id:kanetaku)」の金子さんと「森茉莉街道をゆく(http://blog.livedoor.jp/chiwami403/)」のちわみさんと待ち合わせて、わーいわーいとコーヒーを飲みに行った。初対面のちわみさんのナイスな古本トークにひたすらメロメロ、ますますちわみさんのファンになったのだった。話題は、永井龍男に鴎外関係とか、退屈男さんの blog (http://taikutujin.exblog.jp/)は面白い、獅子文六の選集がちくま文庫で出ればいいなあ、などなど。古本関係では、金子さんとちわみさんからブックオフ攻略法をフムフムと拝聴、苦手なブックオフをわたしも使いこなしたいものだと、明日への決意を胸に神保町をあとにしたので、あった。それから、白木屋傳兵衛の帚が欲しいッとフツフツと思ったので、あった。

夜はミルクティを飲みながら、金子さんからのいただきもの、成瀬巳喜男の『銀座化粧』の DVD を見た。


展覧会メモ

  • 大貫伸樹コレクションより 1920-30年代の装丁 / 東京古書会館2階情報コーナー

『装丁探索』(ISBN:4582831664)をホクホクと繰っていた身にとっては、こんなに嬉しいことはない、の一言の展覧会。その関連イヴェントとして大貫伸樹さん自らによるトークショウが用意されている、というのもなんとも豪華で、主催者のセンスが心憎いばかりにお見事なのだった。語り手が大貫伸樹さんで、聞き手として田中栞さん。大貫さんのお話はほんわかととてもいい感じ、そして田中栞さんの応対ぶりが実に見事で、おふたりの絶妙なコンビネーションが素敵だった。後半は「佐野繁次郎の装丁」と題して林哲夫さんが加わる。それにしても豪華なイヴェントであった。東京ステーションギャラリーで佐野繁次郎展が開催中というタイミングも言うことなし。

『装丁探索』が発売になったまなしに代官山のユトレヒト(http://www.utrecht.jp/)で「佐野繁次郎のとその装釘」展が開催され(展覧会には行き損ねたけど後日入手した図録がすばらしくてホクホクだった)、東京ステーションギャラリーの展覧会を経て、本日の古書展が、以来の諸々の集大成的なイヴェントとなったわけで、なにかと感無量だった。そして、元の元をたどると、佐野繁次郎のことを知ったのは「sumus」誌上の林哲夫さんの文章がきっかけで、もともと花森安治の装幀(例:戸板康二『歌舞伎への招待』)にワクワクしていたあとでそのルーツとして佐野繁次郎を知ったのが最初だった。というわけなので、そもそもの「仕掛人」とも言うべき林哲夫さんの登場でさらに完璧になった。個人的な体験では、神保町で佐野繁次郎装幀の谷崎潤一郎『初昔 きのふけふ』を買ったあとで、アクセスで林哲夫さんの『古本スケッチ帳』を手にとって『渡辺一夫戦争日記』に関する文章を目にして興奮、という日があって、大貫伸樹著『装丁探索』を手にしたのとちょうど同時期の出来事であった。あの日のことをちょっとばかし思い出したりも。そんなこんなで、佐野繁次郎の装幀本のお気に入りの1冊を挙げろと言われたら(誰もそんなことわたしに聞かないけど)、迷うことなく谷崎潤一郎『初昔 きのふけふ』(創元者、昭和17年)と答えたい。

今回の展覧会は、1920年代に焦点をあてていて、先日見物の「アールデコ展」の余韻があったのもグッドタイミングだった。《関東大震災後15年間は装丁史のベルエポック》というサブタイトルがついているのだけれども、この時期の装幀が面白い要因についての大貫さんのお話がモクモクと刺激的だった。円本をはじめとする出版史のこととか、海外美術との関連とか版画あれこれ、などなど。美術と書物との交わり、というのがいつもとても面白いのだけれども、関東大震災後15年間に焦点をあてることで、いつもなにかと心ときめく日本の近代、ということを書物・美術という面から見ることとなって、今後いろいろと深めていきたいものだなあとモクモクと嬉しかった。

