勘三郎襲名三月興行見物日記

自分でもびっくりというくらい、妙にたのしかった勘三郎襲名見物。以下、無駄に長い芝居日記がエンエンと続くのだったが、後日入手した歌舞伎会の会報の「ほうおう」3月号で、勘三郎本人が盛綱の首実検について、《うちの親父は、高綱の首を見て「やりやがったな」という反応をする。でもそうじゃないんじゃないか。それなら、そこで芝居が終わりになる。長男ってぼんやりしているから、最初は意味がわからない。しばらく考えて「嘘だろ、子供にこんな芝居させて、親子で冗談じゃないよ。しょうがねえ、俺も嘘付かないと」となるんだと思う。僕はその解釈でやります。名前継がせてもらうのに、申し訳ないけれど、そこだけは違う。親父の「お前理屈だけじゃできないよ」って声が聞こえてきそうですねどね。》と語っていたのを知った。このあたりのアヤはわたしは全然わからなかった。何年先か、次回の『盛綱陣屋』見物のときまでにとっくりと考えておきたい。などなど、全体的にもいつにも増して思い込みの激しい見物になってしまったのも、それはそれでたのしかったかもと思う。さて、来月はどうなるか。

  • 十八代目中村勘三郎襲名披露『猿若江戸の初櫓』『俊寛』「口上」『一條大蔵譚』 / 歌舞伎座・昼の部(3月12日)

「勘三郎」と聞いてまっさきに思い出すのは2000年4月の歌舞伎座のこと。その勘三郎十三回忌追善興行は、わが数年の芝居見物のなかでもひときわ印象に残っている。当時は歌舞伎を続けて見物するようになって3年目という頃、まだ惰性的にはなっていなくて毎月に見る歌舞伎がいつも無心に面白かった。歌舞伎は見物3年目くらいがたぶん一番無邪気に面白いのかも。勘三郎追善興行のときは、昼の部の帰りの奥村書店で、渡辺保著『歌舞伎に女優を』を購って、そこに所収の若き渡辺保による戸板康二論を夜ふけに読んで、ひとりで熱くなっていたのをよく覚えている。思えば、わが戸板康二道がますます盛り上がらんとする時期でもあった。あれからちょうど5年。新之助の『助六』初演で始まった2000年は宗十郎さんの『蘭蝶』で終わった。『助六』は初日に見物したけど、海外に出ていたりとバタバタしていて『蘭蝶』の方は見逃してしまった。でも当時、渡辺保さんの劇評を読んで、見逃してよかったのかもとしょんぼりと思ったものだった。年が明けて初芝居は三津五郎襲名、劇場の椅子に座って筋書を開いたとたん、ハラハラと1枚の紙が落ちてきてあわてて拾うとそれは宗十郎休演のお知らせで、その文字をみたとたんスーッとすべてを悟り、約10日後に予想通りの悲報に接することになった。ああ、宗十郎さん! うーむ、それはそうと、2000年1月に始まる渡辺保さんの劇評集を早く買わねば…。

さて、5年前の勘三郎追善で見た演目に『俊寛』『一條大蔵譚』『髪結新三』『鰯売』があり、俊寛が仁左衛門、一条大蔵卿は吉右衛門でたいへん堪能だった。いま思うとなかなか珍品のキャスティングが味わい深い『髪結新三』はいなせな江戸っ子の菊五郎とは違う勘九郎ならではの新三により惹かれるものがあったので、5月の新勘三郎の新三はどういうふうになっているかがとてもたのしみ、わたしのなかでは、今回の襲名興行での一番の見どころなのだけれども、チケットは無事に入手できるのだろうか…。と、5年前の勘三郎追善と今回の勘三郎襲名は当然、演目がいくつか重なっている。中村屋の芸の系譜という点でもとても興味深いものがあるし、ここ5年間のわが芝居見物の歳月という点でもなにかと感慨深いのだった。で、今月の演目は、誰もが思うであろう通り、『俊寛』『一條大蔵譚』『盛綱陣屋』と、初代吉右衛門の当たり役が並んでいるというのが第一印象なのだったが、渡辺保著『中村勘三郎』によると、先代勘三郎は大蔵卿は当り芸だったけど、盛綱の方は失敗だったらしい。その両方の役を勘九郎、じゃない、新勘三郎はそれぞれどういうふうに見せてくれるのだろう。ああ、なんか気が張るなあと、緊張の面持ちで劇場へ向かった。もっとリラックス、リラックス、と自分に言いたい。


と、ソワソワしているうちに当日になってしまった勘三郎襲名披露見物であったが、1日目の昼の部が終わってみると、「襲名」というものはこんなにもいいものだったのだなアと、『一條大蔵譚』の舞台の余韻とともに、えもいわれぬほっこり感にひたることとなった。去年の海老蔵襲名では味わうことのなかったこの感覚はいったい何だろう。この「ほっこり感」はただひたすら嬉しいとか楽しい、というのではなくて、なんとなく感傷が伴ってもいるということに気づいた。5年前の先代勘三郎追善の追憶にひたったことで、いつのまにかひとりで勝手にちょっと感傷的になっていたのかもしれない。でもこの感覚がなんだか快楽でもあった。

