浅草松屋の古本市

開催のたびに目録を取り寄せて、ぜひとも行きたいものだなあと思いつつも毎回行き損ねていた、浅草の松屋の古本市。今回はうっかり目録で注文をしてしまったので、めでたく行くことができた。初日だけど閉店近かったのでわりとすいていて、ゆったりと見ることができてよかった。平日の寄り道ではなくて休日に気合いを入れて出かけるべきであったと思わせるような品揃え。BGM のヴィヴァルディ《四季》を背後に、先週の銀座とは打って変わって士気は大いに高まり、デパートの古本市ってたのしいなあ! といつのまにかハイになっていた。ああ、たのしかった。


以下、お買い物メモ。

  • 文藝春秋編『巻頭随筆』(文春文庫、1979年)

「文藝春秋」の巻頭随筆欄より100篇を収録したアンソロジーで、往年の文春ファンにとってはワクワクのシリーズ。同じ棚に3巻まで並んであったのを1巻だけ手にとった。続きは次回のたのしみにするのだ。森茉莉街道をゆく[http://blog.livedoor.jp/chiwami403/]のちわみさんに、手塚富雄の「菊五郎とにらめっこ」という文章が収録されているのを教えていただいてから、ちょっと気になっていた本で、古本屋での邂逅をのんびりと待っていたのをようやく発見。わーい。ちわみさん、ありがとうございました! 

さて、手塚富雄の「菊五郎とにらめっこ」の書き出しは、

《福原麟太郎さんが、先月の読売新聞紙上の随筆で、「菊吉爺さん」という言葉を紹介しておられた。その発明者は戸板康二さんだという。菊五郎、吉右衛門の舞台を見たことを話の種にする年代の者がいまや爺さんの段階に入って、かつての団菊(を見たことを吹聴する)爺さんたちの位置を占めつつある、という意味だという。》

というふうになっている。菊吉じじい、団菊じじい、天保老人……。その元の福原麟太郎の文章は未見だけれども(たぶん)、ふだんなにげなく接していた「菊吉じじい」という語彙であるが、その発明者が戸板さんだったとは目から鱗であった。『回想の戦中戦後』に「そろそろ、こっちが菊吉じじいになってしまった」という一節があったのをすぐに思い出すが、「団菊じじい」という言葉を踏まえて「菊吉じじい」と最初にいい始めたのは本当に戸板さんだったのかどうなのか、非常に気になるところである。

わたしが初めて「菊吉じじい」という言葉を知ったのはもちろん歌舞伎を見るようになってからのことで、古本屋で買った雑誌で見た中井英夫の最晩年の文章だった、と、はっきりと思い出せる。よろこんで「羽左じじい」と呼ばれたい、というふうに書いていたのだった。「菊吉じじい」の代表的な年代の戸板さん、その世代について思いを馳せるきっかけになって、なにかとたのしかった。言い始めが本当に戸板さんなのかをきちんと証明できるのかどうか、そもそも「団菊じじい」という言葉の誕生はいつなのか、追々解明していきたい。

  • 中島健蔵『回想の文学』全5巻(平凡社、昭和52-53年)

5冊セットで2000円とお買得だったので、目録で申し込んでいたものが見事当選。昭和初年から敗戦後、昭和23年までの文学を自身の日記を踏まえて回想した全5冊。「心」に連載されていた、というのがまたいい。装幀は中川一政で、巻ごとに扉の花の絵が違っていて、目にたのしい。なにかと興味津々の「東大仏文科・人物誌」をはじめとする、戦前の昭和文学についていろいろと追求するきっかけになればと当選して大喜びだった。入手済みの岩波新書の『昭和時代』と合わせてじっくりと取り組みたい。もとをたどると、坪内祐三著『新書百冊』(ISBN:410610010X)で気になった本だった。「東方社」のこととか、なにかと興味津々のオンパレード。去年2月に見物した、東京都写真美術館の《中島健蔵展》のことが懐かしく思い出される。ちなみに、戸板康二が中島健蔵を初めて会ったのは、昭和10年代に久保田万太郎と銀座の酒席「はせ川」にいたときのことだったという。と、「はせ川」人物誌もなにかと興味津々なのだった。

  • 岡本経一『私のあとがき帖』(青蛙房、昭和55年)

こちらも目録で申し込んでいたもの。今回目録を眺めていて初めて存在を知って、今まで知らなかったのはとんだドジだったけど、これも縁だなあと思った。戸板康二を読むようになってがぜん注目の存在になった出版社の筆頭が青蛙房だった。戸板さんの青蛙房本は全6冊、数は多くないけれども、青蛙房が版元の本はどれもこれも特に見逃せないものばかり。青蛙房という出版社を最初に知ったのは『戸板康二の歳月』の矢野誠一さんの記述だったかと思う。『戸板康二の歳月』は最初は図書館で借りて読んだ。そのとき一緒に借り出したのが青蛙房の岡本綺堂『ランプの下にて』だったから「あっ」と思った。当時『ランプの下にて』は岩波文庫で品切中で、どうしても見つからなくて、待ち切れずに図書館で借りたのだった。

