花森安治特集

昼休みはひさしぶりにのんびりと界隈を散歩。空気はツーンと冷たいけれども晴れわたっていて日射しがポカポカしていて実にいい気分だった。いつもの本屋さんに足を踏み入れてみたら、「暮しの手帖」の別冊として花森安治の特集冊子が売っていた。どれどれと立ち読みしてみたら、とても充実した内容でいてもたってもいられず思わず購入。昼休みで時間がないのにふらふらとコーヒーショップへ入ってページを繰った。

「同時代人の見た花森安治」というコーナーに山口瞳や森茉莉、池島信平と扇谷正造らの文章とともに、戸板康二の『あの人この人』の「花森安治のスカート」が収録されていて、この文章、今まで何度も読んでるのにまずここを読んだ。戸板康二が花森安治と初めて出会ったのは開戦の翌日の12月9日、その初対面の場所はまさしく今いるコーヒーショップのすぐ近く、ということにとりわけ強い印象を受けた。しかも今と同じ季節だ。その日も今日みたいな天気だったのかなということを思った。花森安治と初めて会った日、戸板さんは昼の休憩時間に歌舞伎座へ何かの用で出かけて、奈落でのちの歌右衛門に遭遇する。野崎村のお染の扮装をしている歌右衛門は壮絶な美しさだったという。……というような、戸板さんのエッセイのくだりを思い出して、心は一気に昭和16年12月9日の東京へ。なんといっても、わたしにとっての花森安治は、わたしに戸板康二のことを教えてくれた人、というのがまっさきにあるのだった。

  • 暮しの手帖保存版3 「花森安治」(暮しの手帖社)foujita2003-12-18

花森安治の天才肌な編集術あれこれに関する挿話、花森安治のつくった「暮しの手帖」やその装幀本は大好きだけれども、花森安治そのものに関しては全面的に好きかというとそうでもなく、とりわけその文章にはついていけないと思うことの方が多い。しかし、花森安治に関する文章は誰が書いても面白い。その点でこの冊子は大充実だった。登場する顔ぶれの豪華なことといったら! それに「暮しの手帖」にかぎらず、雑誌にまつわるあれこれ話はいつだって面白い。花森安治礼讃という感じの内容かと思いきや、結構客観性もあるのがとてもよかった。「暮しの手帖」と花森安治を通して、いろいろなことに思いが及ぶようなつくりになっている、と思う。

と言いつつも、やっぱりわたしは「暮しの手帖」が好きなんだなあとひしひしと思った。去年夏の ggg での展覧会でとりわけ見とれた文字だけを使った広告がたくさん紹介されていたりして、装幀本紹介のページもたのしい。

    • 安藤鶴夫・日色恵編『風流落語お好み版』(早川書房、1952年)
    • 安藤鶴夫・日色恵編『風流落語お色け版』(早川書房、1952年)

が、とっても欲しい!

とっても欲しいといえば、

    • 『春寒 清水一追悼文集』(暮しの手帖社、1972年)

どんな顔ぶれのどんな追悼文が並んでいるのかひどく気になる。

新谷雅弘氏の「日本のエディトリアルデザインには名取洋之助、堀内誠一、花森安治というひとつの流れがあると思う」という一節が心に残っている。

花森安治そのものに関しては全面的に好きというわけではないと言いつつも、神戸育ちで宝塚好きといった関西文化圏の出自、「ニューヨーカー」を愛読していたこと、などなど、なにかと興味深いものがあった。そういえば、わたしも以前に「ニューヨーカー」あれこれ話に凝っていたことがあったのだった。

前に月の輪書林の目録で買い損ねた、「話の特集」で各人が花森安治を語っているページのある号を後日、古書展で発見していて、その植草甚一の文章がとりわけ心に残っていた。花森に相容れないものを感じていることを率直に語りつつも、広告なしでやってきたことには尊敬すると最後につけ加えている。わたしは「暮しの手帖」が好きだけども植草甚一がこう書く気持ちもなんだかとてもよくわかって、植草甚一のことがますます好きになった。植草甚一のこの文章、きちんと今回の「花森安治」特集で紹介されていたのがよかった(掲載は戸板康二と同じページ)。

感想が全然まとまらない。とにかく「花森安治」、とてもいい本だ。このところ、立て続けにいい本に出会って嬉しい。