世の中すいすいお茶漬けさらさら

  • 『簪』清水宏(1941年松竹)/フィルムセンター小ホール*1

二ヶ月も前からとても楽しみにしていた清水宏生誕百年記念上映、いろいろ見たい映画はあれどもあまり日程がうまくいかなくて残念。うっかり歌舞伎座の予定を入れてしまったのがいけなかったのだが。鍛冶橋通りを走る、走るという感じでどうにか間に合って、どうにかこうにかかねてからの念願の『簪』を見ることができた。いい映画だった。ラストの田中絹代の階段のショットの余韻がいつまでも消えない。自然光の奇跡的な瞬間に何度もクラクラだった。田中絹代、斉藤達雄、笠智衆といった役者陣がなんともまあ見事で、斉藤達雄(すばらしい!)に叱られてばかりいる若旦那、日守新一もいい味を出していた。『按摩と女』とともに一生心にとめておきたい映画。清水宏の映画のこの独特の浮遊感というか音楽のような流れのなんともいえない感じ、この言葉にできないところがたまらなくいい。ただ黙ってひたるだけ。『簪』は井伏鱒二の原作、戦前の井伏鱒二原作映画というと、成瀬巳喜男の『秀子の車掌さん』をまず思い出す。それから小津安二郎のサイレント『東京の合唱』も一部に井伏鱒二の『先生の広告隊』が使われている。こんな一連の、映画・書物などなど昭和戦前の諸々がたまらなく好きなのだ。と、なんだかとても幸せな気持ちになって、心が洗われるような映画館行きであった。


と、清水宏の『簪』に胸がいっぱいになって帰宅して、今度は馬生ディスクに胸がいっぱいになってしまった。昨日図書館で借りたディスクに聴き惚れて、すっかり宵っ張りだった。

  • 十代目金原亭馬生の『おせつ徳三郎』

志ん朝ディスクで『刀屋』のくだりを聴いていて知っていた『おせつ徳三郎』、馬生師匠は前半の『花見小僧』を加えてたっぷり50分、全編の口演を残している。初めて聴いた『花見小僧』のくだりもあまり落し噺っぽくなくて人情噺的な仕上がり、娘のことに気をもむ大店の主の焦燥とか苛立ちが丁寧に伝わってくるし、小僧の口から徐々に明かにされてゆくお嬢さんと奉公人徳三郎の恋物語もありふれているといってはそれまでだけど、恋するお嬢さんの一本気さがとても微笑ましくて、『おせつ徳三郎』全編の基調になっているある種のロマンチックさがとてもいい。昨日見たばかりの増村保造の『くちづけ』みたいな、とても現代的な恋愛ストーリーになっている。『花見小僧』と『刀屋』がつながることで、ますます『刀屋』後半、徳三郎の短気を諭す刀屋の主人の語り口がいきてくるし、徳三郎のせつなさもしんみりと胸にしみる。馬生師匠のいぶし銀のような語り口にすっかり引きこまれた。 

と、馬生師匠によって語られる『おせつ徳三郎』にひたりきって、最後、徳三郎のことを忘れていなかったお嬢さんと徳三郎の逃避行になったところのサゲで「あっ」となった。「お材木で助かった」ではなくて、「徳や、おあがり」でさげている! 「BOOKISH」の落語本特集の、大西信行さんの文章で三一書房の『古典落語大系』のことが書かれてあったのが記憶に新しい。そこで『おせつ徳三郎』のサゲを、六代目桂文治のサゲを採用して「徳や、おあがり」にしたという一節がとても印象に残っていたのだった。そのサゲを馬生師匠が採用している! と、なんだかとっても興奮だった。志ん朝は「お材木」でさげている。おせつと徳三郎が両国橋で再会して、二人の逃避行が始まって、いつのまにか深川の木場に来ている。そこで心中となるのだが、そんな東京地図も面白ければ、「お材木」のサゲにもっていきたいばかりに二人を深川へ向かわせたような感もただよういかにも落語なばかばかしさも捨てがたくて、「お材木」のサゲも悪くないように思うのだ。と、対照させてとても楽しかった。秘蔵の雲助ファイル(単に雲助ホームページを全部印刷して綴じたもの)を参照すると、雲助師匠も「徳や、おあがり」でさげているとのこと。いつか雲助師匠を『花見小僧』から全編通しで聴いてみたいものだなあと将来の落語聴きの夢が広がるのだった。

それから、心に残ったフレーズといえばなんといっても、刀屋の主人が徳三郎を諭すくだりの最後のあたりの「世の中すいすいお茶漬けさらさら」。あんまり思いつめちゃいけまんよ、もうちょっとさらっと生きなきゃ、ああそういえば、お茶漬けを食べたいなあ、ばあさん……というくだり。「世の中すいすいお茶漬けさらさら」、いい言葉だなあと、ジーン。お茶漬けにもっていく展開もいいなあと、ジーン。志ん朝さんだとちょっと違って「世の中すいすいお茶漬けさくさく」だ。思いっきり短絡的なことを言うと、この「さらさら」と「さくさく」に馬生と志ん朝の持ち味の違いがはっきりと出ているように思う。「さらさら」も「さくさく」もどっちも大好きだ。

馬生師匠の『おせつ徳三郎』を聴いたあとは、矢野誠一さんの『落語家の居場所』(文春文庫)を読み返して、ふつふつと三一書房の『古典落語大系』全8巻への思いが煮えたぎる。文字通りブッキッシュになっていくような。