平日古本日記

月曜日、ふらりと神保町に寄り道。週末に出かけた折に迷った末に自制した本があったのだけれども、とっくりと考えた結果、やっぱり欲しくなって買いに行った(いったい、なんなんだ…)。

  • 安部豊編『歌舞伎之型 魁玉夜話』(文谷書房、昭和25年3月)

前々から憧れていた、五代目歌右衛門の芸談集。函入りの立派な本がずいぶん安かったので。と、「安い」が購入理由の第一というのもナンなのだけれども、以前も「安い」と理由だけで(つい奥村書店との差額を計算。せ、せこい…)、六代目菊五郎の『芸』や『おどり』といった本を買っていて、後々になると手に入れておいてよかったと思うこと多々ありだった。女形の芸談というと、戸板康二が第一に推している六代目梅幸の本も実は未入手(http://www.engeki.co.jp/shoseki/4-900256-24-2.html)。これを機に近々買いに行きたいなと急に思った。

装幀は小林古径、挟まれてあった栞(表面に明治20年9月中村座の『宮島のだんまり』の写真)によると、「演芸画報」に昭和8年から16年にわたって断続的に掲載された五世歌右衛門の「魁玉夜話」より歌舞伎の型に関するものを整理増補して編集したものとのこと。安部豊は明治19年生まれの大分人、泰明小学校で教員をしていた時期があり、当時の教え子にのちの三代目左團次がいる。やがて「演芸画報」に入社、写真のレイアウトに腕をふるう。玄文社が「新演芸」を出した頃に、写真仲間でもあった川尻清潭の斡旋で転職、その後また「演芸画報」に戻り、昭和18年に日本演劇社が発足したあとは、渥美清太郎とともに戸板康二の上司となった。この『歌舞伎之型』は日本演劇社の倒産間際に出来上がったということになる。『演芸画報・人物誌』の安部豊の項で戸板さんは「本が出来た日の笑顔を忘れない」と結んでいる。……などと、つい『演芸画報・人物誌』の記述をさらってしまったが、五代目歌右衛門云々のみならず、「演芸画報」を垣間見ることで、明治・大正の歌舞伎とともにある、雑誌あれこれ、写真あれこれが面白いなあとしみじみ思ったのだった。写真が大きな位置を占めているところなど歌舞伎とともにある「ハイカラ」あれこれ、という感じもする。と、「演芸画報」本として大切にしたい一冊。『演芸画報・人物誌』のまえがきは、戸板康二の全文章のなかでも、とりわけ好きな文章のひとつ。『魁玉夜話』入手を機に、ひさびさに読み返して、しみじみいい文章だとあらためて思った。

  • 窪島誠一郎『無言館ノオト』(集英社新書、2001年)
  • 山口昌男『道化的世界』(ちくま文庫、1986年)

そんなに多くはない文庫新書コーナーで欲しい本が安く見つかる率が異様に高いということで注目していた巖松堂をひさびさにのぞいてみた。このところ通りかかる度にいつも先客がいたのだった。ひさびさに来てみると、やっぱり欲しい本がすぐに見つかった。先日、野見山さんの本を買ったばかりというタイミングだったので、窪島誠一郎さんの「無言館」に関する本もサイドブックとして手元に置いておきたい。こうなったら、東京ステーションギャラリーにいよいよ行き損ねないように注意せねばならぬ。と、欲しい本が見つかった勢いに乗って、山口昌男のちくま文庫も一緒に買った。『知の遠近法』と同じく、解説は川本三郎さん。このあとに入手した岩波の「図書」の新しい号で、3月の岩波現代文庫で『「挫折」の昭和史』が刊行されることを知った。図書館で何度も借りて読んでいたものの、いずれ岩波現代文庫になるのは目に見えているので、なかなか購入に踏み切れなかった本がやっと文庫化。待ちかねたわやい。『「敗者」の精神史』も続けて文庫化して欲しい。



新年早々ずいぶんいい本を手に入れることができた1月が行ってしまって、2月初日の火曜日。歌舞伎座の幕見席に行きたいと思えども初日以降にしようとこらえつつ、マロニエ通りをテクテク歩いた。その途中、山野楽器と教文館に寄り道。前日に買った『魁玉夜話』の余韻か、歌右衛門の「十種香」の DVD をうっかり買ってしまった…。歌舞伎座をがまんしたというのに、こんなことでは元も子もないではないかとよろけつつ、マロニエ通りをさらにテクテク歩いて、いつもの通りに奥村書店をのぞいた。

  • 新日本古典文学大系明治編『樋口一葉集』(岩波書店、2001年)

