読む人

来るときはわりあいあたたかだったのに、昼の部が終わって歌舞伎座の外に出てみると空気がずいぶんヒンヤリしている。勘三郎の『一條大蔵卿』にわたしはとても驚いてしまった。見る前にうっすらと予想していたのと全然違う種類の素晴らしさ、「襲名」というのはこういうことだったのか、この調子でいくと明日見物の『盛綱陣屋』はどういうことになっているのだろう、といったような芝居日記は夜の部と一緒に明日(付けの日記に)書くことにして、ぼんやりしながら都営浅草線に乗り込んで、高輪台へ向かった。歌舞伎座からのアクセスがたいへん便利で嬉しい。

新・読前読後(id:kanetaku:20050311)に洲之内徹のことが書いてあって嬉しい。画像は、林哲夫さんによる洲之内像がなんとも素敵な「ARE」第6号の洲之内徹特集号(1996年8月発行)、部屋の本棚に立てかけて飾っているお気に入りの本で、以前、音羽館に1冊だけ残っていたのを嬉々と買ったもの。

「sumus」を手に取ったのは、洲之内徹にメロメロになった直後に、おや、洲之内徹特集の雑誌があるぞとアクセスで発見したのがきっかけだった。そもそものはじまりは洲之内徹だった。

展覧会メモ

  • 林哲夫素描展 読む人 / 啓祐堂ギャラリー *1

絵は、展覧会で見るのと本で印刷されたのとでは大違い、という、しごく当たり前のことがフツフツと嬉しくなってくるような、なんとも素敵な空間で、この素敵さは実際に会場と居合せないとわからなかったのは確実なので、見に来ることができて本当によかったと嬉しかった。一昨年秋の麻布十番のギャラリーの展覧会も満喫だったけど、今回の素描展もとてもよかった。油彩画は2点、岩波文庫のチェーホフを描いた作品にうっとり。素描は「読む人」というタイトル通りに、街かどのあちこちに遭遇する、本を読む人、新聞を読む人、書類を読む人、携帯電話の画面を読む人……といった感じに、「読む人」さまざまを描いている。白い紙1枚に一人ずつずらっと壁一面に「読む人」が掲げられている。1枚に一人ずつ描かれる「読む人」を見ているうちに次第に、ああ、そうか、何かを読んでいる時間というのは一人きりの時間なのだ、という、これまたしごく当たり前のことに、しみじみと感じ入ってくるのだった。紙1枚1枚を続けて眺めることでの、一人きりの時間の連鎖といったものが、うーん、うまく言葉にできないけれども、とてもよかったのだった。風格たっぷりの古書肆のこじんまりしたギャラリーという舞台装置も完璧だった。いつもながらに、書物と美術、のつながり、といったことを満喫したのと同時に、書物と美術のつながりといったものを別の角度から見た、という気にもなって、なんとも素敵な時間および空間なのだった。

購入本

  • 林哲夫『読む人』(スムース文庫07、2005年2月)
  • 『歸らざる風景 林哲夫美術論集』みずのわ出版(ISBN:4944173296

予定通りに啓祐堂ギャラリーで待ち遠しかった本を。同時に入手のフリーペーパー「クチン」と3点セットで悦に入った。

実際に展覧会を見たあとで購入のスムース文庫『読む人』は、今回の展覧会の図録的なものとなっているのだけれども、それだけではない。こちらは、展覧会とは違った感覚で「書物」にまつわる歓びを味わうことができるという仕掛けがほどこされてあるのである。というのは、こちらは「読む人」の素描が1枚の紙に一人ずつではなくて、1ページに一人ずつだったり二人だったり三人だったりと異なり、絵の配置にもページごとに変化がある。ペラペラめくってもたのしいし、1ページずつじっくり眺めるのもたのしいのだけれども、こちらの『読む人』のミソは、林哲夫さんによるあとがきにあったのだった。とにかくも、このあとがきがとても面白い。以前読んだ、川本三郎さんの『雑踏の社会学』(ちくま文庫)のことが登場しつつ、町中でスケッチする人の話題になり、このあと「束見本」のことが登場する。小道具は束見本、この「ツカ見本」についての文章がとてもよかった。と、「書物エッセイ」としても絶品のあとがきなのだけれども、束見本をスケッチブックとして利用、というくだりを目にして、急に目から鱗、《そうやっておもむろに電車の中、駅のホーム、書店の前などで本を読む人々をスケッチする。》というくだりで、「読む人」の素描の誕生秘話(?)が明らかにされる。うーん、なるほど! と、あらためて『読む人』のページをパラパラと繰ってみると、今度はこの「スムース文庫」が林哲夫さんの手にしていた「束見本」の再現のようにも見えてくる。たいへん味なことであった。表紙の独特の色合いも実に美しくて、大切にしたい小冊子。それにしても、やられた、とフツフツと嬉しかった。

「束見本」と聞いてまっさきに思い出すのが、都筑道夫の『猫の舌に釘を打て』。などなど、いろいろと書物に思いをめぐらせて愉しい。会場で購入の『読む人』には1冊ごとに直筆の俳句がほどこされいて、わたしが手にしたのは《見世びらき する書店あり 初櫻》というもの。などなど、いつまでも嬉しいスムース文庫の『読む人』であった。見世びらき、するとするかな、と思ったりも。

神保町の書肆アクセスや東京堂でも目にしていたけれども展覧会場で買おうと待つことにしていた『帰らざる風景』は、一緒に置かれてあったフリーペーパー「クチン」に掲載の、林哲夫さんの「本造り略伝」という文章と同時に入手ということとなり、さらにオツなこととなった。甲鳥書林の堀辰雄を「パクッた」という完璧に旧漢字使用の奥付、検印紙、「工夫を加えた」という栞、「不思議な板紙のカバー」(「書套」という言葉を初めて知った)、「明治期の出版物から複写している」というタイトル、などなど、うーむ、これで3000円というのは安過ぎなのではないだろうかという、1冊まるごとがまさに「作品」という感じのぜいたくさ。うーん、金子さんが手にしたらヨダレものなんじゃないかしらと思った。……と、「かたち」ばかりではなく、中身の美術論集も見逃せないものばかりで、大切に読んでいくとしよう。タイトルになっている洲之内徹論の「帰らざる風景」の初出は、上の画像の「ARE」の洲之内特集号、というわけで、洲之内徹をきっかけに「sumus」を知った、となりゆきを追憶して、しみじみとなったりも。

歸らざる風景 林哲夫美術論集:http://www.geocities.jp/sumus_livres/kaerazaru.html


  • 渡辺保『中村勘三郎』(講談社、1989年)
  • 清水俊二『映画字幕の作り方教えます』(文春文庫、1988年)

石黒書店での合計1000円ショッピング。なんとグッドタイミングの『中村勘三郎』!

  • 馬場孤蝶『明治の東京』(中央公論社、昭和17年)
  • サッカレ/平井呈一訳『床屋コックスの日記 馬丁粋語録』(岩波文庫、1995年第5刷)
  • 井伏鱒二『人と人影』(講談社文芸文庫、1990年)

日没後、待ち合わせてひさしぶりにとあるレストランに出かけたら、軒下に不吉な貼紙があって一瞬「ムンクの叫び」状態に。が、よくよく見ると閉店ではなくて移転だった。よかったよかったと移転先まで寒空の下を歩いていくと、五反田古書展の目録で名前を知っていたお店になんの前ぶれもなく遭遇、「犬も歩けば古本屋」で吸い込まれるように中に入った。