朝の喫茶店で内田光子さんを読む

朝、部屋の片付けをしていたら、先週に買った雑誌「考える人」がぬうっと出現。そうだった、内田光子さんのインタヴュウが掲載されていると教えていただいて、こうしてはいられないと、その日の夜にさっそく買ったのだった。特集は《クラシック音楽と本さえあれば》。いつもだったら、この特集タイトルを見ただけで「けっ」と立ち読みすらしなかった気が…。見逃さないで済んで本当によかった。と、積んであった本を片付けていたら、今度は佐野繁次郎展の図録がぬうっと出現。東京ステーションギャラリーでの展覧会のあとガバッと買ったのだったが、じっくりと眺めようと思いつつそれっきりであった。とにかくも、「考える人」に佐野繁次郎展の図録と、突然目の前におたのしみがパーッと開けて上機嫌。

さて、今日も早起きなので、時間がたっぷり。喫茶店でゆっくりと本を眺めるとしようというところなのだったが、迷った末に今日は「考える人」に決めた。



そんなこんなで、朝はコーヒーを飲みながら、「考える人」をゆるりとめくって、ご満悦。立ち読みすらしなかったかもと言いながらも、いざ見てみると、やっぱり日頃の嗜好にピタリとマッチした音楽の話はとても面白くてホクホクだった。内田光子さんのおかげで手に入れることができてよかったと思う。「わたしが音楽を聴く場所」なるページの安岡章太郎、高村薫、堀江敏幸といった人たちの書斎の写真、細部の観察がたのしい。勝本みつるさんの再生装置「壁際にいくつも積まれた古い箱と見紛うような、小さな CD プレーヤー」のくだりが共感大で嬉しかった。

「わたしのベスト・クラシック CD」、こういうありがちなアンケート企画が一番好きだ。水村美苗さんのところを読んで、シュナーベルの『わが生涯と音楽』(白水社)がとても気になった。ので、メモ。ほかにも気になるくだり多々ありで、こういうのはいつも面白い。

そして、お目当ての内田光子さんロングインタビューがとてもよくて、朝っぱらから感激だった。学生の頃、旅行先をどうしようかと迷ったとき、内田光子さんが住んでいるという理由だけでロンドンに出かけたことがあったなあと懐かしい。以来、再訪することなく現在に至っているけれども、今度行くときはぜひとも、「イブニングスタンダード」を買って午後にめくりたいなあと思う。


穏やかな春の一日。夜は銀座でちょこまかとお買い物。まずは山野楽器に足を踏み入れて、内田光子さんのモーツァルトのヴァイオリンソナタのディスクを偵察に。視聴機でしばらく聴いた。いつも輸入盤の発売を待つので今日は買えないのだった。ブーレーズのバルトークのピアノ協奏曲とかバッハ・コレギウム・ジャパンの世俗カンタータとか新譜でも欲しいのが散見し、旧譜でもいろいろと目にとまる。が、山野楽器では「ダブル・スタンプデー」なる火曜日と水曜日にしか買い物ができず不便である。そして、いざ「ダブルスタンプデー」に再訪すると売ってなかったり士気があがらなかったりして、買えないことが多い。困ったものである。


帰宅後は、ポリーニのバルトークのディスクがあったはずと棚を探索。

このところ寝るときは毎日、内田光子さんのディスクで、ベートーヴェンの《創作主題による32の変奏曲》を聴いている。先週か先々週の「音楽の泉」でリヒテルの演奏を、朝の寝床でうつらうつらと聴いて、とてもよかったのだった。リヒテルが終わったらまたすぐ寝入ってしまって、以来、寝床の音楽というと、ベートーヴェンのソナタ以外のピアノ曲なのだった。そういえば、グールドのベートーヴェンの2枚組ディスク(パガテル集など)はなぜだか毎年春になると急に聴きたくなるディスクで、ベートーヴェンのソナタ以外のピアノ曲の気分というのが、なんだか好きだ。

モーツァルトの場合だと、ピアノが四分の三、弾いている。ヴァイオリンは四分の一。ベートーヴェンになるとヴァイオリンが三分の一以上の割合に増えている。ブラームスのソナタの場合だと五分五分に近い。時代を追うに従って、お互いのバランスが等しいものに近づいているわけです。ところがモーツァルトの場合だと質的にも量的にも本当にピアノがめちゃくちゃ弾いているわけです。それも一方的に弾いているわけではなくて、まずピアノが上の線を弾いて、ヴァイオリンは下の線を弾いている。それがクルッとひっくり返って今度はヴァイオリンが上の線を弾いてピアノが下の線を弾く。このひっくり返しの連続なんです。だからヴァイオリンの伴奏だなんて弾き方でやっていたら、曲が見えなくなってしまう。下の線だけがうんと聞えちゃったりすると、曲に一体何が起こっているのか、わからなくなってしまうわけです。このひっくり返しの連続は、お互いの音に対する反応の速さがなければできないことです。


バルトークの一番はピアノを打楽器として使う画期的な曲。二番は異常に手が大きくて、ある種の特殊なスタミナがある人でなければ弾けない曲。私は腕を壊したくないから二番は弾きません(笑)。最後の三番は、バルトークが自分は死ぬと予感して書いている曲だと思います。彼の二番目の妻がピアニストでしたから、自分が死んだ後、彼女が食うに困らないように、たぶん彼女の演奏会のためにと思って書いたんです。ですから、どちらかと言うと、うんと昔の世界に戻った曲です。ハンガリーとルーマニアの間の、トランシルバニア地方のノスタルジーもあったでしょう。
ベートーヴェンの影響もワッと出ていますね。第2楽章は作品132の弦楽四重奏と、ピアノ・コンチェルトの4番の第2楽章がどこかに響いています。モーツァルトもあるし、バロックも突然入ってくる。大変面白い、素晴らしい曲です。もう最後の頃はバルトークはすっかり弱って横になっていましたから、ピアノにはほとんど向えない状態で書いていたと思います。妻がどのくらい弾けるかを鍵盤上で確かめるようには書いていないはずです。たぶん頭の中で書いていると思いますね。


(「考える人」2005年春号、内田光子ロングインタビューより)