伊賀越道中双六、地下室の古書展

まさに秋日和のいいお天気で自転車乗りにぴったりの気候。正午から国立劇場で芝居見物、のその前に、少し早目に家を出て図書館で予約していた本をひきとって、通りがかりのスターバックスでひとやすみした。借りたばかりの、福原麟太郎著『夏目漱石』(荒竹出版、昭和48年)をさっそくホクホクと読みふけった。講談社文芸文庫の著書一覧で知ってすぐに読みたくなったのだけれども、英文学者による漱石エッセイという感じで期待通りの内容だった。さらに嬉しかったのは、「日本の文壇と英文学」と題した庄野潤三との対談が収録されていて、このごろの関心にピタリとハマった内容だったこと。イギリスでは文学がわかるかどうかの一つの判定にゴールドスミスの『ウェークフィールドの牧師』を読んで面白いと思うかどうか、と小沼丹が話していたというくだりがあった。本全体が、漱石のみならず庄野潤三や小沼丹、福原麟太郎そのものにますます惹かれて、今後も彼らの本はもちろん、さらに彼らを媒介に英文学に接したいものだと読みたい本がどんどん増える嬉しい本だった。ぜひとも近いうちに入手したいものだと思う。秋の夜長にオースティンやディケンズを読み返そうとも思う。小沼丹全集の続きを早く買いたいとも思う。

そんなこんなで、コーヒーを飲んですっきりしたのがよかったのか、芝居見物も体調万全。「見逃さないでよかった!」と興奮しつつ劇場を出て、再び自転車にのりこんでお壕端をいい気分で走ってますます気分爽快だった。その気持ちよさはさながらシベリウスの交響曲第6番の第1楽章を聴いているときのようだった。神保町に到着して、地下室の古書展(http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/)開催中の東京古書会館へ突進。欲しい本がたくさんありすぎて選択に難儀しつつ、今日もよい本を買うことができた。購入を見送ったあんな本やこんな本と、なにかと後ろ髪をひかれる思いで地下室から上がると、とっぷりと日が暮れていた。壁に貼ってある各紙書評欄を見に行こうと東京堂へ出かけたら、思いのほか長居してしまって、気がついたら閉店時間。本と芝居とコーヒーと自転車乗りのよろこびに満ちた、いい日曜日だった。


芝居見物

  • 通し狂言『伊賀越道中双六』/ 国立劇場

先月末たまたま近松半二の浄瑠璃集を買って、『伊賀越道中双六』本文を熟読する運びとなったので、せっかくなので行くとするかとほんの成りゆきの芝居見物だったけれども、見られてよかった。岩波の新日本古典文学大系を読みふけったあとでの芝居見物というと、来年1月はなんと『御摂勧進帳』だというのでびっくり。本を読んでうっとりだった二番目の上演はさすがにないみたいだけど、たのしみたのしみ。また『江戸歌舞伎集』を読み返すとしよう。『近松半二 江戸作者 浄瑠璃集』所収の『伊賀越道中双六』を読んだのだから、近いうちにぜひとも『上方歌舞伎集』所収の奈河亀輔『伊賀越乗掛合羽』を読みたいものだと思う。というような、新日本古典文学大系つながりが嬉しい。

と、たまたま浄瑠璃を読めたので芝居見物が実現したのだったが、いざ見てみると、この滋味、この渋みという感じで、いぶし銀のような、とでも言うのだろうか、たいへんわたくし好みの舞台だった。見逃さないで本当によかった。「沼津」を中心にした通し上演とのことで、こういう通し上演によくありがちな、おなじみの場へのつながりをわかりやすくするために上演することになった上演頻度の少ない場はいざ見てみるとあまり面白くなく、上演頻度が少ないのはもっともだと納得し、おなじみの場をより深くたのしめたのはよかったかなあと思って劇場をあとにする、という展開になるのだろうと予想していたのだけど、いざ見てみると、「沼津」はもちろん、「饅頭娘」がたいへん面白かった。「饅頭娘」「沼津」両方とも鴈治郎の芸を思う存分、たのしむことができた。その二つの場の鴈治郎を見ることで、歌舞伎の演技の系譜(のようなもの)に思いを馳せることができて、ひとつの演目の見ながらも「歌舞伎」そのものを見ているような気分になる、というようないい舞台を見るたびにいつも思うことをヒシヒシと感じて嬉しかった。

