週末日記

土曜日はちょいと遠出して、昭和のくらし博物館へ出かけた。翌日曜日は、初日に行こうと心に決めていたはずの樋口一葉の展覧会、結局はいつもの通り、最終日になってあわてて行くことになってしまった。palette'd azm を拝見してますます心が躍っていたのだった。展覧会のあとはしばらく本郷界隈でのんびりして、それから丸ノ内線に乗り込んで池袋へ。午後は池袋演芸場の昼の部を聴いた。寄席でもたいへん満喫。いい週末だった。

  • 昭和のくらし博物館 *1

東急多摩川線の下丸子駅から徒歩数分。昭和20年代の木造の民家をそのまま残して、「昭和のくらし博物館」として、昭和の生活全般を展示している。受付で入場料を払って「おじゃましまーす」と玄関からあがる小泉家、初っぱなからとてもたのしい。氷を使った冷蔵庫がある台所にラジオが聞こえてくる茶の間のちゃぶ台、気分は一気に昔の「暮しの手帖」、もしくは小津安二郎の映画、という感じで、細部に目をこらしてしみじみたのしかった。二階には子供部屋と特別展示の「町のお医者さん」。町のお医者さんコーナーもなんだか小津の『東京物語』を思い出す。子供部屋のガラス窓から外の様子を見て庭の木の感じを見て、勉強机の引出しを開けたり箪笥をあけたり(引き出しにはいちいち展示物があるので楽しみは尽きない)、博物館全体が細部まで行き届いていて素晴らしかった。案内してくださる方がいて、最後には客間でかりんとうとほうじ茶を御馳走になって、ざぶとんで和むひととき。

東海林さだおの本に、この博物館でいろいろ眺めて「あった!あった!」となったというようなことが書いてあったのを見て以来、わたしもいつの日かこの博物館に来て「あった!あった!」と言おうと心に決めていたのだったのだけれども、過去の家を見ているよりは祖母の家に来たみたいな感じでくつろいだ。特に着物をしたてる道具など近頃まで現役だった。と、きものの展示もたのしくて、「冬のきもの」となっていたから、季節ごとに展示が変わるに違いない。こういう日常着を見ると、男のひとの着物がかっこよくて、角帯とかいいなアと、日頃注目の噺家さんとか衣服がよく登場の万太郎俳句のこととかを思い出したり。いわゆる「インバネス」と称すマント状のコート、島津保次郎の『兄とその妹』だったか小津の『戸田家の兄妹』だったか、佐分利信がむちゃくちゃよく似合っていたのを今でもよく覚えている。と、どうしても昔の日本映画のことをいろいろ思い出すのだった。着物の展示は日常着なので、ちょいとよそ行きの絹にふだん着の木綿、裏地にちょっとしたおしゃれ心があったり、真綿を入れることで防寒にしたり、などと、いふくを通して感じる生活がいつもながら、いいなアと思った。

増築した2階は絵の展示室になっていて、博物館をつくった小泉家にゆかりの画家だという、吉井忠さんの絵の展示があった。お茶をいただいた茶の間にも絵が飾られていて、展示室ではないところに絵を展示というのもなかなかオツでよかった。この茶の間で学芸員さんから吉井忠さんのことをいろいろ教えていただいた。帰るとき、もう一度玄関へ。その脇はご主人の書斎みたいになっていて、玄関のところの壁は「腰羽目」といって板の張り方が1枚ごとに上下になっている。眺めているうちに、むかしの「暮しの手帖」にあった清水一の建築エッセイのことをモクモクと思い出す。と、やっぱり気分は「暮しの手帖」の昭和のくらし博物館だった。土曜日はあいにくの曇り空、天気がいい日だったら池上本門寺まで散歩するのもいいかもとあとで思った。

  • 《樋口一葉その生涯》文京ふるさと歴史館 *2

「東京かわら版」でその開催を知ってとてもたのしみだった展覧会。去年秋に中央区の郷土資料館的なところで(場所は築地)、築地小劇場の展覧会があって意気揚揚と出かけたのを思い出した。同時期に演博で見た帝劇展の方がずっと面白くてそちらの印象があまりに鮮烈だったせいか、築地小劇場の展覧会そのものはちょいと物足りなかったものの(土方与志宛て小山内薫書簡には興奮したけど)、郷土資料館的なところで展覧会を見る、というのがなんだかとても楽しくて、ほかにもいろいろ出かけてみようかしらと思ったものだった。なによりもご当地での展覧会というのが楽しい。で、今回は日頃から激しく愛読する樋口一葉の展覧会が本郷で催されるのだから、大興奮だった。

樋口一葉の展覧会は、展覧会としてもたいへん充実していて、とてもよかった。図録に、一葉のよき導き手である森まゆみさんの文章があったのも嬉しかったし、岩波の新日本古典文学大系の明治編で一葉を再読した際に、その註釈を担当していた菅聡子氏の文章があったのも嬉しかった。と、一葉を読む傍らに参照した方々が展覧会に参加していることで、今までの一葉読みのことを思って胸がいっぱいになった。あと、なんといっても、鏑木清方の一葉像で始まるというのが、この展覧会のすばらしいところ。なんて見事な幕開けだったことだろう。ちょいと眺めにくかったものの、いつも清方を見るみたいに細部をあちこち観察した。圧巻は『にごりえ』の挿絵を全15枚見られたこと。一度駒場の東京近代文学館(今はない)で見たことがあったけれども、全部を見られるなんて! 夢のようだった。

