ペリカン書房

窓からいくぶん明るくなりつつある空が一面に見えて、夜明けの空ってこんな色だったなあと、買ったばかりの串田孫一の『日記』をランランとめくっているうちに、白々と夜が明けた。

山形県の新庄へ一家で疎開したままだった串田孫一のもとに、敗戦間近の昭和20年11月、みすず書房を今まさに興そうとしている小尾俊人よりパスカルの研究書を出版させてほしいという依頼の手紙が届く、その次の日には、小尾俊人に串田孫一を紹介したペリカン書房の品川力からの手紙も届いている、と、このくだりを約1年ぶりにめくることになった串田孫一の『日記』でひさびさに目のあたりにして、その臨場感に胸がいっぱい。急に『日記』の前の方に戻って、日記のペリカン書房の登場するくだりや品川力からの書簡をもう一度重点的に読み返したりした。

そんなこんなで、今日はずいぶん寝坊。ひさびさに何の用事もない日曜日なので思う存分夜更かしができて満足満足。依然ペリカン書房のことが頭にべっとりと貼り付いていて、パソコンのスイッチを入れて検索してみたら、さっそく西秋書店さんのページを見つけて、大感激。(→ http://www1.ocn.ne.jp/~nishiaki/soieba/soieba005.htm

もういてもたってもいられない、今日はどこにも出かけずに部屋でのんびりするつもりでいたのだけれども、突発的に京橋図書館に出かけることにして、午後も遅くに外出。計画通りに、青木正美著『古本屋奇人伝』と小尾俊人著『本は生まれる。そして、それから』を借り出して、タリ−ズでコーヒーを飲みながらホクホクと読みふけった。『古本屋奇人伝』には「ペリカン書房・品川力」という章が最後にあって、品川力さんと串田孫一両人の署名入りの串田孫一『日記』の書影があった。

「ラジオ名人寄席」が始まる頃に帰宅。久保田万太郎全集の補巻にしっかりと、春秋社の「現代語西鶴全集」所収分が収録されているのを発見。さっそく万太郎訳の『近年諸国咄』をつらつらっと読んでみるも、うーむ、万太郎の訳でかえって読みにくくなっているような…。新日本古典文学大系で味わい深い挿絵とともに西鶴の原文をさらっているときの方がずっと面白い。他のひとの訳だとどうなのだろう。

青木正美さんの『古本屋奇人伝』に引用されていた、品川力に宛てた織田作之助の書簡に、昭和17年7月に《『胸算用』うけとりました。小為替三円同封しておきます。在郷軍人の訓練にきてゐて、送金おくれて申しわけありません。『西鶴新論』も別便でおくりました。西鶴の本、また、見つかりましたらお知らせください。》とあったのを急に思い出して、織田作訳の『世間胸算用』がどんな感じになっているかが非常に気になるところなのだった。でも、その前に、井原西鶴と織田作之助の作品をそれぞれにいろいろと読んでみたいと思う。急に読書の展望がパーッと広がった感覚、とても嬉しい。

*戸板康二君より 六月十六日附け(昭和20年)
このところ二度ほど川尻氏をたづねいはゆる全盛期のカブキの裏の秘話を無数にききノートを肥しました。焼野原の真中にふしぎと一軒だけポツンとのこつたアパートに唐桟のモンペを着て平然と團十郎の声色をつかつてきかせてくれる江戸っ子がゐる事はなかなか愉快です。何となく彰義隊の戦がはじまる頃のやうな気分ですが、勝の旦那のやうなイキな人がゐるかどうか。神田へ行つて焼いて了つた團蔵藝談を東京堂で見つけて来ました。あの辺一帯無事、十字やがチヤンとしてゐるのはあはれです。鞄の中にはいつていた七部集、予科時分からの手摺れ本ながらとり出して読んでいます。表六句まねして左の通り。
  二階貸して六月の単衣かな
   箸を洗へば梅雨晴れの井戸
  配給のたばこは朝日ばかりにて
   土手に弁当つかふ親と子
  花時の町会事務所とざしたり
   硯のうへをあたたかき風
(串田孫一『日記』実業之日本社、1982年)