ロッパの『劇書ノート』をめぐって

誤植は折を見てこっそり訂正、版元と出版年もあとで追加したいところ。所有本はクリックすると書影登場、というふうにもしたいなあ。と、懸案はあまたあれども、『劇書ノート』の目次は、前々からウェブにアップしたいと思いつつもそのままだったので、ひとまず実現して嬉しい。

などと、こんなものを作らずにはいられないほど、古川緑波著『劇書ノート』という本が、わたしは大好きだ。昭和28年が初版で、筑摩叢書で一度復刻しているので、この調子でぜひともちくま文庫化を! と思うけれども、まあ無理だろうなあと思う。筑摩叢書で一度復刻していることすら奇跡的のような気がする。

筑摩叢書の書名リストは本の並びが実に面白くてすばらしくて、見ていて飽きない。1番目の三好達治著『萩原朔太郎』は大昔、十代の頃に買って愛読したなあと懐かしい、散逸してしまって無念。安藤鶴夫『わが落語鑑賞』のようにちくま文庫になったものもあれば、宇野浩二『芥川龍之介』のような中公文庫もあり、吉田健一『英国の近代文学』は岩波文庫、渡辺一夫『曲説フランス文学』は岩波現代文庫。大江健三郎編『伊丹万作エッセイ集』に「おっ」、今まで知らなかった、読んでみたい。……などなど、古川緑波著『劇書ノート』まで入ってしまう、筑摩叢書のラインナップはとにもかくにも特筆に値するのだった。

今回、目次を入力することで、ひさしぶりに『劇書ノート』をじっくり見ることになって、筑摩叢書の「征木高司」の解説にも「おっ」だった。ふと思いついて、征木高司著『狂書目録』を図書館で借りてみたら、装幀は原田治さんだった。ひとたびページを繰ると一気読みという面白さで、この本を機に、ひさびさに森茉莉の『贅沢貧乏』を再読したりも。

征木高司の解説の冒頭に、一周忌に刊行された追悼文集、『ロッパ 古川緑波追善の夕べ』に掲載の永井龍男の文章が紹介されている。役者になる前の緑波、映画雑誌の若き編集者時代の緑波のことを書いている。文筆家としてのロッパと同じくらいに、編集者としてのロッパにも興味津々なのだった。


文筆家としてのロッパ、で思い出して、買ってそれっきりだったちくま文庫の『ロッパの悲食記』を取り出すべく、文庫本棚を探索すると、ふと小林信彦の本が目に止まった。ロッパといえば小林信彦だ! と気が変わって、小林信彦のページを繰ってみると、やっぱりとてもおもしろい。『〈超〉読書法』(ISBN:4167256088)の p.72 、「日記の勝手な〈使い方〉」に「古川ロッパ昭和日記」のことが書いてある。昭和9年から35年まで続く全4巻を「異常に丹念に読んだ」という。《そもそもの、ロッパが日記をつけていたという事実は晶文社版「日本の喜劇人」(1972年)が明らかにした……》云々と「多少気を悪くしていた」ともある。

と、ここを見て、次は『日本の喜劇人』(ISBN:4101158045)を繰ってみると、大正15年よりの「映画時代」編集者時代のロッパが語られたあと、

このようなジャーナリストとしての経験は、ロッパにとってかなり本質的なものとなったのではないかと思われる。ロッパの成功は、そのジャーナリスティックな感覚に負うところが大であり、批評家としてのすぐれた資質は死ぬまで変らなかった。

ロッパは、昭和28年に『劇書ノート』という、演劇に関する書物の批評を集めた文集を出版しているが、たとえば、安藤鶴夫の『随筆舞台帖』を評して、
「面白く読んだ。然し、何となく総体に、一流の劇評を読んでゐるような気がしなかった。……」
と鋭いところを見せている。つまり、安藤鶴夫を劇評家ではなく、エッセイストとして認めているわけである。

(小林信彦『日本の喜劇人』より)

と、『劇書ノート』が登場するのだった。うーむ、しみじみ面白い。


文筆家としてのロッパというと、徳川夢声・岡田時彦・古川緑波集『漫談レヴィウ』現代ユウモア全集第18巻(昭和4年)を、最近いただいたばかりでホクホクしているところ。なんという見事な顔ぶれだろう。 


編集者としてのロッパでは、「俳優館」第33号(昭和55年6月発行)に、昭和7年1月の「映画時代」(大正15年創刊、文芸春秋社発行)に掲載された「源之助 連鎖劇を語る」というタイトルの、久保田万太郎と四代目源之助の対談に大喜びだった。この時期の「映画時代」は文芸春秋社ではなく、映画時代社としてロッパの経営下にあった頃。

対談は源之助ファンの古川のために久保田万太郎先生が紹介の労を取り、聞き手も引き受けて頂いた。久保田先生は「源さんは大変、活動写真が好きだし、それに連鎖劇なんかも、一ばん先にやり出した人だから……『映画時代』向きだよ。」とおっしゃって、我々を源之助丈の家へ連れていって下さった。
そして昭和5年11月15日、6年1月の新年号を飾る対談は、吉原の鷲神社の境内にあった源之助の住居で行われた。玄関の表札を見ると「沢村青岳」という俳名になっていた。……

同じく、「俳優館」第35号(昭和56年3月発行)には、昭和2年7月の「映画時代」に載った「六代目菊五郎映画を語る」という記事が! 


で、思い出して、平成11年に早稲田大学演劇博物館開催の《六代目尾上菊五郎展》のカタログをひさしぶりに眺め、またもやしみじみ面白い。

なかでも、《大阪のプラトン社が大正15年1月に創刊した雑誌「演劇・映画」は8月号までの8冊をもって終刊してしまう短命な雑誌であるが、豪華な執筆人を揃えて読み応えがある》という、プラトン社の「演劇・映画」第3号に掲載という、江戸川乱歩の「半七劇素人評」というタイトルの劇評、の文字にウキウキ。


などなど、古川緑波著『劇書ノート』目次作成に際しては、寄り道ばかりなのだった。