大貫さんのお話で面白かったのが、谷崎の『春琴抄』の漆塗り本に関すること。昭和9年発行のこの本、戸板康二が「演芸画報」の公募で菊五郎論が当選し、その稿料で買った本、ということで、前々から心に刻んでいるのであった。18歳の戸板青年が購入したのは赤うるしの板を貼った装幀で、普通は黒うるしなので、「赤は試作した珍品だったと後に知った」と戸板さんは書いていた。

林哲夫さんの佐野繁次郎ばなしがまた最高に面白かった。大阪の商家生まれの裕福なおぼっちゃん育ちならではのセンスとか、出版史との関わりとか、なにかと突っ込みたいこと多々ありでおみやげがたっぷり。とりあえず、前々から気になっている、白水社に関してちょっと調べたいところ。

「地下室の古書展」お買い物メモ

  • 山村聰『釣りひとり』(二見書房、昭和49年)
  • 雑誌「本の本」1976年6月号《ミステリーと名探偵》
  • 安住敦『春夏秋冬帖』(牧羊社、昭和50年)

こちらは西秋書店にて。今回も西秋ブースに琴線が刺激されまくり! 欲しい本を次々に見つけて、あれもこれもと思うのだけれどもと選択をひとまず終えてみると、すべて500円以内の本ばかりとなってしまって、結果的にはいつもの通りのセコイ買い物となってしまった。岡本綺堂の雑誌「舞台」の坪内逍遥追悼掲載の号とか「学燈」とかも、よかったなあ。

とにかくも、今回の3冊、うれしい本ばかりでホクホクだった。

まずは、『釣りひとり』に大喜びだった。濱田研吾さんの『脇役本』で知って以来、そこはかとなく探していた本、「竿にもコーヒーにもこだわります」の山村聰である。

珈琲は胃に悪いという通念がある。また、真黒な濃い珈琲が流行である。私は、この誤りを、二つとも解決したかった。豆の焙煎と、出し方に問題があるのである。簡単に言えば、煮沸が悪いのであって、紅茶式の、あっさりしたドリップ方式ならば、十分に、有害物質の抽出を抑えることが可能で、胃をやられる心配は、まずない。また、黒焙りの豆は、容易に濃い珈琲を作るが、炭化物の苦みが、珈琲本来の苦さを不純なものにしてしまう。
ドリップ方式が最良の淹れ方であることは、今や誰知らぬもののない常識であるが、この方式を最も純粋に推し進めて行くと、紅茶式の、あっさりしたドリップに行きつく。そのためには、原料をたっぷり使わなければならない。私の自宅では、1カップ6匁ほども使うことにしている。豆は、浅焙りが最もよい。

と、このくだりを目の当たりにし、心新たにぜひとも再び下北沢へ、「スペシャル山村聰のコーヒー 700円」(だったかな)を賞味に行かねばと思うのだった。


「本と本」の《ミステリーと探偵》は、戸板康二が「シャーロック・ホームズの魅力」という文章を寄せていることを教えてくださった方があって、以来ずっと探していたもの。なんて、ずっと探していたと言いつつも、たまに見つけては「もう一声!」と心の中でつぶやいて棚に戻ること数回だったのだけど。初めて店頭で手に取ったときは、目次を確認すると、戸板さんの名前の隣は森茉莉の「シャーロック・ホオムズ」なのでひときわ大喜びだった。戸板さんと森茉莉の名前が目次にとなり合せの雑誌だなんて! その「本と本」を入手したのが、「森茉莉街道をゆく」のちわみさんとお会いした日になったというのも、なかなかオツなことであった。


安住敦の『春夏秋冬帖』、「もう、たまらん!」と手にとって興奮の1冊だった。久保田万太郎人脈を考える上で、とりわけ万太郎俳句の戦後の充実度、結晶度を思う上で、安住敦はとても大きな存在で、その人となりを含めて、前々からとても気になっていた人物なのだけれども、うかつにも著書を手に取ったのは今回が初めてだった。帯には永井龍男の推薦文、見開き1ページずつのとても好感触の随筆集で「春燈」の編集後記を集めたもの。こういう本が大好きだ。

