週末古本日記

竹橋の近代美術館をゆっくりとめぐったあと、趣味展開催中の古書会館へ出かけて神保町でのんびりという予定だったのが、宵っ張りで寝坊してしまったのでどちらか一方を断念せねばならぬのだった。ありがたいことに雨が降っていないことだしと、美術館を後日のたのしみにとっておくことにして、お昼過ぎに自転車にのって神保町へ向かった。

まずは、東京古書会館へ。いつもながらにたいへんたのしい趣味展、熱中のあまり会場を出るときはいつもヘロヘロになってしまう。目当ての安い演劇雑誌はほとんど見ることができなかったけれども、思えば今まで入手した演劇雑誌が未整理のままなので、これを機にちょいと整理したいなと思った。実行に移せればいいけれども。と、いつも選択にたいへん難儀する演劇雑誌がなかったおかげで、心穏やかに500円以下の本ばかりを少し買うというささやかな買い物となった。こんなささやかな買い物もいいものだなあ! と、古書展のたのしみ満喫。

  • 雑誌「三田文学」(昭和21年10・11月合併号)

今回の趣味展でも扶桑書房では、わーいと雑誌がわんさと並んでいて眼福だった。河野鷹思表紙の「蝋人形」が何種類かあるのを見て(1冊1500円)、今日河野鷹思展を見逃してしまった心の隙き間をと、かなり本気で買いそうになってしまったり(これを書いている今は買っておけばよかったと思っていたり)、昭和10年代の和木清三郎編集長で鈴木信太郎表紙の「三田文学」(1冊2500円)を次々にめくって、戸板康二を探したりとか。劇評や座談会だけではなくて「演劇雑記帳」というエッセイを書いていて、いつ見てもその若書きな筆致に妙に胸がいっぱいになるのだった。で、結局買ったのは200円のを1冊、敗戦後の復刊第8号の「三田文学」。版元は前にも買った丸岡明の能楽書林。たまにこうして古書展で「三田文学」を買えるのがいつもとても嬉しい。まずは表紙に惹かれたのだけれども、表紙・扉ともにマティスの素描をあしらってある。タイトルと線描の微妙な色具合が実際に手にしてみるとなかなかいい感じなのだ。安上がりな道楽である。

記事としては、内田誠の「久保田先生」というタイトルのエッセイがとても嬉しかった。戸板康二は「三田文学」をきっかけに久保田万太郎に親炙することになり、それがきっかけで内田水中亭の明治製菓「スヰート」の編集に携わり、「いとう句会」や「九九九会」人物誌を間近で見ることになり、先日、地下室の古書展で買ったばかりの小村雪岱の『日本橋檜物町』を編纂するなりゆきになったりもした。戸板康二は内田水中亭と交わっていたことで、このほかにもいろいろと「おっ」というような人と交流をしているのだった。というわけで、そんな原点にる内田誠と久保田万太郎の交流、古書展のあとの喫茶店で内田誠による文章をじっくりと噛みしめるようにして読んだ。戸板さんは「放送雑感」なる時評を執筆。戸板さんは若い頃は劇評でも結構きつい物言いをしていることがママあって、見るたびにニヤニヤしてしまう。この時評でも癇性を垣間見せている、そんな戸板さんが好きだ! といつまでもニヤニヤだった。

  • 河盛好蔵『井伏鱒二随聞』(新潮社、昭和61年)

古書展のたびに見かけるといっても過言でない本、見かけるたびにいつも手にとりつつも、雑誌類に目がくらんで、いつでも買える本だし、とそのたびに棚に戻していた。そして、後日に急に思い出して、あのとき買っておけばよかったと思っていたものだった。と、念願の河盛好蔵と井伏鱒二の対談集をやっと買うことができて、やれ嬉しや、だった。そして、古書展のあとの喫茶店でさっそくペラペラめくって、なぜもっと早く入手しておかなかったのだろうと思ってしまうような、なんとも至福の1冊なのだった。なんといっても対談が絶妙な組み合わせ。読んでいるうちに、小沼丹のことを思い出したりもして、全集が部屋の書棚にある幸福をしみじみ思った。井伏鱒二が山川方夫のことを、面識はなかったけど好きな作家だった、一作ごとにうまくなっていたのに、と言っているのを見て胸がいっぱいになった。それから、やっぱり興味深いのが井伏鱒二のロシア文学への造詣で、チェーホフのことを思った。…などなど、対談の妙にいい心地になりつついろいろと日頃の愛読書に思いを馳せるという時間。

  • 佐多稲子『随筆集 ふと聞えた言葉』(講談社、昭和49年)

