歌舞伎座夜の部日記

  • 寿初春大歌舞伎『鳴神』『土蜘』『魚屋宗五郎』/ 歌舞伎座・夜の部

歌舞伎会の会報「ほうおう」の1月号と2月号を母から受け取った。内心は「べつにいらないんだけど…」と思ったのだったが、せっかくの親切を無下にするのも悪いのでつつしんでちょうだいすることにした。が、幕間になんとはなしにページを開いて、突然びっくり。1月号からの新連載「名優列伝」なる記事で、九代目團十郎の『暫』の舞台写真が大きく掲載されていたのだった。こ、これは鹿島清兵衛の写した伝説の写真! 大きく誌面に掲載されているのを目の当たりにして、うわーっとしみじみ見とれてしまった。『暫』の舞台写真のことは、戸板康二の『ぜいたく列伝』の「鹿島清兵衛のぽん太」の冒頭で紹介されている。

明治二十八年十一月の歌舞伎座で上演された「暫」の舞台写真が残っている。中央で九代目團十郎が、浅草の観音堂の近くにある銅像と同じ元禄見得をしている瞬間で、客席の平土間にぎっしり詰っている観客の姿もはいっていて、非常に珍しい資料である。
この一葉を撮影したのは、当時玄鹿館という写真館を経営していて、わが写真界の先駆者の一人である鹿島清兵衛であった。
こういう撮影が特に許されたのは、清兵衛が役者たちに対して莫大な金を使って工作したのだと伝えられているが、気むずかしい團十郎が感光しにくいといわれて、この日に限って紅でなく生臙脂で隈をとったというのだから、清兵衛散財の威力はおどろくべきものであった。
この日、輸入したばかりのマグネシウムを東西桟敷の一の側に用意、漏斗状の器で火を焚いたのだが、写真については六年前の二十二年に、技術を学んだ帝大工科の教授バルトンに教わって、舶来の機械、レンズ、印画機などに、惜しげもなく金を投じて手に入れ、二十三年には内国博覧会に、梅若万三郎の「鶴亀」の姿を等身大で出品したり、六尺九尺の富士山の風景写真を宮内省に献上したりしてもいるのだ。

その九代目團十郎の『暫』がこれだーと「ほうおう」片手に思いがけないところで大喜びだった。「ほうおう」に紹介されているくらいだから、気をつけてみればわりと見かける写真に違いないけれども、これを見たのはたぶん初めて。見ることができて嬉しい写真だった。

と、「ほうおう」1月号の「名優列伝」は九代目團十郎で、次は2月号の「名優列伝」を開いてみると、またまた大喜び。2月号は五代目菊五郎で、その与三郎の写真のなんと美しいこと。隣の六代目梅幸のお富もさることながら、五代目菊五郎がまさしく「歌舞伎美の極致!」という感じで、ただ惚れ惚れ。ああ、うっとり。……と、ずっと見ていたいという写真だった。隣には明治24年の「風船乗り」の写真が親子ともども載っていて、これもたぶん初めて見たので嬉しいかぎり。

さて、帰宅後、三木竹二の『観劇偶評』(ISBN:400311731X)をめくって、明治25年9月の歌舞伎座の劇評を読んだ。これまた、しみじみ面白くて、それにしても折に触れ、三木竹二の劇評を読むことができるのはなんとありがたいことだろうと、何度も思う。八代目團十郎の役だった与三郎を菊五郎がやっている違和感について書いてあって、結びに「次狂言にはどうか先度の伴蔵のような天下一品の出し物を見せて、われらを堪能させ玉へ。いよこちの大音羽屋大音羽屋」とある。前の方にページを繰って、『牡丹燈籠』の劇評を読んで感動。三木竹二の『牡丹燈籠』の劇評は読むたびにいつも感動する。饗庭篁村の『竹の屋劇評集』には菊五郎の与三郎の劇評が載っていなくて、饗庭篁村の本名は与三郎なのになあと残念(関係ないけど)。そのかわり、明治28年の團十郎の『暫』上演に際しての一文は読むことができる。これを読んで、土屋恵一郎著『元禄俳優伝』を読んで以来ずっと気になっている江島其磧(とその時代)のことがますます気になってきた。

それにしても、五代目菊五郎の美しさ。と、いつまでもその余韻にひたり、前々からのお気に入り、弁天小憎の写真を見るとしようと、戸板康二著『続歌舞伎への招待』(ISBN:4006020813)の「切られ与三郎」の章を繰った。すると、五代目菊五郎は、小團次や五代目菊五郎でさかんに演じられた白浪ものとは系譜の違う与三郎は生涯ただ1度しか演じなかった、とあった。前にも読んだことがあるはずなのに、あらためて読んでハッとなった。