一條大蔵卿は、5年前の吉右衛門、翌年の浅草歌舞伎の勘太郎に続いて、3度目の見物。戸板康二著『百人の舞台俳優』の先代勘三郎の舞台写真は一條大蔵卿で、前々から好きだった写真なのだけれども、初めて見たときは浅草歌舞伎のときの勘太郎にさすがによく似ていると思った。いつかぜひとも勘九郎で見たいと思っていたので、勘三郎襲名という晴れの舞台でその念願がかなったことをとても嬉しく思う.。3度目の『一條大蔵譚』といっても、過去の見物の記憶はだいぶあいまい。なので、今回、あたかも初めて見るような感じで見た(いつもこればっかし…)。

新勘三郎の特色としては、舞台に出てきただけで観客は嬉しくなるという、あふれんばかりの愛嬌というのがまず第一に挙げられると思う。というわけで、愛嬌たっぷりで見ているだけで理屈抜きに嬉しい「作り阿呆」の大蔵卿! というのが観劇前の自分内予想だった。が、舞台全体を見とおすと、予想とは全然違っていた。勘三郎の愛嬌で襲名というおめでたい舞台がひたすら楽しく嬉しく華やかになるのかと思いきや、さにあらず、勘三郎の愛嬌はほどよく抑制がきいているという感じ、むしろ、『一條大蔵譚』という物語全体が、すなわち、ここに登場する人物の交錯が、陰影とともにしみじみと胸にしみいってくる、といった印象だった。その要にいるのが大蔵卿、というような、劇全体のなかでの大蔵卿の存在の際立ち具合が絶妙だった。

勘三郎の大蔵卿の存在感が絶妙というのは、舞台全体のアンサンブルがとてもよかったということである。襲名披露ならではの豪華な配役で、鬼次郎とお京が仁左衛門と玉三郎で「ご馳走」。常盤御前が雀右衛門で、助五郎改め源左衛門と小山三が脇に控える。女形の長老に、現在の歌舞伎界きっての大スター二人、中村屋一門のベテラン二人が脇にいて、真ん中に本日の主役新勘三郎。と、ここに登場の役者がそのまま中村屋を取り囲む役者の配置図を形成しているというのを目の当たりにしたことで、襲名興行の特別さ、ということが初めて実感としてよくわかった気がする。そして、襲名披露に参加する役者のアンサンブルがそのまま芝居の登場人物のアンサンブルとなることで、『一條大蔵譚』という物語が単なる「作り阿呆」の技巧を見せるだけでなく、3組の夫婦の群像劇を見せる芝居となり、その要に一條大蔵卿の人生がある、というような感じだった。「歌舞伎」を通して感じる大蔵卿の「人生」、大蔵卿の「人生」を通して感じる「今日の歌舞伎」。いい舞台を見るたびにいつも思う、歌舞伎を見るということは演目そのものを見るだけではないというような、歌舞伎独特の二重構造を体感した時間となった。

なにしろ、初めて見るような感じで見たので、『一條大蔵譚』の劇としての演出そのものにまずはウキウキ、さっそく歌舞伎のよろこび全開だった。今回は「檜垣」と「奥殿」の上演、勘三郎の「曲舞」をいつかぜひとも見たいものだなあと思うけれども、「檜垣」は日中の屋外の光景で、その緩やかさと音楽的歓びとが合わさってさながらプレリュードのよう、クライマックスの夜ふけの「奥殿」で諸々の真相が判明し、最後にパッと発散するように夜明けとともに大蔵卿が元の阿呆に戻るという円環。「檜垣」と「奥殿」とがまとまることで全体がひとつの音楽のような立体感で、そこに彩られる諸々の「歌舞伎のよろこび」がひたすら眩しかった。

「檜垣」では能狂言が芝居の素材になっていることによる独特の端正な下座音楽の笛と唄が美しく、そこにひたりながら、ゆるやかに大蔵卿の「作り阿呆」を眺めて、ほんわかと嬉しい。勘三郎を眺めるのもたのしければ、応対する小山三の鳴瀬がなんだか絶妙で、ふたりの問答のくだりは眺めていると次第にふわっと酔ってくるような心持ち。お京が舞を披露するところのだんだん昂揚してきて、大蔵卿が調子を合わせてノリノリになるところや、鳴瀬、お京らが連れ立って屋敷へと帰っていく幕切れの緩やかさがとてもよかった。勘三郎の「作り阿呆」は、可笑しくて可笑しくて、という感じではなくて、見ていると次第にほっこりと酔ってくる、という感じ。品がある、のだと思う。小山三の鳴瀬の応対ぶりともども、見ているうちにますますほっこりと心あたたかになってくる。そんな酔った心持ちのまま「奥殿」を迎えることとなる。

