バナナ

夏休み終了と同時に郡司正勝校注『東海道四谷怪談』をひとたび読み始めてみたら、思いっきりハマってしまって睡眠時間が削られてしまって、夏休み明けでただでさえぼんやりなのに、輪をかけてこのところ日中はぼんやりなのだった。今日の朝方にいったん通読したところで解説を熟読して、急に思い出したのが、郡司正勝著『鶴屋南北』(中公新書)のこと。一刻も早く入手して一刻も早く読んでみたいものだと、昼休みにさっそく炎天下のなか本屋さんへ物色に出かけてみたらあいにく在庫なし。夕刻、神保町に寄ることにして一目散に東京堂に突進してみたら、『鶴屋南北』がここにもないッ。まさか東京堂にもないとは思っていなかったので急に動揺、こうしてはいられないッと、今度は三省堂へ行き2階の中公新書コーナーに突進してみたがここにも在庫なし。こうなってくると、わたしにとって今日中に『鶴屋南北』を入手する以外に大切なことは今ほかにない、という心理状態になってしまって、神保町中の新刊書店を行脚という事態になってしまった。最後に岩波ブックセンターにたどりついて、ここにも在庫なし。疲れた。と、いったいわたしは何をやっているのだろうと、ここでようやく平常心に戻って、今日のところは「日本古書通信」を購入。再び地下鉄に乗り込んで、レジで入手した岩波書店の新刊案内を眺めていたら、たのしみにしていた『落語ことば辞典』が発売延期になったと知ってがっくり。と、機嫌が少々悪かったせいか、映画もあまり楽しめずトボトボと家路についた。疲れた。帰宅後は、郡司正勝著『鶴屋南北』の心の隙間を埋めるべく、廣末保『四谷怪談』(岩波新書)を読んだ。

映画メモ

  • 『バナナ』渋谷実 *1 / 三百人劇場《社会派コメディの変遷 渋谷実と前田陽一》 *2

映画が始まってすぐに、松緑演じるところの華僑のお屋敷が登場したとたん、「今回もハズレだったな」と早くも察知。ファーストシーンでさっそく、去年に阿佐ヶ谷で見た『悪女の季節』とフィルムセンターで見た『大根と人参』の脱力感の感覚が鮮明に甦ってきた。ああ、渋谷実の典型的脱力感ってこの感覚! と、ある意味、ファーストシーンでさっそく渋谷ワールドに全身でひたってしまったともいえる。実はこれまで何本も見ている渋谷実の松竹映画、以前はわりと面白がっていたそのB級感に最近はどうもついていけなくなってしまった。まずは映画が始まってさっそく目にするお屋敷のセットが美感的にどうも受けつけないものがあって、原作は未読なのだけれども、おそらく獅子文六の原作を忠実になどっているであろうストーリー展開もただなぞっているだけというふうに感じられて深みのようなものが全然ない。見た目といいストーリーといい、あんまり共感がわかず、一言で言えば映画的にちっとも面白くない。映画的には面白くなかったとしても、映画の断片断片は面白がろうとすればいくらでも面白いのだろうなあとも思うけれども、そのB級感についていけないともうおしまいという感じであった。ついていけるB級感とついていけないB級感、わたしにとってのその境界はいったいどこにあるのだろうか。追々解明していきたい。

などと言いたい放題であったが、その豪華な出演者陣が嬉しくて、スクリーンが暗くなってテーマソングとともにタイトルバックを眺めているとき、次々の登場する出演者の名前を眺めているときが一番たのしかったというくらい、出てくる出演者がみものだった。まずはヒロインの岡田茉莉子がとってもかわいい! 終始つまらなそうに演じているような感じで、そのドライさがまたかわいい! 全体的に見た目が美感的にイマイチなこの映画、岡田茉莉子の衣裳もあまり面白くなくて、でも黒いセーターと黒パンツ(だったかな)のシンプルな服装のときに可愛さがとても際立っていたような気もする。見るからにインチキくさい伊藤雄之助も実によかった。伊藤雄之助といえば、『悪女の季節』でもたいへんナイスだったし、川島雄三の『赤坂の姉妹』もすばらしかったなあとしばし追憶にひたった。去年に阿佐ヶ谷で見た同じく獅子文六原作の『青空の仲間』の伊藤雄之助もとてもよかったと追憶にひたった。一番嬉しかったのが宮口精二、渋団扇と七輪が世界一似合う男。登場の瞬間、客席に笑い声が起こった、シャンソン歌手役の仲谷昇もいい。黒のタートルネックのセーターがいいぞー。と、杉村春子といい、文学座の共演が嬉しくて、大好きな、成瀬巳喜男の『流れる』とか今井正『にごりえ』の追憶にひたった。などと、ほかの映画の追憶にひたってばかりであったが、その出演俳優優がいつも印象的な渋谷映画のよろこびは典型的に満喫で、それだけでも見る価値があった。

と、俳優が嬉しいと言いつつも、一方では、松緑がテンポが違うというかなんというかひとりだけ浮いている感じで、そこに「飄々」を見い出すこともできるのだろうけれども、どうも乗れないものがあり、去年に阿佐ヶ谷で見た木下恵介の『今日もまたかくてありなん』の勘三郎と同じように、現代劇における歌舞伎俳優の違和感を味わった。それから、津川雅彦が濃すぎて、加東大介も沢村貞子も沢村国太郎も大好きなのだけれども、津川雅彦・長門裕之兄弟はどうも苦手なのだった。岡田茉莉子といえば『秋津温泉』がまっさきに思い浮ぶけれども、『秋津温泉』のときは長門裕之が「気持悪いよ〜」という感じで、当初は芥川比呂志が演じるはずだったというその役、芥川比呂志だったらどんなによかっただろうと思った。

わたしにとっての渋谷実というと、数年前にひょんなことでフィルムセンターで見た『自由学校』が妙に心に残って、獅子文六を知るきっかけを与えてくれた監督。『自由学校』のあとで見た、『てんやわんや』や『やっさもっさ』はあんまり面白くはなかったものの、淡島千景の鮮烈さという点では印象に残っている。映画を見て何年もたったあとで、獅子文六の『てんやわんや』と『やっさもっさ』を読んだときは、あのあまり面白くない映画とストーリーはまったく同じなのに(当然だけど)、獅子文六の文章で読むとこんなに面白いなんて! と、獅子文六のすばらしさにあらためて開眼だった。なので、未読の獅子文六の『バナナ』を読むのがとてもたのしみ。映画の素材をたどると、お金持ちの華僑がいて、その息子がいて、ガールフレンドはシャンソン歌手を目指している、彼ら若者の生態とか、華僑とその妻の展開とか、松緑の料理道楽とかシャンソン愛好会の面々とか、獅子文六の筆致で読むといかにも面白く書かれていそうな気がして、とてもたのしみ。

というわけで、映画そのものにはあまり乗れなかったものの、出演俳優が「いい!」と思ったのもそうでなかったのもそれぞれにとても印象的で、なんやかや言いつつも、現代劇の松緑を見られたのはやはり嬉しかったと思う。それに獅子文六ファンとしてはその映画化作品を見られるのはそれだけで嬉しくて、獅子文六原作の映画が上映されているのを見つけたらまた行ってしまうのは確実だし、原作と映画をちょいと比較してみようと、獅子文六読みの気運が高まったのが一番の収穫なのだった。『バナナ』を読みたい。