「饅頭娘」では鴈治郎の政右衛門が花道に登場したところでさっそく嬉しかった。ちょっとよろめく酔態のサマが絶妙。その歩く芸。本舞台に行ったあと、お谷に本日の祝言の給仕を申しつけるところの、本心をかくし酔態をよそおってのセリフ。その話す芸。酔ったからちょっと寝ると裃をとって、お谷が黒い羽織を着せるまでの立ち姿。その立つ芸。……と、「饅頭娘」における鴈治郎のあちこちの所作が、心にビシッとはまって細部をあちこち堪能しまくりだった。酔態をみせて本心を隠すくだりでまっさきに思い浮かぶのは、『忠臣蔵』の七段目。鴈治郎で七段目を見たいものだと思った。いつかの国立劇場の上演を見逃したのを今さらのように悔んだ。義太夫好きとしては、竹本にのった様式的所作があちこちで嬉しく、さあ祝言だと柴垣が登場するところで、謡ガカリになるところがクーッとよかった。お谷と柴垣とでしんみりした舞台になったところで、政右衛門が少女におもちゃを示すところのちょっとした軽みが添えられるところとか、端正な演出がとてもよかった。そして、少女が退場したあと座をあらためて五右衛門に切腹をお願いするところのセリフ回しなどなど、場全体のなかでそれぞれ次の段階へ移行するときがキリッとしていて、そのリズムというのか、舞台の変転に身を任せて、じんわりとその滋味にひたる、というのがたまらなかった。先ほど七段目の由良之助を思い出したと思ったら、最後は四段目の幕切れふうに、花道を歩いていく政右衛門のところもクーッと興奮、最後の最後まで面白かった。

何年か前に仁左衛門と勘九郎と玉三郎の歌舞伎座の舞台をたいへん堪能して以来で、「沼津」を見るのは今回が二度目。何年も前の舞台なので、初めて見るような感じでもあったけれども、仁左衛門とはまた違って、鴈治郎の十兵衛はいかにも上方の濃厚さがみなぎっていて、これまたとてもよかった。歌舞伎座で『封印切』を見たとき等にたいへん堪能した、鴈治郎の和事のよろこびがみなぎった舞台。「和事の見本帳」という感じで、こちらでも歌舞伎の演技の系譜というようなことを思わせてもらったように思う。歩く芸、話す芸、立つ芸…がここでもバッチリで、お米が布団を敷くときに所在なげに柱にもたれかかって立っている姿が妙に心に残っている。初めて見たときも「沼津」は作品そのものがとても好きだった。はじめの笑いあふれるところから日没と並行するように三人の関係が明らかになって、それがお母さんの命日の出来事だなんて、本当になんという運命だろう。端正な演出がこの場でもとても胸にしみてきて、それまでワキふうだったお米がシテに変換していくかのような、印籠を盗むまでの竹本にのった動きがよかった。秀太郎はわたしにとって妙にツボな役者で、出ているとつい注目してしまう。今回は、わたしも頑張ったのだけど、どうも違和感がぬぐいきれず残念。しかーし、お米が今までのことを振り返るところのクドキ、わが身の瀬川云々のあたりで、いかにも遊女というふうになってきて、ここでようやく、いいぞーと思った。我當は終始、この老人の善人ぶり、貧乏はすれども清く正しく軽やかに生活をそれなりにたのしんでいる、という感じがよくでていてよかった。娘が盗みを働いたことを知ってショックを受けるところでは、うっかり泣けてしまった。わたしの愛読書、志野葉太郎著『歌舞伎 型の伝承』を読んで注目していたくだり、花道の「しんどが利」のあたりが嬉しかった。

まとめてみると、ほんの成り行きで見に来ることとなった、今回の『伊賀越道中双六』は極私的よろこびに満ちてもいて、たいへん面白かった。国立劇場は、『天下茶屋』や『彦山権現誓助剣.』がわたしのなかで思い出の名舞台であったが、こういう滋味あふれるいくぶん渋い演目が好みなのだなあと、自分のなかの嗜好を再確認できたのがよかった。これからも国立劇場でこんな感じにたのしめればいいなと思う。『伊賀越道中双六』はまたあらためて、文楽の通し上演で見たいものだと思う。



購入本

地下室の古書展では古書展会場に突進してしまって、ガリ版展をうっかり見逃したのが無念。古書展は前回同様、とてもいい雰囲気で、いい気分で書棚を練り歩いて、いろいろと凝視した。あれやこれといろいろと目をつけつつぐるっと一周して最後は西秋書店。蜘蛛の網にかかる虫のように、西秋書店ブースから離れられないわたしであった。ツボをついた品揃えがたまらない。西秋書店だけでも欲しい本がありすぎて、結局お買い物は西秋書店だけになってしまったけれど、バランスよくよい本を買えて、理想的なお買い物ができて嬉しかった。帰宅後、森茉莉街道をゆく(http://blog.livedoor.jp/chiwami403/archives/8179310.html)を拝見して、辰野隆の『青春回顧』も買いたかったなあとわたしも思ったのだった。

