初芝居

早くに目が覚めてしまったのでしばし寝床のなかでヌクヌク。中公文庫の『折口信夫全集』をめくって、俄狂言「平気平三困切石」を読んだ。昭和24年に戸板康二の『丸本歌舞伎』出版記念会の際につくられたごく短い脚本で、なんだかよくわからないながらもここにあらわれる大阪ことばが実によくて、何度も読み返している。そのあとはイヤホンでワーグナーの《タンホイザー》全曲(ショルティ指揮)の1枚目を聴いた。えいっと起きてラジオをつけると「音楽の泉」はやっぱりまだお休みだった。モーツァルトのピアノソナタ集(ピリス盤)を低音量で流しながらのんびり。そんなこんなしたあと、歌舞伎座へ。

今年も初芝居をいい感じに締めくくることができてよかった。駅から歩く途中、ふと頭のなかにとあるメロディが流れてこの曲はなんだっけとしばしモンモンとなった末、ブラームスのピアノ五重奏曲のフィナーレだと気づいた。帰宅後、ルドルフ・ゼルキンとブダペスト四重奏団のディスクを聴いた。第2楽章が大好き。

芝居見物

  • 寿初春大歌舞伎『操三番叟』『石切梶原』『加賀鳶』『女伊達』/ 歌舞伎座・昼の部

初芝居はいい気分だなアと上機嫌に幕間に花びら餅を食べた。去年の初芝居のとき「海老蔵襲名を無事に乗り越えられるかと、富十郎の元気の姿を再び見る日はやってくるのか、この2つがとても気がかりで気がかりで…」というようなことを何度も口にしていたと指摘を受けて、呆然。本人はすっかり忘れていたが、いったい何をそんなに思いつめていたのだろう。なにはともあれ、海老蔵襲名時の『暫』を思うと感無量。が、現時点で去年1年間を振り返ってみると、海老蔵襲名はなにかと興奮しつつもいろいろと気が張ってくたびれたという感じで、わたしとしては平常心の芝居見物が一番なのだった。1月から4月、10月から11月あたりの見物が充実していたのがよかったなあと思う。今年は見物の頻度をなるべく少なめにして、自分なりの歌舞伎との最良の接し方のようなものを模索できればいいなと思う。テーマは「節度」と「平常心」。それから、2005年のわたしのとりあえずの願いごとは、富十郎の「これぞいかにも富十郎!」というような舞台を何か見たいというのと、猿之助が一点の曇りもなく完璧なかたちで復活すること。

などと年頭の抱負を述べたところで、今年の初芝居は、吉右衛門の『石切梶原』が五臓六腑にしみわたるという感じで、たいへん堪能。吉右衛門の石切は6年前の歌舞伎座所演以来。その間に富十郎と仁左衛門を見ているので、あらためて吉右衛門をじっくりと見ることができたというのがよかった。このお芝居は梶原のいくつかの見せ場、鑑定をするところ、二つ胴を切るところ、最後の手水鉢のところ、の刀を持ったところの所作でク−ッと盛り上がるのだけれども、梶原が黙って様子を見ているところが実にいい、というのが前回仁左衛門を見たときに思ったことだった。そういうじんわりとしたたのしみを今回の吉右衛門で心ゆくまで味わうことができた。刀の鑑定をしたあと俣野が切れ味を確かめないととぶつくさ言っているのを聞いているところ、六郎太夫が娘に折紙を持ってくるように頼むところを見ているところ、大庭たちが立ち去ったあと、六郎太夫と娘の3人になるところで本当に大庭たちがいなくなったかの様子を伺うところとか、いろいろな局面での梶原のちょっとしたセリフや動きがじんわりと五臓六腑にしみわたってきて、そのことで眼前の舞台がどんどん厚みがましてきて、どんどんすいこまれるという感じだった。

