休日日記

朝起きると、どんよりと曇天でだいぶ寒い。ラジオのスイッチを入れると「音楽の泉」はスメタナの弦楽四重奏だった。出かける頃にはかなり激しく雨が降っていた。まずは映画を見るべく阿佐ヶ谷へ向かった。本日の車中の読書は「近松浄瑠璃集」の『嫗山姥』の三段目。クライマックスのところでうっかり目頭がツーンとなった。無事に時間通りに映画館に到着、場内が暗くなるのを待ちつつぼーっと椅子に座っていると、場内にはハイドンのチェロ協奏曲が流れているのに気がついた。思いがけないところで聴く音楽はいつも嬉しい。ぼーっと音楽にひたってしみじみいい気持ち。映画館から出ると雨はやんでいた。丸ノ内線の駅までアーケードの下をテクテク歩き、その途中のコーヒー屋で近松集の続きを読んだ。丸ノ内線のなかで『嫗山姥』全段読了。赤坂見附で銀座線に乗り換えて虎の門で下車、ホテルオークラまでの坂道を歩くとき、ツンとした冷気がとても気持ちよかった。展覧会のあとはまっすぐ銀座に出た。博品館劇場で桂文我独演会。


映画メモ

  • 『宝石泥棒』井上梅次(昭和37年・大映) *1 / ラピュタ阿佐ヶ谷《昭和の銀幕に輝くヒロイン 山本富士子》 *2

若尾文子や京マチ子、山本富士子の名前が冠してある特集上映で毎回たのしみなのが、今まで存在を知らなかった大映女性映画を見られること。すぐに忘れてしまいそうだけど見ているときのほんわかとしかおかしさと昭和30年代ならではのレトロ感と予定調和な展開がいつもなんだか好きだ。ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショウでは京マチ子特集のときに見た『娘の冒険』が記憶にあたらしい。で、今度の山本富士子特集はどうだろうとチラシを眺めて、今度は『宝石泥棒』というのがあった。山本富士子、野添ひとみ、川口浩、船越英二……といったおなじみの顔ぶれが、ふつふつと嬉しい。

幕開けは銀座の宝石店、アメリカ帰りのご令嬢とその女中に扮した山本富士子と野添ひとみコンビが宝石を盗もうとしたら、どこかの紳士に先を越されていたと知る。で、今度こそ先を越されないようにと、有閑マダムの宝石を狙うべく、オープンカーに乗って、いざ箱根へ。その途中、ケンブリッジ帰りのご令息とその執事に扮した川口浩と船越英二コンビに出会う。同じ稼業と知らずに、山本富士子と川口浩はなにやらいい雰囲気に、というお決まりの展開。有閑マダム・角梨枝子につきまという、探偵小説ファンの怪しい男・菅原謙二がいて、彼もどうやらダイヤを狙っているようなのだ。さあ、ダイヤを手中に収めるのは誰だ。

といったようなストーリー展開で、ルビッチの『極楽特急』みたいな、宝石だけではなくてハートも盗むのね、というお決まりの展開がたのしかった。山本富士子と川口浩もよかったけど、脇に控える野添ひとみと船越英二の好演がツボだった。野添ひとみの女中姿(白シャツにネクタイ、タイトスカート、長く伸ばした髪)がとってもかわいかった。船越英二はしじゅうオペラのアリアを口ずさんでいるような絵に描いたようなキザ男で、登場の瞬間はカルメンの闘牛師の歌、あるときは椿姫、髭剃りのときはフィガロと、その屈託のない歌いっぷリに大笑い。どの映画でも登場のたびにおかしいのが船越英二、いつも船越英二が登場すると「おっ」なのだったが、今回もそこまで答えてくれなくてもいいのにというくらい期待にこたえてくれた船越英二であった。