歌舞伎を見ているといつも、時間の経過といったものがとても面白い。クライマックスはたいてい深夜だ。『一條大蔵譚』の「奥殿」では、「子の刻」が過ぎた頃に屋敷に忍び込む鬼次郎、目指す常盤御前は「丑の刻詣」の念力で矢を射っている、という「子」→「丑」という時間経過、最後は「暁の明星が西にちらり東にちらり」で大蔵卿の「あらもう夜明け」のセリフで幕切れとなる、といったような、ドラマの背後にある夜ふけの時間経過描写が今回もゾクゾクと面白かった。鬼次郎は先ほどと同じ黒い衣裳で、腰元に召し抱えられた玉三郎のお京は黒い着物に着替えている。その両者の黒い衣裳が夜ふけのシーンに絶妙に調和している。玉三郎の着物が先日見たばかりの「十種香」の濡衣によく似ているので「あっ」と思った。濡衣は裾は白だったけど、お京の着物は萌葱色の裾だった。スパイ風の腰元という点では共通している役柄だなあと思い出して楽しかった。玉三郎はこの衣裳がとてもよく似合う。

3組の夫婦の群像劇としての『一條大蔵譚』、ということをヒシヒシと感じたのは、雀右衛門の常盤御前が存在感バッチリでグッと胸に迫るものがあったのが一番の要因かと思う。素晴らしかったというか濃厚だったというか。常盤御前の半生はなんと数奇なことだろうという、その数奇さが雀右衛門の常盤御前を見ているとスーッと浸透してきて、見ているだけで常盤御前という人とその人生がよくわかる、といった印象だった。鬼次郎に責められて今までの顛末を明かすところでは、これといった動きがあるわけではなく、ところどころで扇子を幾度か動かすくらいだけど、震わせるように扇子を顔に当てるところとか扇子で顔を隠して静止するところとか、いくつかの所作の積み重ねとセリフの経過を耳で追うだけで、なんて数奇な運命だろう、という事実に胸が震えてくる。思えば夜な夜な矢を射る常盤御前の異常さ。そして、大蔵卿がパッと鑓を持って登場し、「作り阿呆」だったという真相が判明するあとのところでは、「作り阿呆」という一世一代の芝居をうつしか方法がなかった、というような大蔵卿の半生の陰影が、常盤御前の数奇な運命と対になるような感じでしみじみと胸に浸透してきた。さらに、今までの顛末を語る大蔵卿の勘三郎のセリフを耳で追っているうちに、『一條大蔵譚』の構図が鳥瞰的に見えてくるような気がして急にグッとなった。雀右衛門の常盤御前のあとで、勘三郎の大蔵卿の人生を思い、そして、勘三郎のセリフを聴いて、『一條大蔵譚』は3組の夫婦それぞれのストーリーなのだとヒシヒシと胸にしみいる、という展開。鬼次郎とお京という夫婦がいて、常盤御前と大蔵卿がいる。そして、鳴瀬と夫の勘解由がいる。

本当は阿呆ではなかった大蔵卿に切られる勘解由、二人の立ち回りとその下座音楽もよかった。助五郎改め源左衛門の勘解由はセリフの言い回しが、なんとなく古風で、ラジオで昔の役者の声色を聴いているような感覚で面白かった。と、小山三と源左衛門のコンビがなかなか絶妙で、「脇役賞」という感じ。大蔵卿の長セリフで3組の夫婦が軸になった『一條大蔵譚』というストーリーが提示されてグッとなったかと思ったら、夜の終わりと同時に、大蔵卿は元の阿呆へと戻り、舞台はパッと明るくなる。勘解由夫婦が死んで、鬼次郎とお京は出発し、常盤御前と大蔵卿は昨日と同じ毎日だ。大蔵卿のセリフで陰影あふれる『一條大蔵譚』の世界が明らかになったあとで、その苦みをパッと発散するように大蔵卿は「あら、もう夜明け」と高らかに笑い、足拍子を踏む。そして、また新しい1日が始まる。と、そんな幕切れとともに、なんとなく「人生」というようなことを思って、余韻がとっても深かった。そんな余韻を醸し出す勘三郎の大蔵卿は、とても品があり、ほどよく愛嬌はあって苦みもある、物語の要にもなっているしきちんと主役でもある。たいへん絶妙だった。その勘三郎の大蔵卿をわたしはたいへん好ましく思った。そして、勘三郎の大蔵卿がこういう感触だったということはまったくの予想外で、歌舞伎って面白いなあということに次第にホクホクと嬉しくなってくる感じなのだった。襲名という舞台でこういう感触を得た、というなりゆきをとても幸福に思った。

