ピリス、柴田宵曲、歌舞伎座

ディスク棚が未整理なのがこのところの懸案で、そろそろなんとかしないといけないのだったが(と思いつつ1年以上)、ちょっと思いついて、未整理なのをこれ幸いと棚から手をのばしてパッと適当に取り出して出てきた1枚を場当り的に、今日から朝のレコードにしてみようと思いついた。ディスクの虫干し、という感じがして急にウキウキしてきた。

  • マリア・ジョアオ・ピリス/ショパン:ワルツ集(ASIN:B00005HI89

そんなこんなで、本日のレコードはピリスのショパンのワルツ集となった。まあ、大好きなレコード! と初っ端から大喜び。はじめは苦手意識があったショパンに親しむようになったのは、リパッティのワルツ集がきっかけだった。同じ年の秋に、内田光子さんのリサイタルで前奏曲 op.45 とソナタの3番が演奏されたのを機に、しばらくショパンを強化したのも懐かしい。つい先日、吉田秀和さんの『文学のとき』(白水uブックス)を読み返していたら、ショパンとジョルジュ・サンドについての文章があって、その内田光子さんのときの一連のショパン聴きの日々を懐かしく思い出していたところだったので、グッドタイミングだった。

このディスクを買ったのはオリヴェイラの『家路』がきっかけだった。ピリスの弾くワルツ《告別》が流れるときのキャメラがすごくよくて、あんまりいいのでディスクが欲しくなって物色に出かけたとき、ピリスのワルツ集はリパッティへの敬意のため曲順がリパッティのワルツ集とおんなじということを、店員さんが教えてくれて胸がいっぱいになって、ピリスのワルツ集は帰宅後さっそく聴いたけれども、並行してひさしぶりにリパッティに埋没するということにもなって、なにかと思い出のあるレコードなのだった。オリヴェイラの映画は『家路』以後、立て続けに見逃してしまっている。またいつか。将来のたのしみだ。

ピリスのワルツ集、朝に1回聴いて、帰宅後は買ったばかりの本をめくりながら、低音量で3回くらい再生。急に部屋の空気が凛としてきて、部屋での時間が急に特別な時間になってくる感覚がたまらなかった。

購入本

  • 柴田宵曲『明治の話題』(青蛙房、昭和37年)

日没後、京橋図書館へ本を返しに行き、またたくさん借り出した。その途上、いつもの通りマロニエ通り沿いの2軒の奥村書店に寄り道したのだったが、松屋裏の1軒目にはちょっとドキドキしながら足を踏み入れた。2週間前にこのお店で柴田宵曲の『明治の話題』を見つけて、見つけたとたん猛烈に欲しかったのだけれども、懐と相談の結果、その日は安い本(池田弥三郎と安藤鶴夫)を買った。今度来るときにまだ棚にあったら『明治の話題』を買うとしよう、棚から消えていたらめぐり合わせが悪かったと諦めるとしよう、でも諦めきれない、今度も棚にあるといいな、と思っていたのだった。というわけで、日中はずっと『明治の話題』のことばかり考えていて、今日は寄り道せずに奥村書店に直進した。そして、柴田宵曲の『明治の話題』はまだ棚にあって、満を持して購入。

それにしても、岡本綺堂の養子の岡本経一が社主の青蛙房が版元というのがいかにもな見事な1冊である。まずパッと手にとって風格たっぷり。函には大野静方による「銀座の夜店」の絵が全面にあしらってあって、なんともいえない雰囲気を醸し出している。この絵が大野静方だったということは帰宅後気づいた。鏑木清方との関連で名前を覚えていたので、嬉しくてたまらなかった。山本笑月・長谷川如是閑・大野静方兄弟の父は浅草花屋敷の創設者山本金蔵とか、そのあたりの人物誌がまたたまらない。長谷川如是閑はつい先日の土曜日、所用の折に立ち寄ったとある古本屋さんで、装画が柳瀬正夢の『近代日本ユウモア叢書』の端本を、非常に迷ったあげくに懐と相談の結果、購入を見送ったばかりだった(最近、こればっかし)。こちらも今度出かけるときに棚にあったら買うとしよう。

柴田宵曲の『明治の話題』は一度、小沢書店の『柴田宵曲文集』の端本を図書館で借りて読んだことがあるのだけれども、こういう本こそ手元に置いておきたいと強く思ったので、とにかくも嬉しい買い物だった。はしがきに、《この混成酒的な書物が世に出るに至ったのは、一に青蛙房主人岡本経一氏の好意によるものである。》と宵曲が書く岡本経一があとがきを書いていて、この本を出す喜びに満ち満ちていて、読んでいるこちらも嬉しくなる。青蛙房は、戸板康二を知ってから気にかけるようになった出版社のひとつで、さかんに名著を復刊してくれているので感謝しきり。ひそかに応援している出版社なのだった。今は、もうすぐ出るという、布施昌一著『日本人の笑いと落語−歴史との相関』をたのしみにしているところ。