古書展会場で「おっ」と手にとって目次を眺めて、「南葩堂さん」というタイトルの文章があるのでさっそく興奮だった。

敗戦後の新橋で演劇書を扱う本屋さんとして「南葩堂」の名前を知ったのは、戸板康二の『回想の戦中戦後』がきっかけだった。店主の難波治吉は荷風を崇拝していて偏奇館跡を買いとって一時住んでいたことがあって、戸板康二が昭和25年に倒産するまで勤めていた日本演劇社に出資した人物であったことをそこで知って、そこはかとなく印象に残っていて、図書館で昭和20年代の演劇雑誌で「南葩堂」の広告に遭遇するたびに目にとまっていた。しばらくして、今度は川本三郎さんの文章で、荷風人脈として難波治吉の名前を見て、そこで彼が元・文学座で久保田万太郎の弟子筋にあたる、ということを知ったのだった。

と、ただそれだけなのだけれども、安住敦の「南葩堂さん」で、前々からそこはかとなく気になっていた南葩堂のことをまた別の角度から読むことができて、ますますモクモクと刺激的。難波治吉は文学座では龍岡晋と同期ぐらいなのだそうだけど、芝居の方はすぐにやめてしまったとのこと。なんというか、龍岡晋をはじめとする、久保田万太郎の弟子筋人脈(戸板康二ももちろん含むし、当の安住敦も)には無尽蔵の歓びがあるなあ、としみじみ感じ入るものがある。安住敦が綴る「南葩堂さん」は、「春澄」のゆかりの人物として語られている。敗戦のドタバタのあとさきで、偏奇館を買い取ったり、新橋で本屋さんを営んだりしたけれども、この文章の1961年時点では閉店しており、「春澄」の購読者として登場している。難波治吉という人はいったいどういう人物なのだろうと、またなにかの本で発見できればいいなと思う。このところますます、安住敦が戦後に創刊した俳句誌「春燈」がらみが、なにかと興味津々なのであった。「春燈」といえば、龍岡晋の「切山椒」の初出誌。というわけで、これから緩慢に、「春燈」あれこれを追ってゆくとしよう。

  • こつう豆本10/今村秀太郎『書物展望社本』(日本古書通信社、昭和46年)

呂古書房ブースで「こつう豆本」がすらっと売っていて、ワオ! としばし燃えた。激しく迷いつつ、今回はこちらに決定。わたしのなかでは、双雅房の岩本和三郎からつながる久保田万太郎文献ともいえそう。書物展望社についても前々からなにかと興味津々なのだけど、深く追求することなく現在に至っている。ちなみに、わたしが現在唯一所有している書物展望社本は、岩佐東一郎の『茶烟亭燈逸伝』で、3月の五反田の古書展で買った。岩佐東一郎の名前は、戸板康二が戦中戦後のある時期に参加していた「交書会」を主宰していた、ということで気にかかるようになったのが最初だった。と、きっかけはえらく些細だけど、岩佐東一郎という人もなかなか面白いのであった。

ちわみさんからのいただきもの

  • 宇野信夫『しゃれた言葉』(講談社文庫、昭和59年)
  • 文藝春秋編『おしまいのページで』(文春文庫、1986年)
  • 福原麟太郎『かの年月』(吾妻書房、昭和45年)

ちわみさんから本を3冊ちょうだいする。このツボをついたセレクションがたまらないとジーンだった。しかも、宇野信夫以外は今回初めて知った本、というのもうれしいかぎり。ちわみさん、ありがとうございました!

宇野信夫は戸板康二の『あの人この人』を読んで以来そこはかとなく気になってはいるのだけれども機会を逸していて著書を手にしたのはなんと今回が初めて。宇野信夫は戸板さんより十歳上の三田出身で、久保田万太郎に疎まれて水上瀧太郎に心酔していたというなりゆきがあって、万太郎在世時はわりかし疎遠だったのが、のちに交流が深まり、戸板さんが同人のマールイの公演で宇野信夫作の上演があったりし、そこでは殿山泰司がひさしぶりに「新劇」の舞台に立つことになり『JAMJAM 日記』で当時の記録を読むことができる。……といったくだりが前々から大のお気に入りだった。宇野信夫と万太郎の齟齬といったエピソードもとても面白い。堀切直人さんの『浅草』では宇野信夫も万太郎も登場するのだけれど、宇野信夫のくだりを読むと、二人が合い入れなかったのがなんとなくよくわかるような気がする。