これは「新生堂奥村書店」でのお買い物。新大系の明治編は黙阿弥集に続いて2冊目。黙阿弥も一葉も、まずは図書館で借りてすみのすみまで註釈にいたるまで隈なく熟読してたいへん満喫だった。特に一葉の方は絶好の再読の機会になって、のちに『水曜日は狐の書評』(ISBN:4480039228)でこの本が紹介されているのを見たときはたいへん嬉しかった(http://www.bookreview.ne.jp/book.asp?isbn=400240224X)。ほかの一葉本のところでは、同時期にフィルムセンターでわたしも見た並木鏡太郎の映画『樋口一葉』のことに言及してあったりもして、いつまでもホクホクだった(http://www.bookreview.ne.jp/book.asp?isbn=4000072242)。そんなこんなで、安く見つけたら入手したいものだなあと思っていた思い出の一葉集は予算ちょうどの2000円。以前、早稲田で新大系の近松浄瑠璃集を買ったときに同じお店に一葉集が2000円で売っていて、次に来たときにと思ったものの次に来たときにはやっぱりもうなかった。その念願の一葉集を手に入れることができて2月早々大喜び。つい最近、田中優子著『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』で一葉気分が盛り上がっていたところだったので、なおのこと嬉しい。新大系の明治編もそろそろ安く見るようになるならば嬉しいなあと思う。明治編となると全冊欲しいという勢いなので兼ね合いが難しいけれども。



木曜日、イソイソと丸ノ内線に乗りこんだ。車中の読書は都筑道夫『悪意銀行』。丸の内線で向かっていたのは阿佐ヶ谷の映画館で、先日『猫と庄造と二人のをんな』でその撮影を堪能した三浦光男撮影の『わたしの凡てを』(監督は市川崑)を見るつもりでいたのだけれども、南阿佐ヶ谷に到着した時点で、すでに映画の時間が過ぎていることに気づいた。のんびり丸の内線で読書している場合ではなかった。「なにをしているのだろう、わたしは」とよろけつつ、とりあえずは巨大な商店街のアーケートの下を歩いていった。すると、ほどなくして野菜がずいぶん安いので急にハイに。思わず、3、4個購入。と、野菜のおかげで急に機嫌がよくなったところで、駅前の古本屋さんをのぞいてみた。

  • 小島信夫『抱擁家族』(講談社文芸文庫、1988年)

保昌正夫さんが参加している講談社文芸文庫をくまなく読んでいきたいと思っていたところで、この本がその筆頭にあった。小島信夫は保坂和志との往復書簡を読んで以来気になりつつも、小説はまったくの未読なのでたのしみ。戸板さんと同じ大正4年生まれということでも前々から注目していたのだった。

と、古本気分が盛り上がったところで、ここまで来てしまったら、映画を見逃した埋め合わせに、ささま書店へ行くしかないと急にメラメラと燃えて、阿佐ヶ谷の隣駅の荻窪に向かって、夜道をズンズンと歩いていった。古い民家や拳闘スタジオなど、なかなか味わい深い細い道をくねくねと歩いていって、やっと大通りに出ると、ささま書店はもうすぐ、「走れ!ささま」というような心境であった。

そんなわけで、思いがけず、ささま・二之席と相成った。前回の反省をもとに、今回は寒さに負けず、店頭の100円(105円)コーナーに長居。いつもの通りに100円コーナーだけでも欲しい本がありすぎる。その「欲しい」というのは、もともと欲しかったのか「100円だから」という理由なのか、自分でもよくわからず、いやほとんどが「100円だから」であろう、そんなことでいいのだろうか云々、といった100円コーナーならではの心の葛藤がオツであった。今回の100円コーナーでは文庫本ばかりを5冊。

  • 吉屋信子『底の抜けた柄杓 憂愁の俳人たち』(朝日新聞社、昭和54年)
  • 吉屋信子『自伝的女流文壇史』(中公文庫、昭和52年)
  • 田宮虎彦『足摺岬』(旺文社文庫、昭和42年)
  • モーパッサン/広津和郎訳『女の一生』(角川文庫、昭和42年改版)
  • 芝木好子『光琳の櫛』(新潮文庫、昭和60年)

吉屋信子の「憂愁の俳人たち」は解説が石塚友二だったのでパッと買うことに。と、吉屋信子づいて『自伝的女流文壇史』の解説は巌谷大四。五月の鎌倉遠足の際に公開中の旧宅に寄り道するくらいで、吉屋信子はまったくの未読で、今後も読むことはないだろうと思っていたけれども、この2冊を手にとって急に、戸板康二の『句会で会った人』の「文壇句会」の章を思い出した。

店内でもずいぶん長居。いろいろと偵察をして、いったんは手にとっては戻しを繰り返して、結局買ったのは1冊という、理想通りのささやかな買い物となって、めでたしめでたし。

  • 芦田伸介『ほろにがき日々』(勁文社、1977年)