青蛙房のサイト:http://www.tcn-catv.ne.jp/~seiabo/

芝居見物

昨夜は窓の外の暴風雨に気が散って、なかなか寝つけず難儀であった。こういうときは戸板康二の本を読み返すよりほか方法がないと、夜ふけ、『戸板康二劇評集』をペラペラとめくることとなった。すると、勘三郎の『四谷怪談』の劇評がとても面白くて、つい興奮。戸板さんの劇評は勘三郎のときにとりわけ面白くなるような気がする。勘三郎のお岩についての文章を読んで、先月の勘九郎のお岩のことを思い出した。2回見物に行って、1度目は前回ほどは楽しめなかったものの、勘九郎のお岩は興味深いところが多々あって好き嫌いを別にしてたいへん刺激的ではあった。いろいろ考えようと思っていたのに、2度目は見物が散漫になってしまって無念だった。1度目に見たあとで、この勘三郎のお岩に関する戸板さんの劇評を読んでおくべきだった、と激しく後悔。しかし、後悔ばかりしていてもしょうがない。『戸板康二劇評集』を読んで、猛烈に渡辺保著『中村勘三郎』を読み返したくなったので、図書館でまた借り出したのだった。

  • 九月大歌舞伎『重の井』『男女道成寺』『宇都谷峠』/ 歌舞伎座・夜の部(9月5日)

などと、追われるように観劇しているような感じでもうちょっとひとつひとつの観劇を大切にしないといけないなあと反省中。先日の日曜日は歌舞伎座へ出かけ、五代目福助追善公演となっていて、何年前だったか、早稲田の演劇博物館で見学して大変面白かった《五代目中村歌右衛門展》のことを急に思い出してウキウキだった。成駒屋の勉強をしようと、本日の図書館では小玉祥子著『芝翫芸模様.』も一緒に借りた。

『重の井』は以前、鴈治郎とその孫で見たときとても楽しんだという記憶があったけれども、今回は芝居見物というよりは、無事に終わりますようにと「応援」が先に立ってしまって、見物そのものは淡々となってしまった。でも、今月は文楽で『恋女房染分手綱』を見ることになっているので、『重の井子別れ』の背後の劇を見るのがとてもたのしみで、そのよい前奏になったと思う。「片はずし」の役が好きなので、それを芝翫で見られるというのはいつも嬉しい。『男女道成寺』は初めて見たので、この道成寺ものはこういうふうになっているのかと、内容そのものがなかなか面白くて、福助と橋之助の並びが品があってとてもよかった。長唄に常盤津が絡まるという音楽もとてもよくて、ぼーっと眺めつつも始終ふわふわとよい気分だった。

と、時代物、舞踊ときて、最後は江戸の黙阿弥の『蔦紅葉宇都谷峠』で狂言立てがとてもいい感じ。『宇都谷峠』は前々からとても見たいと思っていた演目で、さらに今回は勘九郎と三津五郎の初役なのだろいうのだから、上演を知ったときは胸が躍ってしかたがなかった。しばらく歌舞伎座行きはお休みしようと思っていたのに、なかなかお休みできないのだった(10月も11月も昼夜とも行かねば…)。そして、『宇都谷峠』は期待通りに全編たいへん堪能。いかにも満を持して、という感じの上演であった。勘九郎と三津五郎の両者ががっぷり四ツで、それぞれがそれぞれともぴったりな配役で、この二人がぴったりな配役で共演するとこんなに素晴らしい舞台が! の典型で、4月の『弁天小僧』のことを思い出した。幕開けでさっそく江戸時代の宿場の風俗がイキイキ、登場人物のテンポが気持ちよくて、さっそくウキウキだった。文弥が肩をもむシーンが可笑しくて可笑しくて。三津五郎も絶妙にこの人物を実在化させていて、いつもながらに深みがあってとてもよかった。勘九郎の早替わりが何度かあって、そのたびに「ワーオ!」なのだけれども、そんなケレン味を楽しみつつも、それだけが際立たなくて芝居全体にきちんと溶け込んでいる。いぶし銀の語り口の噺家さん(雲助さんのような)で長めの人情噺を聴いているような感覚もあって、『宇都谷峠』全体が風格たっぷりだった。こういう感覚がとても好きだ。あともう1回は見たいと思っているところ。昼の部の『一本刀土俵入』も見に行けたらいいなあ。勘九郎はもちろんだけど福助がいかにもよさそう。