などなど、無駄に長く書き連ねてしまっただけでちっともまとまらぬが、『一條大蔵譚』は襲名興行ならではの豪華さがあり、その豪華さは実際に劇場に居合わせないとわからなかったのは確実だったので、見ておくものだなあとしみじみ思った。新勘三郎の現在の境地のようなものがなんとなくわかった気がするとともに、現在の歌舞伎を鳥瞰したような気にもなった。という、「気がする」という曖昧な言い回ししかできないのだけれども、『一條大蔵譚』という芝居そのものにグッとなるのみならず、「今日の歌舞伎」というようなことを思って、「襲名」とはこういうことだったのか、と自分なりに心に刻んだ昼の部だった。とにもかくにも、こんな感触はまったくの予想外だった。


『一條大蔵譚』と同じく、初代吉右衛門の当り芸であるとともに先代勘三郎の当り芸でもあったという『俊寛』は幸四郎。今回の襲名興行の詳細を知ったときは、すでに一度見ている幸四郎ではなくて、同じ『俊寛』なら勘三郎を見たかったなあとぶつくさと勝手なことを思った。前回幸四郎の俊寛を見たのは、筋書の年表を確認すると、ちょうど3年前。この月は仁左衛門と玉三郎の『十六夜清心』がとても面白かった、幕見席で見た富十郎の『文屋』がたいへんな絶品だった、ああ、文屋……。と、油断するとすぐに追憶にふけってしまうのだったが、吉右衛門の俊寛を見逃しているのは無念であった。吉右衛門といえば、思い出の5年前の勘三郎追善のときは丹左衛門、「竜神巻」の衣裳がびっくりするくらいに見事なまでに全然似合っていなくてインパクト大、今でも鮮やかにあのときの吉右衛門を思い出しては笑ってしまうのであった。

などと、すでに見ている幸四郎の『俊寛』ではなくて、もっと違うお芝居をと思ってしまって、特に深い考えもなく、舞台に接することになってしまった『俊寛』であったが、いざ見てみると『俊寛』の芝居そのものがまずはとても興味深くて、「またか!」と言うならばそれなりに事前に準備をするべきではなかったかと大いに反省をした次第。見ている途中、突然、武智鉄二の劇評を思い出した。『かりの翅』所収ののちの八代目中車、当時八百蔵の俊寛を評したもので、全然解読できていないにも関わらず、前々からとても好きな文章だった。とにかくもたいへん感動的な劇評。ああ、あの劇評をじっくりと事前に読んでおくべきだったなあと後悔しきりだった。

海外公演でも好評だというのがいかにもな、『俊寛』における普遍性といったものが、幸四郎の俊寛を見ているとよくわかるような気がして、まずはそこが面白い。見ているうちにシェークスピア劇っぽくも見えてくるという、幸四郎ならではの味わいが前回も今回もとても面白いと思った。特に、赦免状に自分の名前がないのを見て愕然とする「ないッ!」のあたり、絶望する俊寛が横臥する所作をするところのちょいと大袈裟でもあるような芝居くささ加減が幸四郎にぴったりで、見ているうちに次第に嬉しくなってくる。このあともいかにも芝居くさい所作がいくつか続いて、クライマックスの最後一人残った俊寛が両手を振り上げて叫ぶところで、「来た−! ここが今までの芝居くささの絶頂だー!」と心の中で大いに盛り上がってしまった。なんて、揶揄しているわけでは全然なくて、幸四郎の俊寛における新劇チックなところを見ることで感じる『俊寛』における普遍性ということがとても面白かったのだった。

梅玉と段四郎の上使がそれぞれ好きだった。それぞれいかにもぴったりな役柄、梅玉は、瀬尾が俊寛に切られるところの丹左衛門のセリフで観客がクスクスッと笑うようなおかしみが絶妙で、その口跡がとてもよい。どうしても左團次の印象で固まってしまう瀬尾が段四郎だと改めて面白くてその威風堂々がとてもよかった。瀬尾と丹左衛門の「関所」云々というセリフで、そういえば、この場は関所なのだということにやっと気づいたというか目を開かされた感じで、梅玉が出ていた1月の『御摂勧進帳』のことを思い出した。同じ関所の番人で、同じ二人上使で、同じ竜神巻の衣裳。こういう岩永・重忠パターンの二人組はいつから始まったのだろう。さらに思い出すのが『忠臣蔵』の四段目の石堂と薬師寺で、彼らは竜神巻ではなくて、実録っぽい衣裳だ。とりあえず、戸板康二著『忠臣蔵』を参照すると、この二人の上使が現在のような衣裳になったのは写実好きの初代仲蔵が薬師寺をしたときが最初だった、とあった。

などなど、とりとめがないけれども、さすがに『俊寛』は奥が深くて、このほかにもいろいろな懸案を残した『俊寛』であった。「またか!」なんて言わずに、次回の上演のときにはもっと解剖していたいものだなと思った。