吉右衛門の梶原がすばらしかっただけでなく、敵役の左團次と歌昇、六郎太夫親子の段四郎と福助がよかったので、お芝居全体が充実していた。このお芝居の主役は六郎太夫親子という気がするので、段四郎が六郎太夫というのがとても嬉しく、そのいかにもただの人ではないというような品がよかった。そして福助の娘もよかった。父をたしなめるところが、いかにも父親思いの優しい娘であると同時に、あやうく売られてしまいそうな薄幸さがしみじみとただよってきて、なんともいえない味わいだった。と、六郎太夫親子がよかったので、ラストの「めでたしめでたし」で心からよかったよかったと思って、しみじみいい心持ち。「切り手も切り手」「剣も剣」のところ、最後の花道のところでは嬉しくてたまらなかった。石切の梶原は、細川勝元とか実盛と同じようにいかにも十五代目羽左衛門の当たり役というような爽やかさで、その爽やかさを幕切れで満喫できて、あと味すっきり。いかにも初芝居にぴったりの一幕だった。

『加賀鳶』は富十郎の道玄をたいへん満喫して以来。筋書の年表を確認したら平成11年9月で、その日は吉右衛門の宙乗りにも大喜びで、思い出に残るたのしい1日であった。その日の『加賀鳶』は富十郎と吉右衛門の共演で、お兼は今は亡き宗十郎さん、わたしの求める歌舞伎はここにあった、と今となっては懐かしい。以来ずっと見逃していたので、ひさしぶりに『加賀鳶』を見られるというのがまずは嬉しくて、岩波文庫で脚本を読んでさらにウキウキだった。いつもながらにまずは黙阿弥の東京が面白くて、『加賀鳶』は火消しと按摩の、いずれも本郷が舞台の2つの世界を同時に描いていて、水道橋が登場したり、小石川小日向の武家屋敷が登場したりと、その「山の手の歌舞伎」というのにしみじみ感じ入ってしまうものがあった。山の手の黙阿弥というと、ぜひともいつの日か『島鵆月白浪』を見たいものだなあと思う。それから、強請りのシーンならでのセリフ劇とか、そのセリフのひとつひとつをたいへん堪能。強請のところの寄席づくしのセリフにとりわけ心が躍った。梅吉の奥さんのくだりで近松の『鑓の権三重帷子』、お朝の強請りのところの『桂川』など、浄瑠璃の名前が登場するのも嬉しかった。初演を見ると、四代目松助大活躍、五代目菊五郎は死神まで、などなど、なにかと面白い。

などと、上演を機に脚本を読めただけでもたのしかったのだけれども、幸四郎の『加賀鳶』、なかなか面白かった。福助がお兼をやっているというのがたいへん興味深かった。戸板康二の劇評では多賀之丞が新しいお兼を創造したとして、「按摩按摩と番頭さん、そんなに安くお言いでないよ」のあたりに田圃の太夫・源之助の伝統を指摘しているのだったが、筋書の年表を見ると、近年は田之助の持ち役だったようで、そんな女形の伝統が面白い。幸四郎の道玄に心底惚れているその様子、質屋でのくだりがかっこよかったりとか、福助がやっていることで出る独特の味わいがとてもよかった。幸四郎の道玄はそんなお兼がつい惚れてしまうような色気のようなものがただよっていて、これまた、その独特の雰囲気がよかった。よくよく考えてみるとずいぶんチャチなことをしている上にずいぶん悪い奴なのに、なんとなくかっこよく見えてくるところが幸四郎ならではの味わい。質屋に松蔵が登場したとき、その松蔵を見やる表情が絶妙で、偽手紙を読みながらわざとらしく涙ぐむところなどもよかった。そして、「暫」よろしく颯爽と現れる三津五郎の松蔵がとてもかっこよかった。

『石切』と『加賀鳶』の前後の踊りもいずれも面白く、その長唄の音楽が心地よくて、初芝居気分満喫。締めの芝翫の『女伊達』にウキウキ。『助六』の文句を取り入れて江戸の女伊達が大坂の男伊達をやりこめる、というのが現行の『女伊達』なのだそうで、その歌詞にあらわれる「江戸」いろいろがモクモクと面白かった。男伊達の「淀川の千歳」「中之嶋鳴平」というネーミングに笑う。これからしばらく「助六」の長唄を聴こうと思った。