濱田さんの『脇役本』で読みたいと思った本の代表格。ふと見つけて手にとってみると、柴田錬三郎が帯に推薦文を書いている。函からだして繰ってみると、献呈署名本であった。うーん、署名があると値段がちょいと高くなるかなあと値札をチェックしてみると500円、や、安い…。クリープを入れないコーヒーなんて…。



金曜日は、西秋書店さんと新・読前読後さん(id:kanetaku)さんと立春の宴。金子さんからは高見順の本を3冊ちょうだいした。前々から読みたいと思いつつも未入手だったのでとっても嬉しい。わたしは戸板本と山藤本を1冊ずつ進呈、と非常にめずらしいことにもらいっぱなしでないのが嬉しかった。

    • 高見順『いやな感じ』(文春文庫、1984年)
    • 高見順『如何なる星の下に』(新潮文庫、昭和45年改版)
    • 高見順『今ひとたびの』(角川文庫、昭和45年改版)

高見順というと小説そのものよりも『昭和文学盛衰史』みたいな文壇読み物の方でおなじみだった。小説はまずは『如何なる星の下に』や『今ひとたびの』を五所平之助の映画と合わせて読みたいと思っている。映画もいずれも未見で、高見順原作の映画では、同じく五所平之助の『朝の波紋』が記憶に新しい。去年秋に高峰秀子と池部良の共演と三浦光雄のキャメラを堪能した映画、その原作もぜひともいつか読みたいなあと思う。まずは獅子文六とおんなじように映画とセットで親しみたい文学者なのだった。


恒例の西秋書店出張販売では、

  • 谷崎潤一郎『青春物語』(中央公論社、昭和8年)
  • 日本文芸家協会編『戯曲代表選集2 1954年版』(白水社、1954年)
  • 三宅周太郎『羽左衛門評話』(冨山房、昭和21年)
  • 雑誌「文学」1985年8月《今日の演劇》(岩波書店)

今回はいずれも演劇的な本ばかり。『青春物語』の元版は木下杢太郎の装幀で「パンの会」文献の中身と実によく調和しているのがいい感じ。中公文庫版では唐突に小出楢重の絵が表紙であった。『青春物語』を読んだのは結構最近で去年のこと。読んだあとで急に戸板康二の『新劇史の人々』というかねてからの愛読書のことをヴィヴィッドに思い出して、あわてて読み返したものだった。『新劇史の人々』の「小山内薫」の項で誰もがするように戸板康二も『青春物語』を引用している。

その『新劇史の人々』の初出は白水社の「演劇」という昭和26年創刊の雑誌で、ずいぶん前に早稲田大学の演劇博物館でこの雑誌を閲覧したことがあった。あっと素敵な表紙の雑誌だった。いつか古書展で入手したいものである。白水社の本はいつもなんて素敵なのだろうと思う。戸板さんと白水社の交わりについても詳しく調べねばと思っていたのだった。ということを『戯曲代表選集2』を手にして思い出した。この本もいかにも白水社という感じのブックデザインがささやかながらも素敵。戸板康二が「劇壇1953年」として序文を書いている本書は昭和28年の戯曲を収録していて、戯曲が文学者とまだまだ緊密だった時代、といったことを思わせてくれる。三島由紀夫や北條秀司といった人がいるかと思えば、正宗白鳥、久保田万太郎といった人もいる。帰宅後調べてみたら、この「戯曲代表選集」は昭和28年が最初で、昭和33年版(昭和32年を回顧)までの刊行のようだ。先日、河出書房の編集者だった藤田三男さんの『榛地和装本』を読んだとき、昭和37年に坂本一亀が復刊した河出の「文芸」が戯曲を重視していたという点で当時の文芸雑誌では異色だった、というくだりが心に残った。戸板康二も当時たぶん坂本一亀の依頼で「文芸」に戯曲を寄せているのだった。

三宅周太郎の『羽左衛門評話』はよく見かけるなあと思いつつも今まで手にとったことがなかった。帰宅後の夜更けにさっそく読みふけってしまった。最後に「助六の型」として三木竹二が「歌舞伎」に書いた羽左衛門の初演当時の文章(明治39年6月)が収録されているという構成がスゴいなあとしみじみ感じ入るものがあった。戸板さんも三木竹二に言及するときにいつも羽左衛門をその筆で育てあげたというようなことを書き添えていたことを思い出す。

顔ぶれがたいへん豪華な岩波の「文学」の演劇特集は、白水社の『戯曲代表選集2』の30年後。戸板康二の「演劇この40年」という文章を読むことができる。川本三郎さんと山口昌男が目次に並んでいるところを見て、月曜日に買ったばかりの『道化的世界』のことを思ってウキウキだった。まっさきに読んでしまったのは郡司正勝の「歌舞伎の今日的問題点」という文章。「文学」という雑誌の演劇特集というわけで、白水社の『戯曲代表選集2』と同じようにもしくは違うように、「文学と演劇」というような切り口が面白いなあと思った。