以下、アンダーグラウンド・ブック・カフェ(http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/)でのお買い物メモ。

  • 雑誌「文藝春秋 漫画読本」昭和37年7月号

文藝春秋の「漫画読本」は何年か前にどこかの古書展で、戸板康二目当てで買ったことがあった。単行本未収録のエッセイだったのと値段が安かったのとで気まぐれで買ったのだけれども、昭和30年代な軽やかな誌面がなかなか面白くて、他の号の戸板康二も探さねばとずっと思っていたのだった。ということを、西秋書店ブースに何冊も面出しで並んでいた「漫画読本」を見て思い出して、戸板を探せ! とメラメラと立ち読みにいそしんで発見したのがこの号。「安かろううまかろう食べ歩る記」なる記事で、戸板康二が《大体ぼくは行動半径がせまく、元来ひと見しりがはげしいので、未知の店にとびこんで、味覚探訪をこころみる冒険がほとんどない。それでも、劇評を書く仕事を中心とする毎月の街の生活で、しぜんに安くてうまい家をしぜんにおぼえることにはなって行っている。》という書き出しで、劇評家の東京味覚地図を軽やかに綴っている。立ち読みしてさっそく、いかにも戸板さんな筆致が嬉しくてたまらなくて、これはもう迷わず購入。初めて読んだ文章で、各所の劇場がポンポンと登場する、昭和30年代の東京風景がとてもいい感じなのだった。戸板さんはハヤシライスが大好物だったなんて初めて知った。

「漫画読本」はほかにもいろいろ立ち読みしてたのしかった。ほかの号で山口瞳の「アンチ巨人」についての文章があって、そこに文壇の巨人ファンの筆頭として名前があがっているのが十返肇。今回買った「漫画読本」に戸板さんの「安かろううまかろう食べ歩る記」の次のページに当の十返の「プロ野球お天気図」なる記事があって、戸板さんのページ同様、柳原良平の挿絵つき。この翌年に十返肇は亡くなってしまったのだなあとちょっとしんみりもした。

  • 鷲尾洋三『回想の作家たち』(青蛙房、昭和45年)

文藝春秋の編集者による回想集。著者は明治41年生まれで、戸板さんが予科に入学した昭和7年に慶應国文科を卒業して、昭和9年に文藝春秋に入社している。往年の編集者によるメモワールはキリがないけれど、何冊買ってもそのたびに「おっ」なのだった。先日、岡富久子さんの本を買ったばかりで、またもや文藝春秋つながりとなった。はじめは青蛙房という版元に惹かれて手に取ったのだけれど、目次の並びがさっそくいい感じなうえに、「新文明」が初出だという文章が何本も収録されていて「おっ」だった。著者は小泉信三に心酔していたとのこと。「新文明」初出の青蛙本というと、仲田定之助の『明治商売往来』を思い出し、あとがきで披露されている久保田万太郎についての挿話を読んで、同じく青蛙本の後藤杜三著『わが久保田万太郎』のことを思い出したりと、なにかとツボな1冊だった。今日初めて存在を知った本というのも縁だなあと思った。

  • エヴァン・ハンター/都筑道夫他訳『ジャングル・キッド』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1960年)

ポケミスが何冊か並んでいて、田中小実昌訳のチャンドラーがあるのを見て、むかしチャンドラーにハマっていたときにわたしも田中小実昌訳を古本屋で嬉々と買ったものだったと追憶にひたった。と、しばし懐かしがっていたら、隣りに都筑道夫訳のエヴァン・ハンターがあるではないか。前々から都筑道夫訳の安いポケミスを見つけたら買おうと思っていたのだと手にとって見ると安かったので嬉々と購入することに。

  • 吉田加南子『言葉の向こうから』(みすず書房、2000年)

川本三郎さんの晶文社本などなど、新刊で買い損ねて図書館で読んで堪能して機会があったら入手できると嬉しい、というような本が何冊かあって、選択に難儀。と、そのとき、ふと吉田加南子さんの本を見つけた。この本もまさしく刊行当時図書館で借りて機会があったら買いたいなあと思っていた本だった。つい最近、思潮社の嵯峨信之詩集を手に取ったら、解説を寄せているのが吉田加南子さんで、この本のことを思い出していた矢先だった。というわけで、今日はこの本に決定。いろいろな雑誌に寄せた文章を集めている、音楽や美術、書物に関するエッセイ集。こういう体裁の本がいつも大好きだ。