などと、追憶ばかりしているが、この『私のあとがき帖』は青蛙房の25周年を記念して刊行されたもので、それまで青蛙房で刊行された本に寄せた、社主・岡本経一のあとがきを再録して、合わせて当時を回想する文章が付されているというもの。ここで紹介されている全19冊のうち、持っているのは柴田宵曲『明治の話題』のみ。岡本経一の文章は、その本にまつわるエピソードを面白く綴るのみならず、その著者と書物についての資料的なことにもきちんと言及してくれているので、とても面白い上にためになる。岡本綺堂、三田村鳶魚の書誌的なこと、演劇書にまつわる記述を読んで明治大正昭和の演劇史に思いが及んだり、それから、たとえば伊原青々園『団菊以後』、田村成義『無線電話』、長谷川時雨『旧聞日本橋』といった復刻の場合は、初版当時の出版状況について詳しく知ることができて、さらにワクワクするといった感じ。さらに、岡本綺堂、柴田宵曲といった人物についての岡本経一の文章そのものがべらぼうにいいので、その人物そのものにもさらに興味津々となって、なんとも満ち足りた時間。

と、青蛙房ファンにとっては、こんなに嬉しい本はない、という感じで、帰宅後さっそく読みふけって、さっそくたまらない感じだった。これからちょっと、余波が続きそうな気配。とりあえず思ったのは、長年の懸案、伊原青々園『団菊以後』と田村成義『無線電話』を今年こそ入手すること。『無線電話』は今まで何度も図書館で借りては拾い読みしている。こんなに面白い本はそうない、と思う。『無線電話』の面白さ、素晴らしさがこれからもっと世に広まればいいなと思う(…広まらないのだろうけれども)。『無線電話』のあとがきで岡本経一は、三木竹二の業績を公刊したい、というふうに書いているけれども、三木竹二の単著が世に出たのはそれから約30年後の去年であった。『無線電話』の刊行は青蛙房20周年の昭和50年、25周年の『私のあとがき帖』とおなじく、奥付の日付けは綺堂の誕生日、10月15日となっている。

  • 廣末保『増補 近松序説』(未来社、1963年)

目録での注文品を受け取って、1冊はずれたのでちょっと予算に余裕ができた。見回りを開始してさっそくこの本を発見。前々からじっくりと読みたいと思っていた本で、東京堂でよく眺めていた。「おっ」と値段をチェックすると500円なので、嬉々と手にとった。近世文献は新品同様がいくらでも安く見つかるので嬉しい。

「現代ユウモア全集」を初めて手にとったのは西荻の音羽館、戸川秋骨の『楽天地獄』だった。なんともたのしい戸川秋骨読み始め、だった。懐かしいなあ。と、坪内逍遥集を発見して手にとって、値段もまあまあだったので、ガバっと衝動買い。戸川秋骨集は石井鶴三の挿絵だったけれども、坪内逍遥集の装幀は木村荘八。なにかとたまらない感じなのだった。ちょっと前に、この本と同時期の、明治製菓の PR 誌「スヰート」を見たのだったが、表紙画は木村荘八で、あっと驚く洒落た誌面だった。思い出の戸川秋骨集同様、夜ふけにチビチビと繰るとしよう。

  • 三浦義彰『ホラチゥスの唄』(編集工房水族館、1991年)

あまりに極私的すぎて、ここに記すにははばかれるのだけれども、今回の古本市での一番の衝撃はこの本だったかも。三浦義彰は戸板康二、串田孫一と暁星の同級生だった医学者で、串田孫一が戦前に出していた同人誌「冬夏」に頻繁に寄稿していた人物。この『ホラチゥスの唄』は三浦義彰が「冬夏」に寄せた若書きの文章を1冊にまとめたもので、装幀は串田孫一。戸板康二も参加していた「冬夏」に関してここ1年近く、あれこれ調査をしていて、たとえば嵯峨信之を知ったのも「冬夏」がきっかけだった。戸板さんは「冬夏」にはそんなに深くは関わっていないので、調査すればするほど戸板さんから遠ざかってゆくのだけれども、「冬夏」調査はたいへん面白かった。そろそろまとめファイルをつくろうと思いつつもモタモタしているのだったが、モタモタしているうちに次々とあっと驚く資料に遭遇する。三浦義彰の著書は図書館でめぼしいものはチェックしていたのだけれども、図書館に入っていない本に遭遇する機会がママあるので、やっぱり古本屋さんには行くものだなあと嬉しい発見だった。