御慶

先日眺めていた古書目録に載っていた正岡容の年賀状に「御慶」という文字があった。落語の人はすぐに「御慶」と言いたがるなあとおかしかった。

出先からの帰りの車中の読書はスティヴンスン/小沼丹訳『旅は驢馬をつれて』。駅についてふと思い立って、日が沈む前に初もうでをするとしようと最寄りの神社へ行った。意外にも結構混み合っていた。なんとか暗くなる前に鈴のところにたどり着き、無病息災家内安全商売繁昌、をお願いした。初もうでをしたのは何年ぶりだろう。

帰宅すると、年賀状と一緒に「モクローくん通信」が届いていて感激。なんだか急にいい1年になるような気がしてきた。龍岡晋の似顔絵入り年賀状があって、またまた感激。本当にいい1年になるといいけれども。

今年の初音楽は、バッハの《クリスマス・オラトリオ》の第4部。にするつもりが、急に聴きたくなったので、内田光子さんのシューベルトの《楽興の時》。そのあとで《クリスマス・オラトリオ》を聴いて、そしてモーツァルトの《魔笛》を第一幕だけ聴いたあと、ラジオでウィーンフィルのニューイヤーコンサートを低音量で流しながら、『旅は驢馬をつれて』の続きを読んだ。

お正月は始まる前はたのしみだけど終わると嬉しい。やっぱりいつもの生活が一番なのだった。そんなこんなで、2005年も「日用帳」は続くようです。いい1年になりますように。


購入本

帰宅途中、本屋さんの前を通りかかった。「元日も営業しているとは!」と急に感激して思わず店内に足を踏み入れて、買い損ねていた『かぶき讃』を買うことに。中公文庫化を知ったときは大喜びだったけれども、先月昼休みの本屋さんでチラリと眺めたとたん、『かぶき讃』は昭和28年の初版があるし、この文庫の底本の折口全集の端本も持っているし、旧全集の文庫本もあるからいいかなあという気になってしまった。うーむ、購入を見送らせるような要素があったのかな。けれども、今日もう1度見てみたら、初版と同じように冒頭に役者写真が8枚あるのと巻末に索引があるのとで、やっぱり買っておこうと思った。

折口信夫の『かぶき讃』、自サイトの「戸板康二ダイジェスト」に初版の画像を載せてある(→ http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/b/references/1_05.html)。装幀は、折口の今宮中学の教え子の画家、伊原宇三郎によるもの。歌舞伎の本にありがちな定式幕をあしらってありながらも洒落たデザインになっているのが見事だなあと初めて見たときから好きだった。カヴァーをとると黒と白で、タイトルと著者の文字は浅黄色になっている。「sumus」の《画家の装幀本》特集に「伊原宇三郎の装幀本」という項があったのを見たときは嬉しかった。

折口信夫の『かぶき讃』は、戸板康二を読み始めたころからずっと大切に手元に置いてある本で、結構高価なのに新全集の端本を東京堂でためらいなく買ったのがはじまり。今回発売になった中公文庫はその1996年発行の新全集を底本としているとのことだけれども、全集の改題で言及されている『かぶき讃』という書物の成り立ちとか、初版の巻末の池田弥三郎によるあとがきに書かれてあることはこの中公文庫ではうかがうことはできず、それぞれの文章の巻末に初出誌が書かれてあるのと巻頭の8枚の役者写真で折口の執筆当時に思いを馳せることができるという体裁。8枚の写真がそれぞれに特徴的でそれぞれに濃厚なオーラを発している。

と、『かぶき讃』は数年前から手元にあったわけだけれども、去年、いや一昨年か、2003年9月の折口没後50年のときに「新潮」と「三田文学」で立て続けに折口特集を組まれたことで、あらためてじっくりと対峙せねばと思ったものだった。「三田文学」の「劇評家・折口信夫」という文章で、渡辺保さんは、『かぶき讃』が読者の心を揺さぶり続ける要因として、《そこに扱われた役者たちの芸風が眼前に髣髴としてにおうようだったこと》と《その文体の読む者をして深淵に引き込むような不思議な力を持っていること》というふうに、いつもの調子で「以上二点」と箇条書きをされている。また、文体については、《年齢を取らなければ、あの晦渋な文体の背後にある独特のリズムと清澄な世界の魅力はわからないかも知れない。しかし折口信夫の、あの視点や発想や洞察、そしてあの描写を支えているのは、この文体なのである。》というふうにも書かれている。