連休落語日記

購入本

ある人に教えていただいて、こうしてはいられないとあわてて購入したのだったが、さっそく読みふけって、本当にもうしみじみすばらしかった。今、このタイミングで、この本を読むめぐりあわせになったことをとても幸福に思う。初版は昭和50年にポプラ社から発行された中高生向けの入門書、話芸としての落語の特性とその歴史、江戸落語と上方落語、寄席のこと、落語をとりまく現代……といったふうに、いたってオーソドックスなことが扱われてあるのだけども、すぐれた入門書がすべてそうであるように、深い内容を有しているということは読み始めてすぐにわかった。日頃、落語ディスクを聴いたり寄席に出かけたりして、落語っていいなあとポワーンと幸福感に包まれる、その感覚を形成する諸要素を米朝さんがやさしく明解に解きほぐしてくれて、その米朝さんの文章を読んでいるときに落語のよろこびがあらたにモクモクと涌いてくる。噺家の仕草とか「間」とか視線、落語のもつ季節感とか人々の暮らしのひとこま、寄席の空間、などなど、日頃落語を聴いて「いいなあ……」と漠然と思っていることを米朝さんの文章によってあらためて再認識することで、落語への愛着がますます涌いてくるような、と同時に、今まで無意識だったことを米朝さんの文章ではじめて気づかされて、なるほどッと深く納得して、ますます落語のよろこびがぱーっと眼前に広がったような、とにもかくにも嬉しくてためになる本だった。狭く短く浅いわが落語歴ではあるけれども、まがりなりにも少しは落語に親しんでいる最中にこの本を読んだことで、ますますここに書いてある内容がス―ッと心に浸透したのだと思う。それから、この本が素晴らしいのは、「落語と私」というタイトルが実に利いているということ。落語の入門書なので、本全体は落語について総合的に語っているわけだけれども、そこには常に米朝さんの「私」が付随している。その「私」がとても好ましくて、落語への思いが涌いてくるとともに、落語を語る米朝さんの姿に心が洗われるものがあった。

文庫解説が矢野誠一さんというのがまた嬉しいかぎり。

《活字による「桂米朝作品群」のなかにあって、この『落語と私』は、ひときわすぐれた名著で、桂米朝の著作ばかりか、こと落語について記された多くの類書を圧する存在のものである。十年前、「ポプラ・ブックス」の一巻としてポプラ社から出たとき一読して、すぐそう思った僕は、江國滋と三田純市に電話をかけたものである。十年ぶりに再読して、あのときの新鮮が印象が少しも失われていないことにおどろかされた。》

という一節がある。桂米朝、矢野誠一、江國滋に三田純市と、「東京やなぎ句会」メンバーが次々と登場して、いつもながらに、そんな「東京やなぎ句会・人物誌」がとてもいい感じ。落語を聴いて、ますます落語に憧れたのは、ひとえにも「東京やなぎ句会」の面々のおかげだったなあとあらためて思ったのだった。

今回の米朝さんの文庫本解説は矢野誠一さん、というふうに、「東京やなぎ句会」文庫本リストみたいのも作りたくなってくる。講談社文庫の柳家小三治「ま・く・ら」2冊の解説はそれぞれ小沢昭一と矢野誠一、文春文庫の矢野誠一著作の解説、江國滋や小沢昭一の文庫本の解説、などなど、著者と解説者が「東京やなぎ句会」つながりの文庫本は結構たくさんありそうだけども、忘れてはならないのが、矢野誠一さんの解説のついている文春文庫版の戸板康二著『あの人この人』。戸板さんは正式メンバーではないものの「東京やなぎ句会」最多(?)登場ゲストなのだ。

落語メモ

大銀座落語祭特別プログラム/ヤマハホール(7月18日)

  • 第1部:小沢昭一講演「私と落語」
  • 第2部:東西名手の競演
    • 古今亭菊之丞『幇間腹』
    • 桂雀々『さくらんぼ』
    • 春風亭一朝『包丁』
    • (仲入り)
    • 柳家喜多八『かんしゃく』
    • 林家染丸『三十石』

何ヵ月か前に「東京かわら版」で「大銀座落語祭」の詳細を知って以来、どうしようかしらッとワクワクだったけれども、予定がなかなか立たずギリギリまでモタモタしていてしまって、一番行きたかった会には結局行き損ねてしまって、かろうじて小沢昭一さん講演付きの落語会だけ聴きに行くことができた。上記の米朝さんの文庫本はこの会に出かける道すがらに買ったので、「東京やなぎ句会」つながりの道中だった。

第1部の小沢昭一さんは「講演」となっているものの、第2部の噺家さんと同じように、高座のざぶとんに座って、羽織姿で手には扇子を持って、ざぶとんの前には湯呑がある、というふうな体裁。開口一番、「いっぱいのお運びでありがたく御礼申し上げます」と噺家そのままの口調で、さっそく大笑いだった。一見したところ好きな落語家についての雑談ふうおしゃべりというふうでいて、どうしてどうして噺家体裁の「講演」というのがいかにもな演出の、全体が「落語」そのままというか、小沢昭一の芸人ぶりがしみじみ見事で、いいもの見たなあと思った。古今亭志ん生、橘家圓太郎、春風亭柳好といった名前が登場して、桂文楽が自分の会に連れてきたという尺八の芸人・立花家扇遊のくだりがとりわけ面白くて、そのあとにハーモニカを取り出して……。とにもかくにも、いいものを見た。

と、小沢昭一だけでも来た甲斐があったけれども、第2部の落語会もそれぞれにとても面白くて、密度の濃い一夜となった。先週、鎌倉で吉朝さんの独演会を聞いて、上方落語への憧れが急につのったり、なんとなく圓生の『三十石』を聞いたりなんてしたあとというタイミングで出かける落語会としては、いい感じ。というわけで、『三十石』を初めて生で聴いて、これまたしみじみよかった。圓生みたいに江戸の二人連れ、というより、大坂の二人連れの方がいかにもしっくりきて、道中のおしゃべりもずっと面白い気がする。あらためて生でじっくり聴いて、伏見から三十石舟に乗ると、寝ながらにして大坂に移動することができるという、真っ暗のなかを移動する船に乗る船頭の舟唄という、過去の関西風俗がとても面白くて、三十石という名前の由来、広島出身が多かったという船頭たちの京都や大坂の言葉が入り混じった独特の言葉遣いに関するお話が混じったりして、そのあたりも面白かった。中書島のお女郎が「○○屋の鬢付け油こうてきて」と船上の船頭に頼むところとか、船に乗りこむ前に旅の二人連れがお土産に伏見人形を買うところとか、噺の端々にちょろっと織り込まれる市井の様子が、今回染丸さんで聴いて、しみじみいいなあと思った。

『三十石』ばかりでなく、『さくらんぼ』と『かんしゃく』を聴けたのも嬉しく、『包丁』をひさびさに聴いて帰宅後は「圓生百席」であらためてじっくり聴いていろいろうーむとなった。もとは「音曲噺」だったことを知ったりとか「圓生百席」でちょっと衒学的に落語を聴くのもいつもとてもたのしい。『幇間腹』は何度も聴いているけれども、今回の菊之丞さんでは、「行きたくないなあ……」と直前まで憂鬱になっている一八がふすまを開けて若旦那の前に出るととたんにご機嫌になる、というくだりがとっても身につまされた。