趣味展、志ん生復活

軽い所用のため平日とほぼ同じ時間に外出。雨があがってやれ嬉しやと、突発的に自転車で出かけることにした。昼下がり、さっさと家に帰ればいいものをひさしぶりの自転車乗りが嬉しく、下り坂が続いていくままに自転車に身をまかせているといつのまにか神保町に到着していた。せっかく土曜日の神保町にやって来たのだから、ちょいと古書展をのぞいていくとするかと、深い考えもなく趣味展開催中の東京古書会館へ。すると、戸板康二がらみでたいへんよい買い物ができた。ホクホクと古書会館を出たものの、ひとりでハイになってずいぶんくたびれた。他の本屋さんを見てまわる力は残ってなく、コーヒーを飲んでのんびりしてから、蒸し暑いなかを力なく自転車をこいで帰宅。

帰宅後、いただきものの MD にさっそく耳を傾けた。安藤鶴夫の「志ん生復活」、昭和38年ニッポン放送の番組。安藤鶴夫の語りが芸の域に達しているくらいの素晴らしさ。文字通りの「志ん生復活」の瞬間で目頭が熱くなってしまい「感動する夫」状態になってしまった。ああもうすばらしかった。去年にいただいた、戸板康二と梅幸の対談 MD とともに末永く我が家の家宝としたい。これから秋冬は志ん生を強化しようかなと思った。万太郎の小説『末枯』を読んで、志ん生の落語『五銭の遊び』を聴くと、マニアックな愉しみ方ができる(id:antsuru:20040922)とのことなので、夜ふけはひさびさに久保田万太郎の『末枯』と『続末枯』を読み返した。これからますます万太郎読みにぴったりな季節がやって来ると思うとそれだけで嬉しい。今年の酉の市は三の酉まであることだし。


購入本

東京古書会館の趣味展でのお買い物メモ。

  • 三宅周太郎『演劇評話』(新潮社、昭和3年)foujita2004-09-25

あっ、三宅周太郎の『演劇評話』だ! わーい! と何年も前から読みたかった本。1000円くらいだったら買おうと思って(何年も前から読みたかったと言いつつ1000円に固執)、手にとって見るとぴったり1000円だったので、めでたく買うことができた。月の輪書林の棚にあった本で、裸本にパラフィンがかかっていて背表紙に豪快に「サイン」と書いてあった。ちょいと気が向いて献呈先の「西村晋一」を検索してみたら、メールマガジン「早稲田古本村通信 第41号」がヒットして、松本八郎さんが「西村晋一と『エス・エス』」という文章を掲載中だったので大喜び。わたしの『演劇評話』の元所有者は西村晋一であった。わたしもこれを機に西村晋一ががぜん気になった。

http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200408231200000000106202000

あとで、戸板康二が『思い出す顔』で《当時「文藝春秋」にのった西村晋一氏の劇評がいいもので、その一部は「演劇明暗」という本に収められている。西村さんは「東宝」の編集長となり、大山功氏と二人で劇評を書いた。人柄が対照的で、筆もまたおなじように芸風のちがうのがおもしろい。》と書いているのを発見。三宅周太郎の『演劇評話』は戸板さんが初めて買った三宅周太郎の著書、むさぼるように読んで、すぐさま前著の『演劇往来』を買いに矢来町の新潮社まで出かけたという。というわけで、わたしもそのときの戸板青年の気持ちに思いを馳せこれから大事に読んでいくのだ。三宅周太郎の著書は『演劇美談』(昭和17年発行)が谷中安規の装幀で谷中展の図録に載っていた。『演劇評話』もなかなかいい感じの造本。

  • 『回想の向坂隆一郎』(向坂隆一郎追悼集編集会、昭和59年)

と、『演劇評話』を手にとってしばらく月の輪書林の棚を眺めていたら、次は「回想の向坂隆一郎」の文字が目に入った。なんとなく戸板康二が載っているかもという予感があって、パッと手にとってみたら、見事に戸板さんの回想文も掲載されていた。ワオ! とさっそく立ち読みしてびっくり。向坂隆一郎は昭和25年の創刊時から「芸術新潮」の編集部員をしていた人だったのだ(編集長は菊池重三郎)。実は、創刊時からの数年間、A5サイズの頃の「芸術新潮」の誌面が大好きでちょくちょく図書館で眺めていた。戸板康二が結構頻繁に登場していて、ちょうど日本演劇社を退社してフリーになった頃で、そんな戸板さんの油の乗った仕事ぶりと見事に調和している誌面となっている。もちろん演劇評論をメインにしつつ、志賀直哉の聞き書きをしたり、映画の試写会に出かけたり、花森安治と座談会に参加したり、早稲田の演劇博物館を訪ねたり、そんな戸板さんの仕事ぶりがとてもいい感じだったので、戸板康二登場の「芸術新潮」誌面をすべてコピーしていて、あとで整理せねばと思っていたのだった(と思い始めて1年以上)。戸板さんの回想文ではじめて、「芸術新潮」の誌面に戸板さんを誘ったのが向坂隆一郎だったということがわかって、これだけでも大感激。おっ、これは2000円でも買う、でも1500円くらいだったらいいなあと思って値段をチェックすると1000円だったので、わーいわーいとさらに大喜び。