ちょいとひねりのあるラストに満足満足。今回は舞台が行楽地だったので、銀幕の東京を見るたのしみはあまりなかった分だけはちょっと物足りない面もあったけれども、いつもの大映女性映画の屈託のなさをたのしんだという点では結構結構。井上梅次というと、ちょうど1年前に銀座シネパトスの若尾文子特集で見た『閉店時間』も面白かった。原作は有吉佐和子なのだそうで、デパートが舞台の映画で、若尾文子、野添ひとみ、江波杏子といったメンバーが大映女性映画のたのしみを満喫させてくれた。こちらはデパートが舞台であることで、独特のレトロ感と東京の昔のモダンを見ることができたのがたのしかったのだった。これからも今まで存在を知らなかった大映女性映画に遭遇したいものだと思う。

展覧会メモ

  • 大倉喜八郎コレクション 浄瑠璃本と江戸文化 / 大倉集古館 *3

1階に大倉喜八郎の浄瑠璃本コレクション、2階に江戸期の美術を展示、という構成。そのタイトルを聞いただけで出かけたくなる展覧会であった。まずはずらっと並んだ浄瑠璃本、人形浄瑠璃の江戸進出の契機として亨保末ごろの豊竹肥前掾の江戸下り、というところからスタート。江戸初演本の稀書として『鎌倉三代記』関係の展示があり、その初演特定に関する云々を旧大系の『浄瑠璃集』などの解説で見た記憶があったので、実感をもって見ることができたのが嬉しかった。江戸初演の浄瑠璃本に改題本、通し本と抜き本といった種類とその書物としての違い、「封切り」の語源の包み紙付きの本、書き入れのある本、『ひばり山姫捨松』の二世綱太夫による改作の例などを示したり、などなど、ふだんまったく目にすることのない浄瑠璃本を眺めるのは意外なほど面白かった。岩波講座「歌舞伎・文楽」の『歌舞伎文化の諸相』のことを思い出したりも。抜き本として刊行されていた音曲の正本は江戸で流行した出版物で、江戸の浄瑠璃が座敷浄瑠璃化したためだった、というくだりを思い出した。と、ちょっとそういう歌舞伎や浄瑠璃の周囲を勉強しようという意欲が湧いてくるのが嬉しいし、浄瑠璃云々を抜きにしても、書物を見る展覧会というのは、いつもなにかしら刺激的なのだった。

2階では初めて知った美術品を見るのがなかなかたのしかった。天明期の鶴岡蘆水の「両岸一覧」、隅田川の東西両岸の景色を絵巻にしたてた作品が眼福だった。展示されていたのは西巻で、今戸焼の釜があり、待乳山、浅草寺というふうに風景が変転、そのシンプルな線が素敵だった。江戸風景というと、二世広重の「江戸名所四十八景」があり、そのひとつひとつを眺めるのがほんわかと嬉しかった。花鳥画との対立概念としての風俗画が江戸初期に高い関心が寄せられた、というふうな説明書きがあり、そんな現世礼讃の江戸文化というのが少しは実感できたかと思う。せっかく歌舞伎を見ているのだから、その同時代としての江戸文化をいろいろと突っ込んでみたいものだと思い始めて幾年月、そんな気持ちに立ち返ったかのような感覚だった。

ホテルオークラというと思い出すのは、戸板康二の『ぜいたく列伝』所収の「大倉喜七郎のホテル」。喜七郎は喜八郎の息子で「お前は一つ足りないから八を七にした」とのこと、その息子は「喜六郎」で慶応国文科での戸板さんの1年後輩だったという。というわけで、戸板康二の「ぜいたく列伝」散歩という点でも嬉しい展覧会であった。

落語メモ

  • 桂文我独演会 / 博品館劇場
    • 桂まん我『子ほめ』
    • 桂文我『餅つき』
    • 桂米平(立体紙芝居)
    • 桂文我『蜆売り』
    • (中入り)
    • 上方寄席囃子の魅力
    • 桂文我『蛸芝居』

去年12月の国立名人会で初めて文我師匠を聞いた。『土橋万歳』をたいへん堪能した。独演会の折にはぜひとも足を運ぼうと思ったのだったが、1年後にやっと実現。やっぱり文我師匠は素晴らしかった。3席ともとてもよかった。開口一番のまん我さんはほんわかと面白く絶好の幕開け、米平さんの「立体紙芝居」が大笑いで、『蛸芝居』の前に企画されている、「上方寄席囃子の魅力」と題されたお話と実演もたいへんたのしく、会全体がなんともぜいたくだった。

