鈴木英夫の『非情都市』

雨でぬれた石畳の道をテクテク歩いて鍛冶橋通りへ。明治屋に寄り道したものの、目当てのとある調味料が売ってなくてがっかり。「嗜好」を1冊ちょうだいして待ち時間に繰っているうちに、映画の時間になった。

映画メモ

  • 鈴木英夫『非情都市』(昭和35年・東宝)*1 / 東京国立近代美術館フィルムセンター《逝ける映画人を偲んで 2002-2003》 *2

2、3年前に開催のアテネ・フランセでの特集上映を見逃して以来、なんとなく気になっていた鈴木英夫の映画を初めて見たのは去年10月、松本清張原作の『黒い画集 寒流』だった。池部良と新珠三千代の共演で、ストーリーに感情移入というよりは、そのスタイリッシュな白黒映像にひたすらクラクラ、とにもかくにもたいへんかっこよかった。というわけで、ちょっとだけ追いかけたい気がする鈴木英夫、『寒流』と同じく撮影は逢沢譲の『非情都市』はどんなふうだろうととてもたのしみだった。

『非情都市』でも1年後の『寒流』と同じように、そのスタイリッシュな映像をたいへん堪能。映画の内容としては、先が見えているというか、『寒流』と同じように「悪い奴ほどよく眠る」というお決まりの展開。大新聞の社会部記者・三橋達也は「巨悪」を暴くべく綱渡りをしていくわけだけれども、正義漢ぶっているわけでは全然なくて、スクープをとりたいという一念に基づくもので、全然共感がわかない実にふてぶてしい男なのだった。その人間的な魅力は少なくとも映画では少しもうかがうことはできない。あえて言うならばその徹底的なドライ具合が見ものなのだろうけれども、最後の展開を見てみると、そのドライさも実は中途半端なものだ。なので、スクープをとれると信じて疑わない三橋達也はどのようにして「巨悪」に葬り去られてゆくのかという展開を見るというサスペンス的側面を期待したかったのだが、伏線がいまいちきちっと消化しきれていないというきらいがある。などなど、いくらでも欠点を挙げることはできるのだけれども、映画全体を見とおすと香気が常に高く保たれていて、とても魅了される映画なのだった。

有楽町や丸の内のオフィス街、桜田門といった昭和30年代の東京を写すキャメラが冴え渡っていて、その構図や光と影の織り成す画面をあちこちでたいへん堪能、なにがしかの写真展とおんなじ感覚でひたすら見とれる感じ。それから、新聞社や警察など、建物の内部と外部が写っていく感じも独特のかっこよさ。最後の方では留置所のシーンがあるのだけれども、その鉄格子の写り具合なんて胸を躍らせて撮ったのではないかしら、というような、眺めてこちらがゾクゾクするのはもちろん、作り手としてのこだわりをもヴィヴィッドに体感することができるどこまでも冴え渡る映像で、眺めているときのグルーヴ感がとてもよかった。石造りの建築の柱や壁、鉄格子や窓といった、建物を構成するすべてが映像のかっこよさに貢献していて、かっこいい映像を実現するための道具と化している。「非情都市」というタイトルがきいている。ロケ地の東京の都市とその建物、映像そのものが主役のような映画だった。

かっこいいのは都市や建物のみならず、写る人物もその白黒映像がとてもかっこよい。司葉子に感嘆、「クールビューティ!」な司葉子がこの映像にぴったりだった。司葉子と三橋達也が一緒にいるところでは、なんとなくハワード・ホークスの『三つ数えろ』を思い出したりも。とにかくハードボイルド。ストーリーがもっと徹底していれば、彼らのかっこよさをもっと活かせたのではないかしらと思いもするけれども、十分そのかっこよさを堪能。彼らがホテルの部屋に一緒にいるシーンの司葉子(身支度をしている)がとてもよかった。脇役も味わいぶかく、社会部長の上司(だったかな)の東野英治郎がツボだった。刑事、佐々木孝丸も嬉しい。謎の男前ヤクザ(なのか)の平田昭彦の得体の知れなさ(それでいて深みはない)という様子もよかった。

というわけで、その映像、スクリーンそのものをたいへん満喫の映画だった。ストーリーは深みはないし先は見えているし、登場人物への共感の持っていき場も見つからない、そんなとっつきにくさもこの映画にはぴったりなのかも。好きな映画には「好き」の種類がいろいろある。見られて嬉しい映画だった。なんて、見て後悔の映画なんて今までひとつもないのだけれども。