古書展の恒例、300円の単行本は、今回は佐多稲子さん。いろいろな雑誌に発表したエッセイを集めたとい体裁の本、好きな書き手のこういう本はいつもとてもたのしい。佐多稲子さんは文章はもちろんだとしても、まずはなんだか顔が好きで、特に中年になってからの着物姿がいつも好きで、惚れ惚れと見とれてしまう。なんというか、実に美しい顔だといつも思う。その「美しい」というのは美醜の概念を超えた美しさ。その人の内面からの美しさのあらわれとしての外面の美しさ。去年の展覧会で見た、土門拳による写真もよかった。「驢馬」の人物誌もいつもいいなあと思う。中野重治を強化したくなってきた。

  • 三宅周太郎『歌舞伎研究』(拓南社、昭和17年)

今回の古書展では演劇雑誌は買えなかったけれども演劇書は買えた。青を基調にした表紙がそこはかとなくいい感じ、装幀は青山二郎だった。三宅周太郎の著書は戸板康二の歌舞伎書と比べると、格段に装幀がおもしろい、という気がする。時代のせいなのか関わった版元のせいなのか、追々解明していきたい。昭和17年筆のあとがきに、この時期の「身内に抑えきれぬ喜悦」を感じた芝居として、菊五郎の『五斗三番』の名を挙げている。大正2年の市村座以来の出し物だったという。

菊五郎の五斗は大略團十郎を調べての演技だそうである。しかも、丁寧に演じていて、本文にないところの伊達錦戸兄弟に引っぱり廻されて、後ろに倒れかけて「鶴の間」や何かの、せりふをいうあたり以後から特色を発揮した。尤も、故斎入もこの五斗はよく、故段四郎もなかなか枯淡で捨て難い味があった。しかし、菊五郎の五斗の特色はどこまでも目貫の職人らしく、しかも実は軍師五斗兵衛という「腹」を失わない点である。自然踊って踊らず、どこか朴訥で「間」をはずしたようで、はずさぬ動きが、ちょっと類と真似手がないと思う。中にも三番目で飛び上る間の妙味と来ては全く得難い妙味であろう。

そんなこんなで、来月の歌舞伎座の吉右衛門の五斗兵衛がますますたのしみになってきた! 帰宅後、戸板康二の『丸本歌舞伎』所収の菊五郎の同じ上演に際しての文章を読み返したら、明治28年の四代目芝翫の五斗兵衛の饗庭篁村の劇評のことが書いてあって次はウキウキと『竹の屋劇評集』を繰るのだった。去年の吉右衛門の吃又のことを思い出したりもする。などと、あいかわらず書物を通しての歌舞伎がとても面白い。が、芝居見物の冴えにはちっともつながらないのであった。



古書会館を出たあとは、書肆アクセス。古書展でずいぶんくたびれていて東京堂すら見る力が残っていなくて、書肆アクセスのあとは喫茶店でコーヒーを飲んでのんびり。このお店は平日によく寄り道するので、いつもとは違う(気がする)週末ならではの雰囲気もいいなあ、とひとたび足を踏み入れると急に上機嫌だった。

  • 雑誌「日本古書通信」平成17年1月号

「大阪人」のモダニズム心斎橋特集を買うつもりがモタモタしているうちに新しい号が出ていて買い損ねてしまった。気を取り直して、同じく買い損ねていた「日本古書通信」を購入。10月の地下室の古書展で開催された八木福次郎さんのトークショウが収録されていて、無念にも行き損ねていたので嬉しい。当日の配付されたという八木福次郎さんの池谷伊佐夫さんによる書斎図がえらく素敵で、見られてよかったといつまでも嬉しい。ほかにも「わが古書目録を語る」なる記事が面白かったり、小田光雄氏の連載にある小林勇の起した鐵塔書院のことにも興味津々。大変面白く読んだもののいまだ入手はしていない『蝸牛庵訪問記』のことを思い出した。鐵塔書院は露伴の命名なのだった。池谷伊佐夫さんの新連載「日本名探偵列伝」第1回は谷崎潤一郎の安藤一郎。戸板康二の中村雅楽をぜひとひとりで勝手に願っておこう。そして、八木福次郎さんの新連載「愛書家・思い出の写真帖」が素敵で、何度も読み返してしまった。などなど、「日本古書通信」にずいぶん興奮。定期講読の申し込みをしようかなと思いつつ、毎月ズルズルと神保町で買っている。

書肆アクセスではもう1冊。紙百科ギャラリーの展覧会の余韻とともに先日、大貫伸樹著『装丁探索』(ISBN:4582831664)を繰って、斎藤昌三や岡本芳雄のところを中心に読み返したりしていたところで、前々から気になっていた細川書店の岡本芳雄に関する小さな本を買いに行ったのだった。喫茶店でさっそく開いてみると、冒頭に先日の展覧会のあとに部屋で読んだ保昌正夫さんの「細川の本―『鳴海仙吉』など」が引用されていた。