『回想の向坂隆一郎』はなかなか素敵な造本で、表紙は三岸節子による装画となっている。向坂隆一郎は三岸節子の娘婿なのだった。喫茶店でさっそく読みふけってみると、向坂隆一郎は福田恆存に心酔していて、昭和38年の文学座分裂の際に「芸術新潮」を辞めて、現代演劇協会創立に参加、福田恆存の片腕として仕事をするようになった。昭和50年に現代演劇協会が分裂した際に退団して、そのあと小学館で編集者の仕事を再開する。芸術雑誌「クエスト」の編集長になって、「クエスト」でもやはり戸板康二が頻繁に登場することとなった、といった感じに、創刊時の「芸術新潮」のみならず、戸板康二がらみでたいへん有益な一冊であった。現代演劇協会の折には結構辛酸をなめた様子で、巻末に遺稿としてそのときの顛末が綿々と述べられていて、貴重な資料となっている。この回想集には福田恆存の文章はもちろんない。帰宅後、矢野誠一さんの『戸板康二の歳月』をめくってみたら、しっかりとこの向坂隆一郎の文章に触れてあった。あ、そうか、古書展の会場で「向坂隆一郎」の文字を見てなんとなく戸板さんのことを思い出したのは、この『戸板康二の歳月』の記述がおぼろげに記憶に残っていたからだったのだと思った。

  • 池田健太郎『わが読書雑記』(中央公論社、昭和55年)

300円で売っている単行本で欲しいのが何冊もあって選択に難儀。つい先日、昼休みの本屋で岩波文庫コーナーを眺めていたら、改版して発売になったチェーホフ『可愛い女 犬を連れた奥さん』(神西清訳)があったので、なんとなく手にとってペラペラめくると、巻末に池田健太郎による「神西清の翻訳」という文章があって、神西清のことを「文人翻訳者の最後の一人」というふうに書いていて、しみじみと読み入ってしまった。なんて言いつつ、この岩波文庫の『可愛い女 犬を連れた奥さん』は何年も前から持っているので、帰宅後の夜ふけ、あらためて池田健太郎の「神西清の翻訳」を熟読することとなって、実はひそかに「神西清の翻訳」を緩慢に追いかけていて、二葉亭四迷や森鴎外の訳業から始まるような近代日本文学の流れがとても好きなのだった。というわけで、タイミングよく池田健太郎の『わが読書雑記』があったので、本日の300円単行本はこれに決定。山内義雄の『遠くにありて』や最近買ったばかりの徳永康元の『ブダペスト日記』と同じように、歿後に編まれた翻訳者のエッセイ集という体裁。こういう本が大好きだ。

  • 雑誌「苦楽」昭和24年5月号

扶桑書房コーナーに欲しい雑誌がたくさんあって選択に難儀。「セルパン」とか和木清三郎時代の戦前の「三田文学」があったりと、本当にもう選択に難儀して疲れ果ててしまった。さんざん迷いつつ、結局「苦楽」200円を買うこととなった。そして、帰宅後「セルパン」や「三田文学」も買っておけばよかったと後悔するのだったが、こういうふうにたまに「苦楽」を買えるということがあるととても嬉しい。この号には釈迢空名義の「実川延若論」が掲載されていて、喫茶店でさっそく読みふけった。折口信夫の歌舞伎の文章を読むと、いつもあたかも自分が歌舞伎に酔っている人になったかのような言いようのない甘美な気持ちになる。単行本で読んだことがあるはずの文章だけど、「苦楽」で読む「実川延若論」は木村荘八の挿絵付きなのでなんとも豪華。あとで、部屋で『かぶき讃』を読み返していたら、ここに所収の「実川延若論」は「苦楽」に掲載分と「演劇界」に掲載分とで前半と後半が分かれている。当時の雑誌掲載事情に思いを馳せるのが面白かった。

  • 演劇雑誌各種

主に200円で演劇雑誌がたくさん売っていてホクホクになりつつも選択に難儀。「日本演劇」「幕間」「花道」「新演芸」を一冊ずつ買って、あと「花道」別冊の吉右衛門特集を買った。「花道」の別冊には菊五郎特集もあるので、こちらもぜひともいつか手に入れようと思う。喫茶店でさっそく「花道」別冊の吉右衛門特集をめくって、饗庭篁村の『竹の屋劇評集』の文章が紹介されているのを見て、今年こそ『竹の屋劇評集』が欲しいッとメラメラと思った。