歌舞伎座昼の部日記

雨がザアザア降っている日曜日、こういう日は劇場にこもって芝居見物というのがぴったり。今日は歌舞伎座の昼の部を見物。各演目ともいい具合にたのしむことができた。今日はひさびさに自分としてはもっとも理想的な態度で見物することができた気がする。毎回こんな感じで見られればどんなにいいだろう。これといった信念がなくいつも気分で見ているのでどうもその日の体調に左右されてしまうのだった。機嫌よく歌舞伎座をあとにして、相変わらず雨がザアザア降っているなかをテクテク歩いて、京橋図書館へ。

予約してあった本を引き取ってすぐにタリーズへ移動。コーヒーを飲んでのんびり。まずは田沼武能の『東京の中の江戸』という写真集を眺めた。先週の古書展で買った向坂隆一郎の本で初めて知った本で、巻末で戸板康二が写真を何枚かピックアップして「江戸/東京 ちょっといい話」というのを書いている。「古今亭志ん生」という項があって、山口瞳が発起人となって志ん生の大津絵を聴く会が外神田で催されたという伝説の会のことがちょろっと登場している。山口瞳や矢野誠一さんの文章で戸板さんが居合わせていたことで注目していたこの会のこと、戸板さん本人の文章で見たのは初めてだった。なにかとホクホクだった。次は、国立劇場の『一谷嫩軍記』の上演資料集。戸板康二の『演芸画報・人物誌』でなんとなく気になっていた記事を実際に読むことができて嬉しくて、立て続けにホクホク。そのあとは、上田文世著『笑わせて笑わせて桂枝雀』(淡交社)を一気読み。ひとたびめくってみると一気読みするしかない、という感じのすばらしい本だった。そんなこんなでとっぷりと日が暮れて家路についた。いい日曜日だった。


芝居見物

  • 芸術祭十月大歌舞伎『寿猩々』『熊谷陣屋』『都鳥廓白浪』/ 歌舞伎座・昼の部

『忍ぶの惣太』は前回2000年5月の上演のとき、たいへん堪能したのが今でも鮮明な記憶なのだった。渡辺保さんの『黙阿弥の明治維新』を読んだばかりの頃に見たのでさらに気分が盛り上がった、ということもあった。あのころは歌舞伎が面白くてたまらなかった頃だった(遠い目)。ここ数カ月、歌舞伎座で再見の演目に遭遇すると、前回ほどは楽しめない、という事態に立て続けに遭遇していて、芝居見物が惰性になっている証拠だ、なんとかしないといけないと思ってばかりいたので、今回もそうなる予感がヒシヒシとあんまり期待せずに見たのだったが、いざ見てみると全然違って、全編堪能で、まさしく目が覚めるようだった。

仁左衛門の惣太が実に素晴らしかった。梅若丸が殺されるところで、惣太が駕篭から登場するところの姿がとてもかっこよくて、いかにも江戸の男伊達。筋書きで仁左衛門が「五郎蔵と置かれた環境は同じですが、五郎蔵のように自分を楽しんでいる部分がまったくありません」と言っている。前回團十郎で見たときは、吉原で花子のもとに通いつめて「忍ぶの惣太」と呼ばれているという部分を知っていたはずなのに、主君のため、という部分のみに注目していて、吉原の男伊達という姿は特に印象に残っていなかったみたい。なので、登場して初っぱなでそのかっこよさにびっくりだった。そんなこんなで、あらためてじっくりと『忍ぶの惣太』全体を見直すという感じで、理想的な再見となった。二幕目の向島の惣太内の場では吉原のことを「川向こう」というふうに言っていたりと、そんな風土がとても面白く、先日『吉原夜話』という本が届いたばかりなので気分はさらに盛り上がった。いつもながらに黙阿弥の風俗描写は冴えまくり。