喫茶店でコーヒーを飲んで本をめくっていたら、またムズムズと本を見たくなった。このあとは意気揚々と土曜の午後の神保町を満喫。いろいろと偵察をしたり。前々から目をつけている本がまだ在庫があるのを確認して安心、というようなセコいことをしたりする。夕方から出かけるので、そろそろ帰るとするかなと、再び自転車に乗り込んで、前々から土曜日の午後に行こう行こうと思っていた西秋書店を最後にのぞいた。西秋書店は喫茶店のエリカの並びにある。チクタクと響く柱時計が素敵な店内は、棚にびしっと詰まった本を隅から隅まで眺めずにはいられない。うーん、しみじみ感激だった。何冊か前々から気になっていた本の正体を初めて見たりとか、図書館でしか見たことのなかった本は実はなかなかいい感じの装幀だったとか(図書館では裸本)、いろいろと心に刻んだ。

  • 保昌正夫『昭和文学点描』(勉誠社、平成5年)

と、迷惑を顧みずにさんざん長居をしたあげく、買ったのは1冊のみ。『保昌正夫一巻本選集』の著書一覧でどんな本だろうと思っていた本。このところ保昌正夫さんがらみで盛り上がっていた身としては今すぐに欲しい本だった。『早稲田文学人物誌』の網野菊さんのくだりで、志賀直哉人物誌が気になるなあと思っていたら、冒頭に「志賀直哉の後継」という簡にして要を得たガイドがあったり、野口冨士男についての文章を読んで、また少し強化したくなったり。保昌正夫さんは講談社文芸文庫の野口冨士男『しあわせ かくてありけり』に作家案内を寄せていて、その文章がここに再録されているのだけれども、野口冨士男を読み始めた当時、講談社文芸文庫の作家案内を読んで、次々と図書館で『いま道のべに』とか『少女』、『散るを別れと』を借りて読みふけったのだった。絶好のガイドだったなあと懐かしい。『散るを別れと』を読んで、松本清張の『文豪』(文春文庫)を買ったという流れがあった。



夕方から西荻へ出かける用があったので、神保町からもどったあと再び外出。時間の経過とともの寒さがやわらいできたなあと思っていたら、日没近くの時間は小雨がぱらついていた。車中の読書は買ったばかりの上記の『昭和文学点描』。

西荻では150円か200円の文庫本ばかりを買った。

  • 瀧井孝作『無限抱擁』(岩波文庫、1992年版)
  • 横光利一『日輪 春は馬車に乗って』(岩波文庫、1981年)
  • 河上徹太郎『日本のアウトサイダー』(新潮文庫、昭和40年)
  • 柴田錬三郎『柴錬ひとりごと』(中公文庫、2003年)

保昌正夫さんの本を読みながらたどりついた西荻であったので、瀧井孝作と横光利一はグッドタイミングだった。岩波文庫の横光利一は保昌正夫解説なので前々から昼休みの本屋さんで買おうと思っていたところだった。瀧井孝作はまったくの未読なのでたのしみ。河上徹太郎は解説が福原麟太郎だったのでふらっと買った。『柴錬ひとりごと』は坪内祐三著『文庫本福袋』で気になっていた本のひとつ。

帰りの電車のなかでさっそく『柴錬ひとりごと』をめくったのだったが、さっそくヒクヒクと笑ってしまいそうな感じで、とてもおもしろい。柴田錬三郎というと、以前神奈川県立近代文学館で《不滅の剣豪展》を見たおりに心に刻んでいた。眠狂四郎の展示では鴨下晁湖の挿絵がとてもよかったのだけれども、柴田錬三郎そのものに関する展示もなかなかの見ものだった。まずは恩師が奥野信太郎という「三田文学人物誌」ということを思ったのだったが、ダンディズム・柴田錬三郎の愛用品、曜日ごとに種類が違うパイプ、七種類のパイプを収めた箱(だったかな)に大笑いだった。いいなあ。なんというか、そこにあるのはダンディズムというよりも、むしろダンディな自分を客観視しているニヒリズムといったようなものだった。そして、どこかユーモラスなのだった。そんな漠然とした印象を『柴錬ひとりごと』を読んでいて、鮮やかに思い出した。なんて、適当なことを言っているが、『柴錬ひとりごと』、読み逃さないでよかった。坪内祐三著『文庫本福袋』を手にして1ヶ月、ずいぶん恩恵を受けているものだと思う。

今回の趣味展で買った昭和21年の「三田文学」では、柴田錬三郎は文芸時評を書いている。というわけで、古本を満喫した休日、本日の主役は実は柴田錬三郎だったのかも。