与三郎の着ている藍微塵は、道楽者の若旦那という人柄をあらわし、茶微塵となると、まじりっけなしの遊び人の着物だと、松助も『舞台八十年』のなかで語っているが、五代目は茶微塵の方が似合ったのであろう。

というくだりがあったりする。この「切られ与三郎」の章が四代目松助の「黙って座っている蝙蝠安」の写真で締められているという、戸板さんの筆さばきにあらためて惚れ惚れ。「ほうおう」に載っている五代目のモノクロ写真はその藍微塵を着ているというわけで、うっとりと美しい菊五郎の、生涯ただ1度の与三郎の大きな写真を見ることができて、九代目團十郎の『暫』ともども、たいへん嬉しい「ほうおう」の「名優列伝」だった。これはクリアファイルに綴じて永久保存としたい。


などと、深い考えもなく受け取った「ほうおう」の感激のことを長々と書き連ねてしまったが、さてさて、本日の芝居見物はというと…。

実は、お買い物行脚の帰りにたどりついた歌舞伎座であったので、だいぶくたびれていた上に、数々の購入物で座席スペースはさらに窮屈になり、さらに三連休で気持ちがだらけていたということもあり、あまり観劇に集中できず、無念であった。新年早々いったいわたしは何をしているのだろう。戸板さんの本を閉じたあと、ひとりで反省会。

まあ、観劇に集中できなかったと言いつつも、夜の部もそこそこ面白かった。体調がよかったらさらにたのしめていたのは確実。一番たのしみにしていたのが三津五郎の『鳴神』。歌舞伎歴数年にして、『鳴神』の舞台を見るのは実は今回が初めてだったので、『鳴神』とはこういうものであったかということを知ることができたので、低次元なところですでに満足だったけれども、幕切れの三津五郎の六方のカチッとした動きが実に素晴らしくて、あっという間だったけれども、いいものを見たなあと急に目が覚めた。去年の三津五郎の弁慶のことを思い出した。『鳴神』復活は二代目左團次で、自由劇場や新歌舞伎といった足跡と合わせての古劇復活という試み、二代目左團次とその時代に思いを馳せるということはやっぱり面白いなあと思った。そして、先の「ほうおう」がらみで『竹の屋劇評集』を読んだのと合わせて、二代目團十郎についてもっと知りたいと思った。それから、岩波の旧大系の郡司正勝校註『歌舞伎十八番集』で二種類の脚本を読むことができるので、これからじっくりと取り組みたい。などなど、おみやげはたっぷり。

特に深い考えもなく見物をした『土蜘』がたいへん面白かった。芝翫、福助、児太郎という三代の共演、段四郎が合わさって、中心にいるのは吉右衛門と、その風格ある顔合わせがとても好みの舞台だった。筋書の年表を確認してみたら、前回『土蜘』を見たのは6年前の團菊祭だった。團十郎の妖気がなかなか味わい深く、堪能したのをよく覚えている。吉右衛門も妖気たっぷりで、かつ風格たっぷり。ところどころの所作で去年の顔見世の『関の扉』のよろこびを思い出し、それから知盛のことも思い出して、吉右衛門の姿を満喫。これまた花道の引っ込みのところを堪能。『土蜘』は五代目菊五郎が歌舞伎十八番の『勧進帳』に対抗したもの、というわけで、これまた、先の「ほうおう」と合わせて、五代目菊五郎に思いを馳せたい。それにしても、こんなに見事な組み合わせの『土蜘』はそうないかもしれない。幕見で再見できたらいいなと思う。

最後は幸四郎の『魚屋宗五郎』。同じ「幸四郎がこんな役を!」ならもうちょっとワクワクしそうなお芝居はほかにもあるような気もするけれども、昼の部の『加賀鳶』ともども、あんまりピンとこなそうな役柄を初役で演じるという幸四郎の心意気は偉いものだと思う。しかし、『加賀鳶』は演目そのものがひさしぶりだったので、『加賀鳶』を見られるという嬉しさがあったからよかったけれども、『魚屋宗五郎』は去年5月の三津五郎の舞台がまだまだ記憶に新しいので、ちょっと食傷気味という感があった。しかし、こちらは何度も見ている宗五郎だけれども、幸四郎の側では初めて演じるのだから、わたしも初心にかえって無心で舞台を見ようではないかとがんばったのだけれども、せっかくならもっと別のお芝居を、という気持ちがどうしても拭えないのだった。なので、『加賀鳶』ほどはその独特の味わいを楽しめなかったのだけれども、幸四郎はいろいろ考えてこの役をつくって、その結果あらわれたのが今日見た舞台だったのだろう。その様子を見届けて、幸四郎の宗五郎はこうだった、と記憶に残しておきたいと思う。

などと、抽象的なことしか書かずじまいなのだったが、「ほうおう」に大興奮の本日の芝居見物だった。