ジュンク堂で「演芸画報」人物誌

昼休みの本屋さんで、なんとはなしに「暮しの手帖」を手にとって、思わず欲しくなって買ってしまった。お掃除がたのしそうだし、大根料理がおいしそう。実家の母が買っているのをチラリと見る程度で、「暮しの手帖」最新号を自分で買ったのは初めて。なんだか嬉しい。表紙に刷ってある50年前の「暮しの手帖」の目次に三宅周太郎の名前があるのを発見、本棚の写真には新世社版の一葉全集があると、コーヒーショップでさっそく眺めてたのしかった。と、表紙だけでなく、せっかく買ったので12月はお掃除強化月間としたい。映画評のページで、ニック・カサヴェテスの『きみに読む物語』のことを知った(http://www.kimiyomu.jp/)。1月になったら見に行こう、と思ったけど、サイトを見たらちとひいてしまった…。

購入本

新宿へ足を伸ばしたついでに初めて新宿三越に開店のジュンク堂にふらっと足を踏み入れた。特に深い考えはなく、せっかく近くを通りかかったのでちょいと見ていくとするかと、買い損ねていた「彷書月刊」の正岡容特集号を手にとったあと、そのあたりの棚を気まぐれに眺めていたら、突然びっくり。池袋のジュンク堂では今まで存在を見逃していた本にパッと遭遇、ということがままあったものだったけど、それは新宿でもまったく同じだった。おそるべし、ジュンク堂!

  • 楠山三香男編『楠山正雄の戦中・戦後日記』冨山房(ISBN:4572007748

このような本が出版されていたなんて、しかも冨山房から! 奥付を見ると2002年4月刊行、当時この本を見つけていたら、迷わず手にとっていたに違いなく、今まで見逃していたのはとんだドジだった。楠山正雄というと、まっさきに頭に思い浮かぶのは、いつもの通りに戸板康二がらみで、敗戦間際の昭和20年5月に羽左衛門が死んだあと、「日本演劇」を編集していた戸板康二が羽左衛門論を乞うために、その月の空襲で焼け出されて郊外へ疎開していた楠山正雄を麦秋の頃に訪ねるというくだり。この挿話がずっと心に残っていて、図書館で「日本演劇」に掲載の楠山正雄による羽左衛門論を読んだものだった。にわかには味わい尽くせないような芳醇かつクールな文章で知的な香気がたっぷり。こういう文章が一番好きかも、と思ったものだった。というわけで、立ち読みしてまっさきに羽左衛門が死んだあたりの日付けを繰ってみたのだが、残念、直前で途切れていた。が、9月4日のところに「戸板康二来る」とあり、15日のところに「日本演劇の為『演劇の廃墟に立つ』を草す」とある! などと、戸板さんが登場していなくても迷わず買うつもりだったけど、戸板さんが登場しているとやっぱり嬉しい。先週、三田の折口信夫門下の波多郁太郎の日記に興奮していたばかりだったところで、立て続けに日記に興奮することとなった。なんて、戸板さんがらみだけでなく、わが愛読書の上村以和於著『時代のなかの歌舞伎 近代歌舞伎批評家論』(ISBN:4766410114)で詳しく語られているのを見て、楠山正雄の存在そのものがたいへん心に残るものがあったのだった。

戸板康二の『演芸画報・人物誌』の「楠山正雄」の項には、『演劇五十年』を書くために話を聞きに言った際の、《それは冬だったが、火の上に手をかざしながら、静かな低い声で「須磨子は淫婦でしたよ」といったのが、ぼくには印象的だった。》といったくだりがある。この日記の口絵に火鉢に手をかざして談笑する楠山正雄の写真があって、戸板さんの文章のなかの楠山正雄が鮮やかに実感できて胸がいっぱいだった。

  • 雑誌「彷書月刊」2004年12月号《容 いるる 生誕百年正岡容》

もとをたどれば、正岡容に興味津々になったのは、戸板康二の『演芸画報・人物誌』がきっかけであったので、楠山正雄と合わせて、奇しくも「演芸画報」つながりの買い物となった。今回の正岡容特集ははじめから最後まで稀有な見事さ、たいへんすばらしい特集内容だった。ちょっと思い出して、「BOOKISH」の落語本特集に掲載の、戸田学氏の「不思議なるかな正岡容」を1年ぶりに読み返してみたら、「彷書月刊」を読んだあとなのでますます浸透してきて、上方落語への影響といった内容がまさしく目から鱗、これまたますます面白い。坪内祐三さんの文章で引用されていた、松崎天民の《大阪で我々は正岡君をヂャズと称していたのであります。》というくだりがいいなあ……。ヂャズ! 正岡容は誰が語ってもすこぶる面白い。これだけの人材を輩出し、こんなに語り続けられ、生誕百年を飾った正岡容は幸せなだなあと思う。こんなにたのしませてもらえるこちらも幸せだ。


と、ジュンク堂にホクホクになって帰宅すると、注文していた古本が届いていた。

  • 八世坂東三津五郎述・小島二朔編『父三津五郎』(演劇出版社、昭和38年)

思えば、今月は歌舞伎座の『関の扉』をきっかけに、ひょんなところで七代目三津五郎に燃えた一カ月だった。鎌倉で購入した『三津五郎舞踊芸話』と合わせて、この『父三津五郎』も今月の『関の扉』の思い出とともに末永く大切にしたい書物。七代目だけでなく、八代目三津五郎にもなにかと惹かれつつも、まだよくわからないことも多々あるので、追々解明していきたい。

この本は、京橋図書館で見つけて初めて存在を知った本で、さっそく借り出して築地のタリーズで繰ることになったのだけれど、読み始めてみると臨場感たっぷり。鏑木清方の『こしかたの記』のことや岡本綺堂の『ランプの下にて』など、かねてからの愛読書の記述を思い出したりもした。『父三津五郎』ではさっそく尾崎紅葉の父、谷斎のことがちょろっと登場したので興奮だった。谷斎の存在を初めてはっきりと心に刻んだのは、いつもの通りに戸板康二がきっかけで、『泣きどころ人物誌』を読んでからのこと。『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』で坪内祐三さんが、たばこと塩博物館で谷斎作の根付けを見てうっとり、といったことを書いていたと記憶する。「芸術新潮」2000年5月号の「尾崎紅葉の『隠し父』谷斎のあっぱれ人生」という記事で、谷斎の根付けを見ることができるのだけれど、もう本当に実に見事で、わたしもいつの日か博物館で実物を見てみたいものだと思っている、何年も前から。今、「芸術新潮」をめくってみたら、「やまと新聞」の記事が紹介されていて、円朝の「隅田の夕立」の挿絵、とある。このあたりの人物誌、「明治の東京」がひたすら好きだ−、とあらためて興奮。

などと、話がそれてしまったが、『父三津五郎』をさっそく入手できて嬉しい。先日神保町で見つけて、ちょっと値段が張ったので思わず闘志が湧いてしまい、ネットで安価で出ているのを探索したのだった。