「文京ふるさと歴史館」なるところで開催されていることによって、その風土に重点を置いて展覧会が企画されていたおかげで「一葉の東京」をより強く感じることができて、もともと知ってはいたけれども、新たな角度から一葉とその東京を見ることができたのが一番の収穫だった。それだけでも大充実なのに、出版メディアのことへの言及もあって、「文学界」同人の展示も充実。あとやはり心が揺さぶられるのが斉藤緑雨のところ。今年になって初めて戸川秋骨のエッセイを読んだことで、「文学界」同人に興味津々になった。戸川秋骨以降、特に突っ込むことなく年の瀬になってしまったけれども、今後の本読みへの刺激をいろいろ受ける。もちろん緑雨も。

本読みの刺激といえば、個々の展示を見ることで、ますます当の一葉を熟読したくなったのは当然のこと。『通俗書簡文』の展示にもうっとりした。日頃の愛読書の初版本を見るのは、いつもたのしい。それから、昭和16年発行の新世社版の一葉全集の展示を見て、ワオ! となった。久保田万太郎が編者として参加していて、ある巻では万太郎のかわりに戸板康二が頭注を書いたという。ぜひともいつの日か手に入れたいッ。と、なにやら物欲まで煮えたぎってしまった。早起きして樋口一葉の展覧会に出かけて、青い空のよいお天気で気分は上々。のみならず、なにかと気が引き締まってきた感もあった。

本来だったらこのまま散歩して、蓮玉庵でお蕎麦を食べて、そのまま鈴本へと行きたいところだったのだけれども……。

  • 池袋演芸場 上席(昼の部)
    • 古今亭菊六「道灌」
    • 三遊亭歌彦「近日息子」
    • 金原亭馬治「素人鰻」
    • 漫才(大瀬うたじ・ゆめじ)
    • 林家うん平「反対俥」
    • 春風亭一朝「尻餅」
    • 奇術(花島世津子)
    • 古今亭志ん輔「掛取り」

    (仲入り)

    • 三遊亭歌武蔵「持参金」
    • 柳家はん治「粗忽長家」
    • 太神楽曲芸(翁家和楽社中)
    • 五街道雲助「宿屋の富」

池袋演芸場に来るのは実は今回が初めて。地下を下りてたどりついた客席の感じはとても好ましくて、舞台が近くに見えるのが嬉しかった。池袋は前々から本屋さんと映画館の町という感じでちょくちょく出かけてはいるものの、寄り道がうまくできず、駅と目的地の往復となってしまって、わたしにとってはいまだに全然くつろげない町だ。なんとか池袋でくつろげるようになりたいものであるが。

と、地下鉄のホームから演芸場に突進して、客席に入ってみると、『道灌』が終わろうとしているところ。やっぱり寄席ってたのしいなあと、いつもの通り入れ替わり立ち替わり現れる舞台の人々を眺めて、しみじみくつろいだ。はじめは『掛取り』かなと思った一朝は『尻餅』で、『掛取り』は志ん輔さんであった。

志ん輔の高座はひさしぶりという気がする。毎回そこはかとなくたのしみな噺家さん。ひさびさに見ると、着物と帯の感じといいちょっとした仕種といい、全身落語家という感じで、そうそうこの感じ! と、あらためていいなアと思った。志ん輔は今年の4月だったか、紀伊国屋寄席の『お直し』がシンシンと残って、それから夏の鈴本だったと思う、『子別れ』の上段の『強飯の女郎買い』もシンシンと残った。『子別れ』は中と下は大好きでよくディスクで聴いているけれども、上段はいささかとっつきにくい。そのちょっとした陰惨さというかどうしようもなさ加減が、志ん輔の高座にいかにもぴったりで、そこから漂う落語感がこの人は無類だなあと思った。と、ひさびさの志ん輔さん、『掛取り』、素晴らしかった。狂歌、義太夫、芝居、喧嘩という順序で、芝居では音曲入り。先月の落語会で、狙っていた雲助さんでも市馬さんでも聴き損ねてしまった『掛取り』、志ん輔さんのを聴けたというめぐりあわせとなって、それもまた嬉し、だった。いつか万歳のところまで聴きたいものであるが。

それから、『粗忽長家』を聴けたのが嬉しかった。この噺、落語のなかの落語という気がする。歌武蔵の『持参金』はあとで調べて知った噺。歌武蔵を以前聴いたのは『たらちね』だった。お嫁さんが来るという点では共通していて愉快だった。なんだか歌武蔵さんによく合っていた。そして、待ってましたッ、トリの雲助師匠。先週に続いてまたもや雲助師匠を堪能できて嬉しかった。今週も着物がえらく素敵だった。

つい最近、馬生師匠の『おせつ徳三郎』に感激していた折、併録の『抜け雀』にも大感激していた。雲助師匠の高座が始まって、宿場町のことを話すのを聴いて、もしや抜け雀ッと一瞬ドキッとなった直後、日本橋馬喰町の描写になって、あっと『宿屋の富』だとすぐにわかった。たっぷり30分、大変堪能。湯島で富札と当たり番号とを照らし合わせるくだりが、わかっているはずなのに、愉快で愉快で絶妙だった。あとで、宿屋のあるじが同じように照らし合わせるが、そこの二人の描写のちょっとした違いも面白い。それにしても、こういう噺をたっぷりと雲助で聴く、というのが、わたしにとっての寄席での一番の喜びだなあと思う。年内にあといっぺんくらいは、雲助さんを聴きたいものだ。