何度聞いたかわからないおなじみの『子ほめ』は上方バージョンで聞くと新鮮な面白さがあって、今まで聴いた『子ほめ』のなかで一番面白かったかも。熊さんにお世辞の言い方を伝授するご隠居も商売人ふうの抜け目のなさが垣間見られて、絶妙な味わいであった。現在米平さんしか演じ手がいないという「立体紙芝居」、今日のお話はシンデレラ! なにがどのように面白かったのかと問われるとよくわからないのだけれども、なんだかおかしくておかしくて、あちこちでお腹がいたくなるほど笑った。米平さん筆の絵が面白かったのか、ところどころの陳腐な仕掛けがおかしかったのか、なんなのか。第一弾は忠臣蔵だったのだそうで、ぜひとも忠臣蔵の立体紙芝居を見たいものだ。「立体紙芝居」という寄席芸も今回初めて知った。いいものを見た、と思った。

そして、文我師匠が3席ともとてもすばらしかった。年末恒例の『尻餅』はもとは上方ダネなのだそうで、噺に登場する風俗がとてもいい。河内あたりの百姓が副業で賃餅屋を営業していて、独特の売り声でもって長家にやってくるという描写とそこにあわさる季節感、人々の生活描写が落語の通奏低音となっていて、そこにぼーとひたって、夫婦のやりとりに笑う、というその重層的な時間が落語のよろこびなんだなあということがよくわかった文我さんの一席だった。なんだか痛そうで噺そのものがあまり好きではなかったのだけれども、こんなにも堪能するなんて、という感じ。『蜆売り』も船場や御堂筋、天王寺と詳細は忘れてしまったけど、雪のなか蜆を売って歩く健気な少年、その日は「恵比須さま」の日で、東京の「お酉さま」とおなじようなにぎわいを大阪でみせる日なのだという、というような風俗描写、都市描写がさっそく嬉しい1席。親分、みんなに阿呆と呼ばれている男、蜆売りの少年、それぞれの人物描写もくっきりとそれぞれにとてもよかった。蜆売りの少年描写がちょろっと桂枝雀の『佐々木政談』を彷佛とさせて胸がいっぱい。

中入り後の「上方寄席囃子の魅力」では、文我さんが司会で、米平さん、紅雀さん、まん我さん、三味線のかつら益美さんがそれぞれの楽器で実演を聞かせつつ、文我さんとのやりとりを聞くという時間。ふだん歌舞伎で音楽に心ときめかしている身としてはたいへん興味深く、ためになるうえに面白い、という時間。噺家の登場の際に出囃子が入るのは上方が先で、東京では大正以降のことだとか、桂文楽でお馴染みの「野崎」、米朝師匠の格調高い出囃子、枝雀のいかにもにぎやかな出囃子などなど、実演の前にその説明があったりする。怪談噺での鳴りもの、宴会シーンでの下座といった感じに、上方落語の魅力は音楽のたのしさでもあるので、文我師匠のおはなしを聞くことでますます上方落語に心惹かれて嬉しかった。その「上方寄席囃子の魅力」のあとで、実際に囃子が入る『蛸芝居』を聴くことになるという展開がなんともぜいたく。先月の鈴本での正雀さんの『質屋芝居』の折にも文我師匠に教わったと正雀さんがお書きであった。その本家本元の文我さんであらためて芝居噺を聴けたのが嬉しく、ここでも船場の大店の描写がよくて、先月聴いた正雀さんの江戸との比較がたのしかった。そして、正雀さんのときと同じように、ふだん歌舞伎を見ている身としてはそれだけで嬉しい芝居噺なので、絶好の締めになった。

というわけで、たいへんすばらしい落語会だった。今年の落語の白眉を3つ選べと言われたら迷わず入れたいと思った(あとの2つは不明だけど)。文我さんにはこれからも注目したいと思う。

博品館劇場は初めてのホール。戸板康二が博品館劇場の楽屋で金子信雄がとってくれた吉田のコロッケ蕎麦を食べたとエッセイで書いていたのを思い出して、帰りはよし田でお蕎麦、といきたかったけど、別のお店になってしまった。次の機会にはぜひ。