昼の部のはじまり、すなわち、勘三郎襲名興行見物のはじまりは『猿若江戸の初櫓』。勘太郎の踊りがびっくりするくらいにすばらしくて、びっくりするくらいに、びっくりだった(なんのこっちゃ)。眩しくてたまらないながらも、見ているうちに心穏やかになってくるという不思議な感触。それにしても、なんてすばらしかったのだろう。昭和62年に勘九郎が初演して以来の上演だという、勘三郎襲名の幕開けにぴったりの勘太郎の猿若。出雲のお国は初演のときと同じ福助なのだなあと思っていたら、七之助の代役であったとあとで知った。まあ、七之助はおドジで気の毒なことであったが、勘太郎の猿若で始まって、勘三郎の大蔵卿で締めた昼の部を見通すと、現状肯定というか、それはそれ、これはこれ、といったように心穏やかになってくるのも嬉しいことだった。


  • 十八代目中村勘三郎襲名披露『盛綱陣屋』『保名』『鰯賣戀曳網』 / 歌舞伎座・夜の部

『盛綱陣屋』は一昨年の顔見世の吉右衛門所演のときにたいへん満喫して、今でも鮮明な記憶。なので、いつものような「あたかも初めて見るような」ではなくて、おなじみの演目をあらためてじっくりと勘三郎で見直す、といった感じで舞台に接することになって、自分としては理想的な態勢で見物することができたと思う。

一昨年の吉右衛門のときは、参照した過去の国立劇場の上演資料集がとても面白くて、おかげでじっくりと『盛綱陣屋』の復習(のようなもの)ができたのがよかった。そこに掲載の杉贋阿弥の『舞台観察手引草』と三宅周太郎の「『盛綱』の決算」という文章が特に面白くて、演劇書の歓びみたいなものに感激したものだった。と言いつつも、いずれもあまり解読できてはいないのだけれども、解読できていないなりに面白い。さらに解読できたらさらに面白いのだろうと思うとワクワクする。実は当時すでに、杉贋阿弥の『舞台観察手引草』は演劇出版社版を所有していたのだけれども、ほとんどページを繰ることなく書架に収めただけで満足して日々が過ぎていた。『舞台観察手引草』のことを知ったのは戸板康二の「五つの演劇論」という文章(『夜ふけのカルタ』所収)がきっかけで、「歌舞伎を知るための特級の名著」と熱く書いてあるのを見て、とりあえず心に刻んでいたのをある日、安く売っているのを発見して、そのまま買っておいたのだった。で、吉右衛門の『盛綱陣屋』に大興奮し、その心の持って行き場を埋めようと、なんとはなしに上演資料集のコピーで『舞台観察手引草』を目の当たりにし、『舞台観察手引草』とはこんなにも面白い本だったのか! と入手3年目にして、ようやく知ることとなった。とりあえず、『舞台観察手引草』がとても面白いということが実感として少しはわかっただけでも、わたしとしては大収穫でたいへん嬉しいことだった。というわけで、『盛綱陣屋』はわたしのなかで、『舞台観察手引草』を知ったという点で記念碑的な演目なのである。

『舞台観察手引草』の「佐々木盛綱」の書き出しの一節は、

大物と言う大物の中にも、所謂「近江源氏」の小四郎恩愛ほど、しどころの多いものはありません。まず第一が「思案の扇」から「聞分けてたべ」の性根場、次が注進受、次が首実検、扨その次が本心の物語で、至難と聞ゆる「褒めて遣れ誉めて遣れ」の大芝居、殊には和田兵衛との詰開きが二度あって、例の三河屋なども「あれほど堪能する役はありません」と言っていました。しかし実検物の常として、複雑な割に動きがなく、腹と貫目を見せるのみで、華美な部分は微妙と和田兵衛に取られ、実盛の半ばも前受けは致しませんが、真の渋味や緻密の表情をかみ分ける見物には、必ず身に浸みて印象を留めるのであります。要するに盛綱という役は、手を叩かすべき代物ではありません。

というふうになっていて、『盛綱陣屋』好きとしては、この書き出しを見ただけで嬉しくてしかたがない。なにがそんなに嬉しいかと問われるとよくわからぬのだけれども、盛綱好きの人に聞けばこの嬉しさをわかってくれるに違いないと思う。実際に聞いたわけではないけど。

