鎌倉の休日:コーヒーと清方と円朝

お昼過ぎに外出、横須賀線に揺られて、鎌倉へ。本日の車内の読書は千谷道雄著『秀十郎夜話』(冨山房百科文庫)。先日買ったばかりの中島健蔵著『回想の文学』と同じく、雑誌「心」での連載がもとになっている。初出誌が「心」の著者・著書の系譜、というのも面白そう。鎌倉に到着し、清方美術館へ向かって小町通りを歩いた。南陀楼綾繁さんの「帝都逍遥蕩尽日録(http://www.maboroshi-ch.com/cha/nandarou.htm)で知った「遊吟舎」という名の古本カフェはどこかしらと、見逃さないように虎視眈々になりつつズンズンと歩を進めていった。芸林荘よりも少し駅寄りの、八幡さまに向かって右手の3階に「遊吟舎」の看板を発見。発見して安心したとたん、美術館を見たあと本をめくってひと休みするのがたのしみだなあと急にウキウキしてしまい、さらにズンズンと早歩きになった。

そんなこんなで、清方美術館のあとは「遊吟舎」に直行。冷たい雨がシトシトの屋外から一歩足を踏み入れてみると、見とれてしまうようなたたずまい。店主さんの蔵書を一部解放の書棚と大きな木のテーブルと店内に流れる音楽、その空間全体がなんとも素敵なのだった。コーヒー(500円、お茶菓子付き)を飲んで、のんびり。ブラームスの2番のヴァイオリンソナタが流れていた。入口近くの棚で発見した坂本一亀編集長の「文藝」正宗白鳥追悼号(昭和38年1月)に思いのほか熱中してしまった。出る前に書棚を一通り眺めてみると、往年の「三田文学」バックナンバーがずらっと揃っているのを発見。また行かねば…。

去年の初落語は「かまくら落語会」の柳家喜多八独演会で、その日は粉雪が舞っていてなんともいえない風情だった。そして、今年の初落語も「かまくら落語会」、雲助さんの独演会ということになった。大雪の予報だったので、去年に続いての雪降りの初落語! 電車がとまらない程度の雪ならば、それもオツだなあと喜んでいたのだけれども、雪にはならずにシトシトと冬の雨の1日となった。落語会の会場に向かうときは、雨がちょっとあがっていて、冷たい空気が頬に気持ちよい。八幡さまの参道の提灯のあかりがこれまたなんともいえない風情だった。


展覧会メモ

  • 特別展 清方八景色 新春の巻 / 鏑木清方記念美術館 *1

清方美術館の新春は毎年《明治風俗十二ヶ月》の羽子板の展示で、《明治風俗十二ヶ月》の原画の展示はないので、展示室の一角がだいぶ物足りない。今は《明治風俗十二ヶ月》の絵そのものは竹橋の近代美術館で見ることができる。何年前だったか、近代美術館での岸田劉生展のあとに訪れたときは、《明治風俗十二ヶ月》の原画と合わせての展示だったので、このときはとてもよかった。と、そのとき見た原画のことを思い出しつつ、羽子板の後ろのパネルを眺めるというのが、毎年の新年の導入となる。毎年、2月の「亀戸梅屋敷」を見て来月は梅見に出かけようと、樋口一葉の『通俗書簡文』を思い出していい気分になる。そして、梅見は毎年行き損ねる。

羽子板以外のところでは、展示数は少ないながらも鏑木清方の作品をひとつひとつじっくりと凝視して、いつもながらに至福なのだった。引き出しを開けてガラス越しに凝視するコーナーでは、今回は「花簪」が描かれたひときわ小さな手帖にとりわけうっとりだった。それから雑誌「苦楽」とその表紙絵の下絵の展示が嬉しかった。先月の山名文夫展が記憶に新しいので、「苦楽」のロゴを見て山名文夫のことを思い出したりも。いつもながらに、花を描いたスケッチブックが大好きで、いつもながらに季節の花々を眺めることで感じる季節感が絶妙。…などと「いつもながらに」を連発しているけれども、この美術館に来るたびに変わらずに味わうことができる歓びが、毎回の鎌倉行きのたのしみのひとつになって久しい。

花といえば、《水仙》と名付けられた、縄のれんの下にいる左手に水仙を手にした女の人の絵にうっとりだった。水仙といえば、思い出づるは『たけくらべ』、などと思っていたら、しっかりと《水仙》の隣に、《「たけくらべ」の美登利》の下絵が展示されている。そして、季節感といえば、明治の「文藝倶楽部」の付録の、清方の描いた双六が楽しかった。美術館の図録で挿絵篇として「文藝倶楽部」篇の上下が刊行されていて、いつか買いたいなあと思っているところ。