で、宇野信夫の文庫本はいざ繰ってみると、江戸・東京が通底がしていて、芝居が縦糸なら横糸は落語、といった随筆がとても面白くて、なんでもっと早く読んでいなかったのだろうという気にさせられる感じ。これから緩慢に読み進めていくとしよう。宇野信夫の文章そのものはというと、落語を聴き始めたまなしのころ「圓生百席」のライナーで接したのが最初だった気がする。この『しゃれた言葉』はその圓生の追悼で締めくくられてあって、なにかと感慨深い。ほかにもグッときたところを挙げるとキリがないのだけれども、「役者の句噺家の句」という文章では川尻清潭が登場していて、前々から気になっている清潭老の付き人、森鴎洲が登場していて嬉しかった。クーッ、このふたりが醸し出す「江戸」の残骸がたまらん! と興奮だった。

『おしまいのページで』は「オール読物」巻末の名物コラムを集めたもので、連載開始の昭和44年7月号から昭和60年12月号までの全文章を収録、その顔ぶれは、獅子文六、丸谷才一、永井龍男、吉行淳之介、開高健、尾崎一雄、山口瞳、結城昌治や小沼丹、野口冨士男も登場、とこれまた「たまらん!」の一言で、ある種の本読みならきっと琴線を刺激するに違いない。永井龍男のとある文章に戸板さんが登場していることをちわみさんから教えていただいて、永井龍男の文章に登場する戸板康二! と大喜びだった。戸板康二の文章に登場する永井龍男というと、昭和十年代に久保田万太郎に連れられて「はせ川」を訪れたときに顔を見かけたけど大先輩でとても近づけるような雰囲気ではなかったのが、のちに文藝春秋の「文壇句会」で交流するようになった、といった感じ。とにかくも、文春あれこれは無尽蔵の歓びがあるのだった。

福原麟太郎の『かの年月』は、昭和19年10月から昭和20年10月の敗戦前後の日記をそのまま1冊にしたもので、これまた「たまらん!」の一言。

文学者による敗戦前後の日記本というのは、いったいどのくらい出版されているのだろう。リスト化してみたい気がする。思えば、日記本に親しんだきっかけは『断腸亭日乗』の敗戦前後の抜粋を読んだのがきっかけだった。名著は無尽蔵という感じ。戸板康二の『折口信夫坐談』もこの種の本のなかに組み込みたい。戸板康二自身は昭和20年8月15日からずっと日記をつけていて、この日記を目にすることができたらどんなにいいだろうと思う。敗戦直前の日記で毎回ひときわ注目なのが、昭和20年5月6日の羽左衛門の死が言及されているかどうか、ということなのだけれども、福原麟太郎は言及していなかった。ちなみに軽井沢の山荘にいた野上弥生子はその新聞記事についてちょろっと書いている(『山荘記』暮しの手帖社)。

福原麟太郎の『かの年月』でひときわ興味津々だったのが、饗庭篁村に関することで、その最初の登場は羽左衛門の死とほぼ時を同じくしている。

五月九日(水)
……このごろ寝る前しばらく『饗庭篁村集』を読むことにしている。「人の噂」という、やや長編なるは傑作なり。総じて、良き人生、道徳的な解釈を与えたる人生を写す。随筆的、笑劇的なるものあれども、文学として再評価に値すというべし。

と、福原麟太郎の饗庭篁村読みはじめがこの時期だったとしたら、たいへん興味深い事実だと思う。その評が、ある種のイギリス文学に対するそれとよく似ていることにも注目で、ギャスケルのことを思い出したりも。ちなみに、この翌日、福原麟太郎は坪内逍遥の『新楽劇論』を読んでいて、わたしも真似したくなってしまった。

六月九日(土)
春陽堂本『饗庭篁村集』読了。芭蕉を重んぜざる俳諧論面白し。小説としては結局「人の噂」をもって最良清新とすべきか。「水汲笈」気質物としてよく、旅行記法外に愉快なり。……

そして、8月4日(土)に《『太陽』十周年記念号にて饗庭篁村「当世商人気質」を読む。》とあって、このあと、やや長めの饗庭篁村評が書き記されてあった。