それから、三宅周太郎の「『盛綱』の決算」という文章もとても面白い。羽左衛門と吉右衛門の盛綱のそれぞれのよいところをとった盛綱が最上の盛綱だというようなことが書いてあるのだけれども、今回、勘三郎の盛綱を見ていて、短絡的にその三宅周太郎の文章のことを思い出したのだった。今まで見た勘九郎のなかで好きな舞台を思い起こしてみると、『娘道成寺』や『藤娘』といった踊りのほかに思い浮かぶのは、わたしの場合は実盛と弁天小僧、六段目の勘平、『先代萩』の細川勝元、ほかにもいろいろありそうだけど、まずはそんなところだ。細川勝元は歌舞伎を今まさに見始めたまなしという8月の歌舞伎座で見たので極私的に、パ―ッと明るいところが妙に心に残っている。という、勘九郎の細川勝元や実盛がわたしは好きだったのだ、といったような今までの勘九郎見物のことを、今回の盛綱、特に後半の一番最後の衣裳のところの盛綱を見て、まざまざと思い出して、たいへん感慨深いものがあった。そんなことを思い出すなんて、まったくの予想外だった。「襲名」という言葉にとらわれていただけかもしれないけれども…。と、それはさておき、「捌き役」がぴったりの十五代目羽左衛門、といったようなことを漠然とだけど思い出してしまうような盛綱、しかし、パーッと明るくさわやかなだけではなくて、全体を見とおすと、ほどよく渋くほどよく抑制もされていて、風格たっぷり。ここにいる登場人物全員、すなわち家族の物語のなかでの盛綱といった鳥瞰的な見方をもさせてくれる感じ。昨日見た一条大蔵卿での思い込みを引きずったまま見物した盛綱だったので、なおのことそんなことを思ったに違いないにしても、『一條大蔵譚』とおんなじように、「襲名」ならではの大舞台ということをヒシヒシと感じて、たいへん満喫した『盛綱陣屋』だった。

前回堪能した吉右衛門のときとおんなじように、『盛綱陣屋』という芝居そのものがまずはとっても面白い。しみじみ見事だと思う。戸板さんが好んで使う言葉で言うと「高等数学」のような緻密さで、その「高等数学」ぶりに全編でクラクラなのだった。そのクラクラ感は吉右衛門のときとまったく同様で、舞台の進行を目の当たりにするだけで楽しくてしかたがない。舞台の進行を追うだけでもたのしいのに、今回の『盛綱陣屋』は配役が襲名ならではの豪華さで、富十郎の和田兵衛は磐石だし、魁春と福助の早瀬と篝火コンビはそれぞれにぴったりの配役でそれぞれの姿を見ているだけで嬉しく、そして、微妙の芝翫、篝火の福助、小四郎の児太郎と親子三代の共演による、濃厚なオーラが無類だった。1月の『土蜘』の興奮をさらに濃くした感じ。…と、そういう目で見ているからだと言ってしまえばそれまでだけど、勘三郎を中心にした一家共演に富十郎が華を添えるといった大舞台で、襲名興行の歓びがヒシヒシだった。

それにしても、『盛綱陣屋』は面白い。この渋味、この滋味という、五臓六腑にしみわたる感じが非常にわたくし好みなのだった。盛綱の「替り目」だという「思案の扇からりと捨て」のところ、小四郎を殺すようにと微妙に頼むところの辺りを見まわして母の膝に近づいていくところ、母に頼む長セリフの微妙な変化、後半で声がうるんできて「肉親と肉親の」でクライマックスになるそのセリフまわしの絶妙さ、そして、「修羅の巷の責太鼓」の竹本で扇をバチに見立てて3度打ってからキマルところ、などと、いちいち書いていたらキリがないけれども、しみじみ見事なのだった。勘三郎の盛綱の楷書のセリフと動きで、これらの型を眺める歓びを満喫。おのずと『盛綱陣屋』が家族ドラマなのだということが、実感としてよくわかって、家族ドラマということが通底している『盛綱陣屋』というのを、今回とみに堪能したように思う。

時間が迫って、夜になるという時間の変化ということが、『盛綱陣屋』でも典型的におもしろい。鐘の音をきっかけに微妙と盛綱の割りゼリフがあり、鐘の音と同時に二人の腰元がぼんぼりを持参し、盛綱は退場、このあと、篝火が登場して、早瀬が登場して、小四郎が登場して、微妙と小四郎の二人になり…、といった段階段階の舞台にいる人物の変化がリズミカルで、極度に洗練された舞台運びがいちいち面白い。このあとの、木戸越しに様子を伺う篝火と小四郎を説得する微妙といった、木戸を挟んだ小四郎を軸にしたシンメトリーが実に見事、シンメトリーというと、小四郎を挟んだ微妙と盛綱、ということも同時に思った。このときの木戸越しの親子三代共演が濃厚なオーラで、小四郎を見て高綱によく似ているという微妙のセリフを聞いて、ふいに涙目になってしまうのだった。和田兵衛の花道の引込みのあとに後見が設置した木戸は、早瀬と篝火が対面するところで後見が片付ける。そのあたりの舞台の急展開が見ていて爽快で、衣裳替えした盛綱が登場して小三郎を呼び、注進受けとなる。高綱の戦死を聞いてしんみりするところでもしっかりと家族ドラマぶりが際立ち、二人の注進の性格の違いも面白かった。