次回の特集は「肖像画と芝居絵の巻」なので、三木竹二の「歌舞伎」に寄せた《寺子屋画帖》を再び見ることができるかもしれぬ。《寺子屋画帖》を見るだけでも足を運ぶ価値がある。今回は時間がなくて断念した近代美術館と合わせて、次回も見物に行ければいいなと思う。

先生のお宅の六畳ほどの客間には、オットマンという仏蘭西人の描いた二十号ほどの大きさのマルセーユの風景が懸っている。先生の好きな築地明石町附近をほうふつさせる筆である。
勿論、この客間、白い椿が一りんだけいれられた閑雅な日本間である。
(久保田万太郎「清方先生」より)

落語メモ

  • 第167回 かまくら落語会 五街道雲助独演会
    • 五街道佐助『火焔太鼓』
    • 五街道雲助『名人長二―清兵衛縁切り』
    • (中入り)
    • 五街道雲助『明烏』

新年が明けたと思っていたら1月ももう半分。この調子だと2005年もあっという間に終わってしまいそうだ。なんて思っていたら、今年の白眉はもうこれしかないだろうと確信できる高座を年明け早々に聴いてしまった! 帰宅後、雲助独演会の余韻にひたるべく、『名人長二』の一席目「仏壇叩き」が収録されている朝日名人会のディスク(ASIN:B00009KME0)を取り出した。思えば、「かまくら落語会」のことを知ったのは、このディスクの山本進先生の解説がきっかけであった。解説で言及されている「かまくら落語会」でわたしもいつの日か雲助独演会を聴きたいものだなあと思っていたら、ディスクを手にした2ヶ月後の一昨年の9月に早くも実現してしまったのだった。その日は『唐茄子屋政談』を聴いた。今回のかまくら落語会は以来、2度目の雲助独演会である。

なんて、夜ふけに追憶にひたりつつ、ライナーの解説を読み返してみると、さらに胸がジーンとなることに。すっかり忘れていたけれども、山本進先生によると、それまで余り好きになれなかった雲助さんの印象が一変した、「いわゆる“ドンデンが来た”というやつです」、のきっかけになったのは、「8年ほど前の晩秋」のかまくら落語会で聴いた『名人長二』の「清兵衛縁切り」だったという。と、そのものズバリ、今晩聴いたばかりの「清兵衛縁切り」だというからたまらない。今回の独演会は『名人長二』の方は主催者側のリクエストで、師匠の方で選んだのが『明烏』。これまで雲助師匠は33回登場しているという「かまくら落語会」、その初出演のときの演目が『明烏』だったというから、実はたいへん秀逸な番組構成となていたのであった。出かける前はそういうことはほとんど頭になく、ひさしぶりの雲助さんの高座をとても待ち遠しく思っていて、それはもうさぞかしすばらしいだろうと期待たっぷりだったけれども、いざ聴いてみると、それにしてもこんなにすばらしいとは! と、びっくりするやら嬉しいやらで、いつまでも余韻でソクソクしていた。そのあとで、今日の番組構成に関することに気づかされるということになった。かさねがさね、なんてすばらしいことだろうと思う。

「清兵衛縁切り」について、山本進先生の文章を抜き書きしてみると、

感心したのは、噺の中で登場人物が一人一人くっきりと描き分けられていて、しかも聴いていると、あたかも芝居の舞台面がまざまざと目に浮かぶような気がしたことです。
私の頭の中では、親方の清兵衛が三代目市川左團次、長二が二代目尾上松緑、親方の娘が七代目尾上梅幸、その婿の恒太郎が十七代目市村羽左衛門、弟子の兼松が八十助時代の九代目坂東三津五郎といった、ひところの菊五郎劇団の配役で、上手の長火鉢前に清兵衛が坐り、正面の神棚下あたりに恒太郎夫婦、下手に指物師の仕事場があって、そこで長二が、兼松の留めるのもきかず、清兵衛の丹誠込めて指した書棚を、才槌ちでもってめちゃめちゃにするという、いかにも世話物の縁切りらしい場面……その人物の居場所や位置関係が手にとるように感じられることに、一種の驚きを禁じ得ませんでした。
(山本進「人情噺の担い手・五街道雲助」より)

と、長々と抜き書きしてしまったけれども、落語会から帰宅してすぐにこの文章を目にしたわけで、ひとたびこの文章を目にすると、まさしくその通り。ここに尽きてしまう。

人情噺・落とし噺を問わず、雲助師匠の高座に接するといつも、芝居のようだ、と思う。たとえていうと、「音羽屋ッ!」と叫びたくなる感じ。わたしが落語に興味津々になった一番大きなきっかけとなると、やっぱり歌舞伎で、団菊祭で『髪結新三』や『文七元結』を見て急に落語に憧れた(今のように落語を聴くようになったのは、その3年後ぐらいか)。そういう漠然とした憧れを、雲助さんの高座に接すると、いつも思い出して、そうそう、この感覚この感覚、と幸せな気持ちになる。雲助師匠の高座のよろこびの根幹ってこの感覚だったと、今日の独演会でも、というか、今までで一番ヴィヴィッドに今回の落語会で体感したような気がする。わたしの求める「落語」はここに尽きてしまうのだ(と思う)。