二幕目の最後で、女房お梶の犠牲で目が見えるようなるまでは、惣太はずっと盲目。その目が見えないという動きがあちらこちらで仁左衛門はとても巧くて巧くてウキウキだった。思えば、梅若丸を殺してしまうのも目が見えないために手がすべったせいだし、向島の惣太内の場でも目が見えないばかりに花子に大事な都鳥の印をすり替えられるし家財道具は盗まれるし、過ってお梶の父を切ってしまうしで、惣太は盲目ゆえに散々な目にあってきて、それまで惣太は暗闇のなかにいたのがお梶の犠牲で光を取り戻し、最後の場へとつながるのだなあという流れが面白かった。

登場のときのパリッとかっこよい着物姿、その小袖は実は借り物で、二幕目でむりやり返却させられてしまって、浅黄の襦袢姿になる。部屋のすみに置いてあった肩入れ付きの縞の着物を花子が着せて、江戸の男伊達から町人姿に変わり、花子も同時に赤の襦袢姿になってお梶の兄の羽織をもらう。という、よくあるような着替えるシーンの系譜というのも面白かった。十右衛門がやってきて、真ん中が惣太で下手に花子で3人で話すシーンでも、惣太は花子が持ってきた煙草盆を使って、十右衛門はもともと置いてあった煙草盆を使うというような小道具遣いもいつもながらに面白く、しょうこりもなく今回も手ぬぐいにも注目であった。登場のとき、パリッと男伊達に肩に乗せていた手ぬぐいで梅若丸を殺してしまうことになり、その手ぬぐいは「吉野桜にしのぶの染出し」であるとあとで軍次が告げるところがなんだか嬉しかった。花子が登場のとき頭にかぶっていた手ぬぐいもその都度いろいろ用途を眺めるのがたのしく、肩をもむところで惣太の肩にかけたりする。

菊五郎の花子はもう磐石という感じだけど、発端でちょろっと登場の田之助や、段四郎、左團次などなど、それぞれの役者がみなよかった。全体を見通して、どこもだれることなく、はじめから終りまでたいへん堪能だった。黙阿弥の作劇の巧さを心ゆくまで味わうことができて、小團次のために竹本入りになったという梅若丸の殺しの場のところどころ様式的な動きになるところが気持ちよく、そんな音楽的流れの歓びが仁左衛門のセリフの口跡のよさで増強された感じ。二幕目の惣太内の場でも、人物のテンポのよい段取りを観察するだけでも尽きない感じで、隅田川沿いの向島の桜餅という風俗描写に胸躍り、最後の按摩宿では鯉がアクセントになっている。花子実は松若丸が丑市を殺すところのセリフにウキウキだった。この場の菊五郎が圧巻で、黒の着物になって正体が明らかになった姿がとてもかっこよい。女から盗賊の頭の男になって、最後にはきちんと身分の高い人、松若丸の口調になる、その変幻自在さ。まさしく菊五郎のためにあるような役だ。

などと、全然まとまっていないが、『忍ぶの惣太』がたいへん面白かった。またかの黙阿弥だけど、黙阿弥は何度見てもそのたびに大喜び。

はじまりの『寿猩々』は義太夫の舞踊という、その演目の内容が面白くて、さっそくいい気分の芝居見物となった。八代目三津五郎がつくったというだけでもワクワク。『熊谷陣屋』は文楽では二度見ていて、歌舞伎では今回が二度目。前回も幸四郎で見ていたので、ぜひとも次回は吉右衛門で見たい。二度目の歌舞伎見物なので、いつものようにあちこちの芝居の運びをじっくりと確認できただけで大満足。相模のクドキのところを見るといつも(といっても2度目だが)ジーンと目頭が熱くなる。『熊谷陣屋』は浄瑠璃の本文そのものがとても好きなのだった。段四郎の弥陀六の姿がとてもよくて、ちょっと鋭利な感じがするところが無類だった。セリフ回しが堂に入っていて、とても気持ちよかった、と言いたいところだったけど、まだあまりセリフが入っていないようで、ところどころの間がスリルとサスペンスだったけど、それを補って余り有るかっこよさ。弥陀六の肌脱ぎになる襦袢に平家の文字が書いてあるというのが面白かった。段四郎は『忍ぶの惣太』の十右衛門もかっこよくてセリフもよかった(こちらもちょっとスリルとサスペンスだったけど)。

……などと、ますますまとまっていないけど、たいへんたのしい芝居見物だった。