などと、つい無駄に長く書き連ねてしまうのだけれども、勘三郎の盛綱はその最大の見せ場の首実検のところがとりわけゾクゾクと面白かった。首実検のなかの三段階の変化、高綱の本意を知る→小四郎の健気さを思う→自身の切腹を決意、の最後のところ、「相違ない」と口にするあたりの爽やかさが勘三郎は無類だった。思えば、幕開きから悩みっぱなしだった盛綱。しかし、「相違ない」に至るところで、盛綱は一番納得のいく解決方法に初めて直面したのだ。自分が切腹をするという決意は悲壮ではあるけれども、スパッとひとたび決意してしまえば、今までのモンモンとした不安定と比べれば、こんなにスッキリなことはない。死んだとばかり思っていた高綱は実はこんなに手の込んだことを考えていたとは、と、してやられたとニヤリともしてしまうのだ。…といったような、今までの盛綱の鬱屈がパッと発散されたかのような感覚がとても面白くて、目が醒めるようだった。やっとスッキリした盛綱はひとたび切腹を決意してしまえば、強く明るく爽やか。偽首と知った微妙のセリフで感じる家庭劇の複雑さのようなものも面白かったし、それを受けての盛綱の長セリフもしみじみ見事で、「誉めて遣れ」のセリフの爽やかさとパ―ッと明るい見得がまたなんとも絶妙だった。目の見えない瀕死の小四郎がわかるように扇で床を叩く盛綱の動きなどなど、勘三郎の所作のひとつひとつがとてもよかった。首実検のあとの勘三郎で、勝手に十五代目羽左衛門というようなことを思って、「捌き役」という役柄のことを思って、かつて見た勘九郎の実盛や細川勝元のことを思い出し、前半の渋味もよかったと追憶し、全体のアンサンブルも絶妙だったと『盛綱陣屋』全体を振り返る。見ているこちら側も発散されたかのような感覚であと味すっきり。だけど、和田兵衛とふたりでキマる幕切れのところの陣太鼓でなんとなく無常感もただよってくる。余韻はとっても深かった。

まとめてみると、勘三郎の盛綱は前半の渋味と後半の爽やかさの使い分けとそのバランスが絶妙で、目が醒めるような盛綱だった。でも盛綱ばかりが屹立せずに、『盛綱陣屋』というお芝居全体の構図も、その豪華な配役でたいへん堪能だったし、『盛綱陣屋』を彩る型の見物もとても面白かった。

富十郎の和田兵衛も実に見事であった。セリフと動作、ともにすばらしい。印象に残ったところを振り返ろうとあとで脚本を見たら、前半に帰るところの「御馳走ならば湖もかえ干して御目にかけん。お肴の飛道具、鑓薙刀の串肴、何本なりとも賞玩いたす」というセリフがいいなあと思った。お酒好きの和田兵衛、後半では「和田兵衛秀盛、御陣所へ参りし所、日頃好める酒を強いて、酔い臥させ、居間の四方に金網をかけたれば、籠の鳥と思いの外のしれ者にて、隠し火矢を持って屋根を打ち抜きし、御座の間の白旗を奪い取って…」云々という報告が入る。ああ、富十郎の『五斗三番』を見たかったなあとしつこく思うのであった。と、それよりも、『近江源氏』の丸本を読んで、和田兵衛の洒脱ぶりをもっと読み込んでおくとするかな。


……と、『盛綱陣屋』が見られるというだけで嬉しい夜の部だったので、『盛綱陣屋』のあとは、それまでの気の張りを和らげるべく休息、というような展開になるかと思いきや、『保名』も『鰯売』もなかなか面白くて、今月の歌舞伎座はすべての演目において、それぞれに満喫だった。

『保名』は今まで何度も見ている気でいたけれど、仁左衛門で初めて見て、次は芝翫、そして今回再び仁左衛門と、3度目の見物であった。思い起すのは、平成15年1月の歌舞伎座の芝翫で、このときに思いのほか、『保名』って面白いなあとウキウキだった。平成15年は歌舞伎400年とやらで、1月の歌舞伎座は助六やら弁天小僧やら娘道成寺に寺子屋、とおなじみの演目を豪華な配役で、という舞台だったのだけれども、このとき歌舞伎への感度が思いっきり鈍ってしまっていたのかなんなのか、いずれもあんまりたのしめず、初芝居の昼の部ではお正月早々むなしく劇場をあとにしたのをよく覚えている。下旬に見た夜の部も同様にあまりたのしめず、演目と配役が豪華なだけにむなしさだけが際立つことになった。いったい、なにがどうしたのだろう。と、それはさておき、問題の平成15年1月の歌舞伎座で唯一面白かったのが、芝翫の『保名』であった。菜の花畑の舞台装置が実に美しかった。と、『保名』という踊りそのもののおもしろさを、今回あらためて仁左衛門で見て、あらためて満喫だった。真ん中の廓のところがとても面白くて、踊りのなかの空間変化、時間変化といった、素朴な歓びにひたった。廓風景をホクホクと眺めているうちに、なんとなく廓が舞台の落語のことを思い出したりするのもたのしい。最後に、下座に笛が入ってパッと終了することがなんとなく新歌舞伎っぽい。無意識のうちに、六代目菊五郎の大正、ということを面白がっているのかなあと思う。