雲助師匠の『名人長二』はひたすらかっこよかった。やっぱり「音羽屋!」と叫びたくなる感じで、五代目菊五郎の写真を惚れ惚れと眺めているときとまったく同じような陶酔感。歌舞伎の悪口を言うわけではないけれども、今月の歌舞伎座昼夜の黙阿弥では望むべくもない、世話物の典型的快楽が雲助さんの高座の根底にあって、その世界にひたっているときの気持ちのよいことといったらなかった。本気でこのままずっと続いて欲しい、終わって欲しくないと思った。それから、去年夏の鈴本で『乳房榎』を聴いたときに円朝独特の香気のようなものが満ち満ちているのをたいへん堪能していたのだけれども、今回の『名人長二』も円朝の香気たっぷりだった。なんだかうまく言葉にはできないのだけれども、本当にもう、見事なすばらしい高座だった。

ちょいと耳の遠い親方と長二がいなくなって慌てている兼松とのチグハグなやり取りのところなんて、もう絶妙な巧さで厚みたっぷりで、笑いと陶酔がそこにある。ふだん酒を飲まない長二が酒を入れて縁切りを迫るという一世一代の芝居をうつ。芝居なのでふだんの行動よりも当然芝居がかっている。その長二の「芝居がかり」具合が絶妙で、そんなエモーショナルなところがこれまた不思議な陶酔感だった。今まで手塩にかけた男にこんな仕打ちを受けるとは! と逆上するのが当然のはずの清兵衛は、恒太郎とはちょっと違って、なんだかおかしい、と気づいている。その肚ぐあいがまたしみじみ見事で、老職人の気骨がしっかりと実在化している。と同時に、あんまりじゃないか長二! と怒り心頭の恒太郎の気持ちもすーっと胸に浸透してきて、必死でとめる清兵衛の娘、恒太郎の奥さんのセリフも心にしみてきて、事の経過にびっくりの兼松の姿もしっかりと刻まれる。ここにいる人々はみんないい人たちで、江戸の職人の世界にいる人たち。登場人物全員の織り成す世話物世界、その立体感がまさしく「音羽屋!」という感じで、陶酔するしかないという感じだった。とにかくもうすばらしい、としか言いようがないのだった。

円朝の人情噺のあとに『明烏』を聴けるというのがたいへんオツだった。番組を知ったときからとてもたのしみでたのしみで、「町内の札付き」源兵衛と太助が、雲助さんにかかるといかにもよさそう! と思っていたのだけれども、いざ高座に接すると、源兵衛と太助が素晴らしいのは予想通りだったとしても、若旦那がなんともびっくりするくらい絶妙で、若旦那のお父さんもよかった。そして、茶屋の女将がまた素敵に巧い! 『明烏』は志ん朝と文楽のディスクを聴くばかりで高座に接したのは初めてだった。『明烏』というと、源兵衛と太助の甘納豆のくだりが大好きだったけれども、今回雲助さんの高座で、そのくだりの絶妙さを実は初めてくっきりと理解できた気がする。一夜明けた若旦那、起こしに行った源兵衛と太助であったが、ぼやいて甘納豆を頬張る太助、そのあとで若旦那の受け答えに甘納豆を投げるしかない太助、と、この時間推移と距離感になるほどと思った。扇子を使った起き抜けの歯ブラシの所作もすばらしかった。これまた、『名人長二』とは違った意味で雲助さんの魅力全開の、そして雲助さんならではの良さに満ち満ちた一席だった。うーむ、やっぱり、わたしの求める「落語」はここに尽きてしまう。

開口の佐助さんは、開口一番にやるネタではないのだけれどもとか、明るく元気になる噺だとかマクラで言っていて、何かしら何かしらと思っていたら、なんと『火焔太鼓』。うん、まさしく陽気になる噺! と思った。いかにも古今亭というネタだったので嬉しかった。今回ひさびさにじっくり聴いて、帰宅後、志ん朝ディスクで聴き返してみたら、以前は気に留めていなかったくだりにあっとなった箇所を見つけることができて、今回高座で聴くことができたのは収穫だった。

来月の鈴本の上席の夜の部が、雲助さんのひさびさのトリなので、とても楽しみ。聴きに行けるといいけれども。初午の2月3日に行けば、もう1度『明烏』を聴けるのかな、かな。