演劇書とフィルムセンター

夜中に三宅周太郎の『羽左衛門評話』を読んでいたら急に歌舞伎気分が盛り上がり、宵っ張りだったのにきちんと早起き。今日を逃すとしばらく休館日なので、イソイソと早稲田の演劇博物館へ出かけた。とある調べものが済んで安心したあとにゆるりと、前々から気になっていた『五世尾上菊五郎』という昭和10年に刊行された巨大な写真帳を眺めることにした。先月の芝居見物の折に歌舞伎会会報の「ほうおう」に掲載の与三郎の写真を見てあまりの美しさに陶然となっていたのであったが、その後、平凡社の『歌舞伎事典』の「尾上菊五郎」で小さく見ることのできる髪結新三の写真の方がやっぱり本役だからかずっとかっこいいと思った。いずれにせよ、とっくりと五代目菊五郎を見なければと思っていたので、念願かなって嬉しい。で、いざ見てみると、この時代の歌舞伎に写真技術が浸透していることに感謝せずにはいられないような、写真のオンパレードでたいへん感激だった。菊五郎がかっこいいのみならず、一通り見通すと、当たり前だけど「明治の歌舞伎」そのものが通底していることにひたすらワクワク。明治18年の田村成義による興行の黙阿弥『四千両』のところでは生後4ヶ月ののちの六代目が早くも不敵な面構えで写っていて感激。『三番叟』の写真がきれいだなあと見とれていたら解説のところに饗庭篁村の劇評が引用されていたりと、当時の劇評もたいへん面白かった。明治29年の『義経千本桜』のところでは杉贋阿弥の劇評がしみじみ素晴らしかった。「音羽屋の暫」というくだりがいいなあ。円朝の『名人長二』の写真では、先月の雲助師匠の高座のムードそのまんまで、思い出してうっとりだった。

と、早起きのおかげで演博を満喫したあとは、かねてからの計画通り、午後は京橋のフィルムセンター。

映画メモ

  • 鈴木英夫『その場所に女ありて』(昭和37年・東宝)*1 / 東京国立近代美術館フィルムセンター《特集・逝ける映画人を偲んで 2002-2003》 *2

先日の『非情都市』に引続いての、鈴木英夫監督で逢沢譲撮影で司葉子出演の映画、ということで、阿佐ヶ谷で上映中の五所平之助の『今ひとたびの』と迷いつつも今回はこちらを見ることに。『非情都市』を見たあと、長年の愛読書の川本三郎著『君美わしく』の司葉子の項を見てみたら、鈴木英夫のこの映画に言及があったので、さらに気持ちが盛り上がった。原節子と小津安二郎、若尾文子と増村保造ほどは言及されないにしても、司葉子と鈴木英夫も、日本映画における女優と監督の名コンビに数えてもいいのかもと思った。というわけで、『非情都市』のあとで、とてもたのしみにしていた『その場所に女ありて』だった。

が、今回は『非情都市』ほどにはおもしろくはなく、淡々と眺めるのに終始。『非情都市』だって映画そのものはそんなに面白いとはいえないのだけれども、3本目ともなるとだんだん様子がつかめてきたというのもあろうし、『その場所に女ありて』は今まで見た2本の鈴木映画と違ってカラーだったのでなじめなかったのだとも思う。ただ、やっぱり時折、かっこいい映像に陶然、ということはあって、窓から見える外のテラスの写り具合、広告デザインの原画を何枚か上から写すところなど、カラーならではの処理がなされているのが目にたのしかったし、やっぱりかっこよかった。

興味深かったのは、司葉子の入社7年目、27歳の「キャリアウーマン」描写。一人暮らしのアパートの生活感とか、同僚男子とくわえ煙草でマージャンにいそしんだり、取引先との接待での様子など、リアルな描写の目白押し。そんなクールに働く姿が司葉子にぴったりとマッチしていて、甲斐性なしの年下の夫のいる姉・森光子とか結局自滅する同僚とか、まわりに男運の悪過ぎる人が配置されることで、さらに司葉子が頑なになっているところなど映画全体で描写に一貫性があり、宝田明とのなりゆきにも納得のいく経過と結末が用意されている。宝田明と朝帰りするところの御茶ノ水のロケシーンがよかった。

あと、ちょっとだけ興味深かったのは、三分の利子で同僚にお金を貸して蓄財している女性社員のくだり。松本清張の推理小説にもこういうことをしている「オールドミス」というのが登場していた記憶がある。そうそう、戸板康二の『車引殺人事件』なんて、同様にお金を貸している役者が登場していたのだった。推理小説における小金貸しの系譜、というのがあるかも。こういうことをするとだいたい殺されて事件発生ということが多そうだけど、鈴木英夫の『その場所に女ありて』では殺されたりはしない。今日も蓄財に励め、だ。

それにしても、鈴木英夫のこのクールぶりというか、感傷のなさ過ぎるところにしみじみ感じ入るものがある。心温まるということはないけれども、ここまでいくと実に爽快。もっと鈴木英夫の映画を見たいと思う。

購入本

演博でさらに歌舞伎気分が盛り上がり、映画までちょっと時間が空いたので、ふらりと奥村書店に出かけることに。濱田さんの『脇役本』で見たロッパ本がまだ売っていたけれども(いったいいつからあるのだろう)、やっぱり購入は見送ってしまった。それよりもなによりも、とある戸板資料を発見して興奮だった。何年も前にまさしく演博で閲覧してコピーしていたもの。あまりにマニアックなのでここでは詳細は以下略なのだれども。

奥村書店で演劇書気分が盛り上がり、フィルムセンターのあとは宝町から都営浅草線。ふらりと浅草のきずな書房へ出かけることに。

  • 郡司正勝『かぶきの美学』(演劇出版社、昭和38年)

ずいぶん昔に戸板康二がらみで一応手元に置いておこうと、「猿若の研究」目当てに深い考えもなく買ってあった、岩波現代文庫の『かぶき発生史論集』(ISBN:400602052X)をひとたび読み始めてみたら、あんまり面白いのでびっくり、今まで読まずにいたのはとんだ失策だった。こうしてはいられないと、急に「郡司正勝道」というような心境になっている。今でも同社で版を重ねている本書の旧版が安かったので、よい機会なので買った。まずは前々から気になっていた「責め」云々のくだりを読んで、うーむ、やっぱりしみじみ面白い。これからゆっくりとすみからすみまで熟読したい。

  • 安藤鶴夫『随筆舞台帖』(和敬書店、昭和24年)

濱田さんの『脇役本』の巻末のブックガイドを拝見して急に欲しくなった本。安くも高くもなかったのだけれども、ひとたび店頭でめくってみると、猛烈に今すぐに読みたいという感じだったので、パッと買うことに。まっさきにめくったのは龍岡晋に関するくだり。敗戦後に好学社から久保田万太郎の全集が出ることになったときに、底本として龍岡晋が大切に大切に所蔵していた万太郎の初版本を使用したということが書いてあって、戸板康二の『思い出す顔』でたいへん心に残っていた挿話だったので、さっそくグッとなった。戸板康二の和敬書店本とおなじく、装幀は高木四郎。雑誌「幕間」のひところの表紙はとても好きなのだけれども、単行本の装幀の方はあんまり好みではないかな。高木四郎についても調べようと思いつつもそれっきりだったのを思い出した。戸板康二の文章ではラジオ「日曜娯楽版」のくだりに登場していた記憶がある、と思っていたら、同姓同名の別人であった。