5年前の勘三郎十三回忌追善興行のときに初めて『鰯売』を見た。三島由紀夫作の歌舞伎! と見る前はたいそうワクワクしていたのだけれども、いざ見てみると、もちろん悪くはないのだけれども、まあ、ほんわかと予定調和を軽く楽しむという感じで、1度見ればそれでいいかなあと思ったものだった。というわけで、今回の『鰯売』も実のところ、あまり期待はしていなくて、まあ、最後に軽く襲名興行見物の疲れをいやすとしようという程度の気持ちだったのだが、これまた、いざ見てみると、思いのほか満喫だった。ここ5年間に見物を重ねていたことで、『鰯売』を彩る三島の作劇精神というか、パロディを見ることで三島の歌舞伎観というものを前回とは別の感慨で見ることができたという興奮が第一。『鰯売』を彩る三島の批評眼があらためて見ると、なかなか面白かった。緻密に伏線を用意しているという、三島の用意周到ぶりにもにんまり。そして、ここにあるのはやっぱり予定調和というか、勘三郎が初演だったという「家の芸」ならではの安定感なのだった。襲名披露1ヶ月目を締めくくるにふさわしいポワーンという幸福感。劇場全体がその独特の幸福感に覆われて、中村屋の特別のファンではない者にとっても、居合わせるだけで理屈抜きにリラックスして嬉しくなってくる、という特別なオーラがなんだかとってもよかった。


『鰯売』の初演は昭和29年11月。「銀座百点」の座談会で三島由紀夫が登場したときに、『鰯売』の脚本のなかでひとつだけ戸板康二のアドヴァイスで直しを入れた、と三島が語っていたのを思い出す。勘三郎の時代は、そのまま戸板康二の活躍した時期と重なるわけで、戸板さんの時代、ということをこれからもっと考えていきたいと思った。勘三郎と戸板さんというと、矢野誠一著『戸板康二の歳月』のなかの勘三郎のことを思いだし、『戸板康二劇評集』のなかの勘三郎のことも思い出す。戸板さんの劇評は勘三郎のときはひときわ面白い、という気が前々からしている。

冗長過ぎる今月の芝居日記、最後に、冗長ついでに、戸板康二著『百人の舞台俳優』の「中村勘三郎」を記念に抜き書き。

俳優として、このくらい、明暗こもごもの時期を持った人は、すくないのではあるまいか。
昭和七年に結成された青年歌舞伎が、新宿にあった新歌舞伎座(のちの第一劇場)を定打ちの小屋にしていたころ、当時のもしほは、一年に五つ六つの傑作を残す、大した秀才であった。
点のからい劇評家の岡鬼太郎が、「寺子屋」の千代をほめ、「炬燵」のおさんをほめ、「夜討曽我」の十郎をほめ、「忠臣蔵」の判官をほめた。
そのもしほが、蓑助今の三津五郎のあとから、東宝劇団にはいって数年というものは、まったく雌伏した。
「官員小僧」なんて芝居のもしほは、見るのが気の毒のような舞台であった。
戦後、勘三郎という中村座々元の名跡をついだあと、いつどうなったのか、今は正確にはいえないが、何ともうまい役者になっていた。
兄の初代吉右衛門よりも、義父に当る菊五郎を崇拝しているらしく、演目もある時期までは、六代目のものをしきりに演じた。そういう中では、初演の時の髪結新三が、すごいほどよく、それに次いでは、筆屋幸兵衛がすばらしかった。
新三が永代橋で忠七を傘でぶちのめし、「ざまァみやがれ」といって片手で傘を開く時の、腰のひねり方などは、見てぞくぞくとしたものであったし、幸兵衛が発狂して筆をうしろに抛る時では、ぞっとした。
そういううまさは、大病をしたあとに、出て来たもののように思われる。
近年、兄吉右衛門の演目を、たとえば「馬盥」の光秀、佐野次郎左衛門、「湯殿」の長兵衛、団七と、しきりに演じるが、やはり芸風は、菊五郎の演目に向いているようだ。「夏祭」では、団七よりも、二役替わったお辰が、よほどよかった。こんなお辰は、当今無類だ。
人間にも癖があり、だから酒乱の役の「檻」(長谷川伸作)がおもしろかったりするのだが、だから当り役には、特殊な傾向がある。変わった条件を持った役がうまいのだ。一条大蔵卿はそういうひとつである。
【戸板康二『百人の舞台俳優』(淡交社、昭和44年)より「中村勘三郎」】